中小企業が日本を救うbusiness-doctor-28

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休日の本棚 「自分」の壁

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おはようございます。

毎日、新型コロナウイルスの新規感染者数を挙げていますが、このところ毎日のように過去最多を更新しています。新規感染者数の多寡で一喜一憂するのもどうかと思っていますが、このところの急増は尋常ではありません。

昨日の新規感染者数は、全国で15678人と過去最多となり、東京463人、福岡170人、沖縄71人、兵庫62人など各地でこれまでの過去最多を更新しています。大阪でも216人の新規感染者が出ています。これは過去2番目に多い数字でそのうちの146人が感染経路不明者です。こうした中、無策の政府に対し、各地方自治体で独自の対応を取ろうとしています。東京都の小池知事は「都独自の緊急事態宣言を発することも考えざるを得ない」と危機感をあらわにし、「都内全域の酒類を提供する飲食店とカラオケ店に対し営業時間を22時までに短縮する」ように要請しました。大阪府の吉村知事は、「大阪ミナミの特定地域にある夜の接待を伴う飲食店、酒類を提供する飲食店に午後10時までの営業時短、対策を行っていない店に休業要請を出す」ことを決定しました。このようなピンポイントでの要請がどこまで効果を出すかは見てみないと分かりませんが、ミナミから追い出された若者がキタや他の地域に繰り出し感染を広げることにならなければよいがと危惧します。そのほかにも、岐阜、沖縄などで県独自のl緊急事態宣言を発出したり、緊急事態宣言の発動を検討しているところもあります。何もしない政府に対し各知事が反乱を起こしているように見えます。

政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会は、感染状況を4段階に分け、必要な対策を検討する考えをまとめました。その4段階とは⑴感染ゼロ散発段階=感染者が散発的に発生する者の医療体制に支障がない段階 ⑵感染漸増段階=感染者が徐々に増え医療体制に負荷が蓄積巣つつある段階 ⑶感染急増段階=感染者が急増し医療体制に支障が出る段階 ⑷感染爆発段階=爆発的な感染拡大で医療体制が機能不全に陥っている段階の4つです。大半の地域は第1段階、東京・大阪などは第2段階というようですが、もはや⑶の「感染急増段階」に入ってきているように思います。ここでは、感染悪化を判断する指標や対策の具体化は示されていません。分科会も政府の御用会議になってしまった感が否めません。

さて、今日は養老孟司著「『自分』の壁」(新潮新書)を紹介します。養老孟司氏は、東京大学名誉教授(元東京大学医学部教授)で「バカの壁」「唯脳論」など、専門の解剖学、科学哲学から社会時評まで幅広い著作を出されています。

本書では「『自分探し』なんて無駄なこと。『本当に自分』を探すよりも『本物の自信』を育てた方がいい。脳、人生、医療、死、情報、仕事などあらゆるテーマについて、頭の中にある『壁』を超えたときに新たな思考の次元が見えてくる」として、「最初から最後まで目からうろこの指摘が詰まった一冊」になっています。2014年に発行された本で若干古いですが今でも読む価値はあります。

まず、本書のテーマですが、「自分が何だか世間と折り合いが悪いけど、いったい何が問題なんだろう」という養老氏のテーマ、この点を突き詰めて考えているのが本書です。本書は第1章から第10章までの10のテーマで構成されています。

第1章 「自分」は矢印に過ぎない

第2章 本当の自分は最後に残る

第3章 わたしの体は私だけのものではない

第4章 エネルギー問題は自分自身の問題

第5章 日本のシステムは生きている。

第6章 絆には良し悪しがある

第7章 政治は現実を動かさない

第8章 「自分」以外の存在を意識する

第9章 溢れる情報に左右されない

第10章 自信は「自分」で育てるもの

この中から、いくつか養老氏の考えを紹介しておきます。

まず、第1章からです。日本人は欧米からの影響で「自己」「自我」を重要視する傾向が強くなり、何事にも「個性」「独創性」が重視するようになりましたが、そんなものがどれだけ大切かは疑わしいと言うのです。個性というものは、別に「発揮せよ」とか「伸ばせ」というたぐいのものではなく、むしろ押さえつけようとしてもその人に残っているものが個性です。個性は放っておいても誰にでもあります。この世の中で生きていくうえで大切なのは「人といかに違うか」ではなく「人と同じところを探す」ことなのです。そして、「自分」とか「自我」というものは「今自分はどこにいるのかを示す矢印」くらいのものにしか過ぎないと言っています。「自分」とは地図の中の現在位置の矢印程度で、基本的に誰の脳でも備えている機能の1つに過ぎないとすると、「自己の確立」とか「個性の発揮」なんて大したものではないと言うのです。アメリカのような選択を迫る文化とは異なり日本においては「自分」を立てることがそれほど重要とも思えない、世間と「折り合いをつける」ことの大切さを教えた方がいい、と言っています。こうした意見には賛否両論、色々な考えがあると思いますが、養老氏の考えを都に自分で缶あえて見るのがいいと思います。

