休日の本棚 武士道
おはようございます。
新型コロナウイルスの新規感染者数が、昨日は東京で124人、全国で250人と緊急事態宣言後最多を更新しています。東京以外では、埼玉26人、神奈川24人、千葉9人など首都圏が中心ですが、鹿児島は30人とパブでのクラスターが発生しています。大阪では11人でそのうち9人が感染経路不明ということです。こうした中、吉村大阪府知事は、新たな大阪モデルを示しましたが、経済を優先し注意喚起の「黄信号」を点灯しにくく要件を緩和したもので、これでは注意喚起の黄信号が灯ることはありません。松井市長も言っていましたが、大阪は東京の対岸ではなく、いつ東京の感染拡大が飛び火してもおかしくありません。確かに東京の基準に比べれば数値基準もあり客観性が担保されているようにも見えます。しかし経済を回すことに重きが置かれ、再度感染拡大が起こった時に機敏に対処できるのか心配です。東京の二の舞にならないことを願います。
今日は、新渡戸稲造著「武士道」(三笠書房)を紹介します。こちらは奈良本辰也氏の翻訳・解説です。他に岩波文庫の矢内原忠雄氏訳もあります。
「武士道」は1898年に新渡戸稲造が渡米中に英文で書かれたもので、岡倉天心「茶の本」とともに欧米で多くの読者を勝ち取り、日本が世界に誇るベストセラーとなったものです。
三笠書房本では「人に勝ち、自分に克つ幸甚な精神力を鍛える」と副題が書かれ、帯には「今こそすべての日本人に読んでほしい本!礼儀と『恥』を知る国ー日本。強烈なリーダーシップと強い責任感で『奇跡の復興』を遂げた国・日本ーその日本が危ない!いま、われわれは、何を考え、どう生きるべきか!」とあります。
岩波文庫本では、表紙に「『武士道はその表徴たる桜花と同じく、日本の土地に固有の花である』-こう書き起こした新渡戸(①862-1923)は以下、武士道の淵源・特質、民衆への感化を考察し、武士道がいかにして日本の精神的土壌に開花結実したかを解き明かす」とあります。
岩波文庫本は1938年訳の名文ですが、三笠本の方が読みやすく分かりやすい訳文になっています。以下、三笠本(奈良本氏訳)で紹介します。
新型コロナによって未曽有の危機にある日本で、コロナ感染者数・死亡者数の少なさに麻生副総理・財務相は「民度が違う」発言をして顰蹙を買いました。一方、自営警察やコロナ差別が横行し、日本人の優しさ・寛容さが失われつつあることにショックを受けました。日本人の中には、新渡戸氏が言うように、武士道的な精神が培われているように思いますが、それが欧米的な思想や生活様式によって少しずつ変わってきているように感じます。それが間違っているとは言いませんが、新型コロナとの闘いで精神的に打ち勝つためにも、今一度われわれ日本人の血に流れる武士道精神を見つめる良い機会だと思います。
今更なぜ「武士道」なのか?古めかしい時代遅れの考え・教えと感じる人もいるかと思います。
本書の冒頭には「武士道は、日本の象徴である桜花に勝るとも劣らない、日本の土壌に固有の華である。わが国の歴史の本棚の中におさめられている古めかしい美徳につらなる、ひからびた標本のひとつではない。それは今なお、私たちの心の中にあって、力と美を兼ね備えた生きた対象である。それは手に触れる姿や形は持たないが、道徳的雰囲気の薫りを放ち、今も私たちをひきつけてやまない存在であることを十分に気付かせてくれる。武士道をはぐくみ、育てた、社会的条件が消え失せて久しい。かつては実在し、現在の瞬間には消失してしまっている、はるかかなたの星のように、武士道はなおわれわれの頭上に光を注ぎ続けている」とあります。今なお、日本人の精神的支柱として生き続けているのです。
新渡戸が「武士道」を書くきっかけになったのはベルギーの法学者ラヴレーからの質問です。ラヴレーとの散歩中の話の中で「あなたのお国には宗教教育がないのですか」と質問され、新渡戸は「ありません」と答えます。ラヴレーから「宗教教育がないなら、どのようにして道徳教育を行うのですか」と訊かれ、答えに窮した新渡戸が考えに考えた末に書き上げたのが「武士道」なのです。
第1章「道徳としての武士道」から説き起こし、第2章「武士道の源」、第3章「義・または正義」と続いていきます。そして、そこには当時のヨーロッパやアメリカで広く読まれていた著作と対比しながら書かれています。例えば、第2章「武士道の源」では禅や陽明学の影響について書かれたと思えば、ヨーロッパの騎士道精神と対比し、「旧約聖書」が引用され、更にバークレイやフィヒテの理想主義と関連して論じられたりと大きな視野で柔軟な考えが展開されています。
第3章「義」ー武士道の光輝く最高の支柱
第4章「勇」-いかにして肚を錬磨するか
第5章「仁」-人の上に立つ条件とは何か
第6章「礼」-人とともに喜び、人とともに泣けるか
第7章「誠」-なぜ「武士に二言はない」のか?