第2章でも、「本来、人生はどうやって生きて行けばいいか、といったことについての世間の基準、物差しがあるべきなのに、それが揺らいでいる。そのくせ『個性を持て』と言われるから分からなくなる。実際には『本当の自分』なんて探す必要はない」のです。そしてここでは、「本当の自分」は「現在位置の矢印」だから、別にフラフラ動いて構わないと言っています。本来現在位置は動くものです。しかし地図は動きません。年とともに地図は詳しくなっていきます。そして、本当の自分は最後の最後にその地図の上に残っていくということでしょう。

第3章では、ウイルスの話が出てきます。人間の身体には多数のウイルスが存在し体内で共生しています。最初に「自分」を立てる社会の人はこの考えが理解できません。マーギュリスが「我々の細胞は根本的には外来の原核細胞がいくつも住み着いてできている」と1970年に唱えてから20年以上もアメリカの生物学会では「共生」という言葉が入った学会やシンポジウムは開かれませんでした。共生の世界で育ってきた日本ではその考えがすんなりと受け入れられています。人間の腸内には60兆とも100兆ともいわれる細菌がいて共生しています。こうした細菌と共生しているからこそ健康に生きられているのです。こうした共生こそ自然の姿です。そう考えると、「個性を持って確固とした『自分』を確立して独立して生きる」などといった考え方がまったく現実味のないものではないかと言っています。ウイルスとの共生という点を考えれば、新型コロナウイルスと闘い打ち勝つという考えよりもウイルスとの共生を目指すウイズコロナという考えは日本社会において受け入れられやすいのではないでしょうか。

第6章では、「絆」という問題が取り上げられています。ここでは、「日本の場合、絆、共同体の代用品として会社が機能してきたが、ここでも『個』を立てるようになり業績主義や成果主義が出てきた。その方向性が本当に正しいのかは怪しい」と言うことが主張されています。企業が構成メンバーの安定や幸せを考えるなら、欧米式の業績主義や成果主義には無理があり、そのツケは社会に出てくるというわけです。経営に関する現在の考えからすればずれているようにも思いますが、何事も欧米の考えがよいとする昨今の考えに一石を投ずるものにもなっています。日本には日本的な良さがあります。欧米的な考えと日本的な良さのバランスが大事ではないかと思います。

第7章では、政治が取り上げられています。しかし、「政権交代しても日本は良くならない」「選挙はおまじない程度のもの」と言われています。今でも政治と世間は別に機能しているので政治と生活は関係がないと言われています。真面目な人ほど社会の問題を考え「世の中を変えなければ」と思いますが、たいていの人はフラフラして、目の前のことをやるのに精いっぱい、政治に無関心でも、それはそれでいいと言うのです。しかし、今回の新型コロナ禍、政治が生活に直結してきています。養老氏のように政治と生活は無関係と言い切れません。政治の良し悪しが国民の生命・健康に直結します。

第8章では、「自分」以外の存在を意識するということです。ここで「死」についての記載があります。「死」には、一人称の死=「私の死」、二人称の死=「身内や友人の死」三人称の死=「知らない人の死」があります。このうち、一人称の死は、大きな問題のようで、当人にとっては関係ない者だと言います。なぜなら、死んだ瞬間から本人はいないから「私」には関係ないというわけです。見ず知らずの人の死である三人称の死も関係ありません。「関係あるのは親の死や身内、友人の死だけです。「私の死」は大したことないのです。また、自分の意識では処理しきれないものがこの世の中にはたくさんある」ということを体感し「『意識外』の物を意識しなければならない」と言われています。「自分の意識はどの程度信用できるのか」ということを常に疑いを持って考えるということです。決して自分の考え、意識は絶対的なものではないという視点を持つということです。

第10章では、人生は要領よく切り抜けると言うより、もうちょっとゴツゴツしたもの、ある種の苦しさ、つまり負荷があった方が生きているということを実感できるのではないかと言っています。人間関係や仕事に関わることなどの問題は、どこかで自分がこれまでやってきたことのツケである場合が多いのです。常に他人と係わり、状況を背負うと言うことをしているうちに、何となく自分の「身の丈」が見えてきます。何かにぶつかり、迷い、挑戦し、失敗し、と言うことを繰り返しているうちに、「自信」が自然と育ってくるのです。

「自分」とは何か、というテーマに沿って、脳科学・解剖学から政治まで語られていて、面白い内容になっています。養老氏の考えに賛成できるところとそうでないところがありますが、それも当然のことです。 

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