第8章「名誉」-苦痛と試練に耐えるために
第9章「忠義」-人は何のために死ねるか
第10章 武士は何を学び、何を磨いたか
第11章 人に勝ち、己に克つために
第12章 「切腹」-生きる勇気、死ぬ勇気
第13章 「刀」-なぜ武士の魂なのか
第14章 武士道が求めた女性の理想像
第15章 「大和魂」ーいかにして日本人の心となったのか
第16章 武士道は甦るか
第17章 武士道の遺産から何を学ぶか
上記の中で、まず、第10章 武士は何を学び、どう己を磨いたか です。行動するサムライが追求したのは「品性」であり、「智(知恵)、仁(慈悲)、勇(勇気)」が重視され、思慮、知性、雄弁は第二次的なものとされました。奢侈は人格に影響を及ぼす最大の脅威と考えられ、厳格かつ質素な生活が要求され、損得勘定は取らない、無償・無報酬の実践のみを信じたとされています。「金銭や金銭に対して執着することが無視されてきた結果、武士道そのものは金銭に由来する無数の悪徳から逃れてきた・・・現代において、なんと急速に金銭政治がはびこってぃたことか」と当時の政治に対する批判的な記述があります。今の政治家にも読んでもらいたいものです。
次に、第15章「大和魂」-いかにして日本人の心となったのか です。武士道の徳目は日本人の一般水準よりも抜きんでていたので民族全体の「美しき理想」となり民衆全体に広まっていったというのです。武士道は当初「エリート」の栄光として登場し、やがて国民全体のあこがれとなり、その精神となったのです。
次に、第16章 武士道は甦るか です。「武士道は、一つの無意識的な、あがなうことのできない力として、日本国民及び一人一人を動かしてきた」「武士道は日本の活動精神、推進力であったし、また現に今もそうである」と言っています。「国民全体に共通の折り目正しさはまぎれもなく武士道の遺産である」「日本人以上に忠誠で愛国的な国民は存在しない」が、その反面「日本人の欠点や短所もまた大いに武士道に責任があると認めざるを得ない」とも言います。日本人が深遠な哲学を持ち合わせていないことは武士道の訓育において形而上学の訓練が重視されなかったことに原因があるとも言っています。
次に第17章 武士道の遺産から何を学ぶか です。名誉、勇気、そしてすべての武徳の遺産は、「われわれが預かっている財産にすぎず、先祖及び我々の子孫の物である。それは誰も奪い取ることはできない人類永遠の家禄」であるから、「現在のわれわれの使命はこの遺産を守り、古来の精神を損なわないことである。その未来における使命はその人生のすべての行動と諸関係に応用していくことである」と言っています。
最後に、次のように言っています。
「守るべき確固たる教義や公式を持たないために、武士道は朝の一陣の風であえなくも散ってしまう桜の花びらのように、その姿を全く消してしまうことだろう。だがその運命は決して絶滅したのではない。禁欲主義がなくなった、と誰かが言うことができよう。制度として滅んだのかもしれない。だが徳目としては今なお生きているのである」
「武士道は一つの独立した道徳の掟としては消滅するかもしれない。しかし、その力はこの地上から消え去ることはない。その武勇と文徳の教訓は解体されるかもしれない。しかし、その光と栄光はその廃墟を超えて蘇生するに違いない。あの象徴たる桜の花びらのように、四方の風に吹かれたあと、人生を豊かにする芳香を運んで人間を祝福し続けることだろう」
令和の時代になっても日本人の心の片隅には、武士道精神が根強く残っています。己に勝ち強靭な精神力を培い、この混迷した時代をいかに生きるかを考えるにはよい本と思います。「本書に優る”日本精神の救済”はない!」と書かれている通りです。