休日の本棚 「原爆」を読む。
おはようございます。
昨日の新規感染者は、全国で1445人、うち東京は331人、大阪195人と相変わらず高止まりしています。島根県ではこれまでの累計31人であったのに昨日1日で92人の感染が確認されました。これは松江市内の高校のサッカー部の寮でのクラスター発生によるものです。また沖縄では159人とこれまでの最多を大幅に更新しました。そのうちの71人は那覇市松山地区の夜の街関連によるものです。石川と茨城ではカラオケ店でクラスターが発生しています。大阪では交番勤務の警察官と交番を訪れた人の感染が確認されています。このほか愛知129人、福岡109人、神奈川61人、埼玉56人、千葉46人、兵庫48人と相変わらず高い数字が続いています。
こうした全国的な感染拡大の中、政府と各都道府県の対応にはかなりの温度差があります。またしても政府の対応の拙さから、国民、特に弱い立場にいる人たちが被害を被らなければよいのですが・・・ソフトバンクグループの孫正義氏が、ツイッターを更新し、「昨日の閣議後記者会見で、(安倍首相は)『感染拡大を防止する必要がある場合には広く検査が受けられるようにする』と述べられた。防止する必要がある場合とはいつなのでしょうか?『今でしょう』と言いたい」と、新型コロナウイルス感染防止をめぐる安倍内閣の対応に疑問を呈しています。全く孫氏の仰る通りです。これでは、またしても第1波の時と同じ轍を踏むことになります。第1波の失敗から何も学んでいないのと同じです。また後手後手に回って遅きに失し、感染を拡大させるだけです。困ったものです。
今から75年前の1945年8月6日は広島に、8月9日は長崎に原爆が投下された日です。8月6日と8月9日に広島と長崎でそれぞれ開かれた平和式典での安倍首相の挨拶の文面が酷似していると、被爆者から「何のために被爆地まで来たのか。馬鹿にしている」と怒りの声が上がっています。同じ平和式典なので文面が酷似するのはやむを得ないところですが、文面の内容は「広島」と「長崎」の地名を入れ替えただけで、段落数や構成、表現も同じです。これはあまりにもひどすぎます。被爆者の方々が憤りを感じられるのは当然です。リーダーに必要なのは、誠意をもって正直に正確にメッセージを伝えることです。国民に寄りそう心をもってメッセージを伝える必要があります。官僚が作成した文面を読むだけならロボットでもできます。被爆者の方々に寄り添う心が欠落しているので、批判されるのは当然です。新型コロナに対する対応においても国民に寄り添う心が欠けています。政治家に必要なのは、自分を犠牲にして、国民のため・国民の利益にのために滅私奉公する姿勢です。
さて、今日は、広島・長崎の平和式典にちなみ、有馬哲夫著「原爆 私たちは何も知らなかった」(新潮新書)を紹介します。
著者は早稲田大学社会科学総合学術院教授で、公文書研究の第一人者です。
私たちは、これまで、「アメリカが原爆を作り、日本を降伏に追い込むためにやむを得ず原爆を使用した」と教えられてきました。しかし、これは完全な虚構です。原爆は、アメリカ、イギリス、カナダの共同研究で作られました。しかもすでに日本は降伏への意志を固めており、原爆を投下する必要がなかったにもかかわらず、戦後の国際政治を牛耳ろうとするトルーマン大統領らの野望のために使われたのです。公文書研究の第一人者である有馬氏が、膨大な資料を基に常識を根底から覆す原爆投下の真実を明らかにしたのが本書です。
広島の原爆死没者慰霊碑には「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから」と刻まれています。これは、「日本は間違った戦争を仕掛け、その罰をして原爆を投下された。こうした過ちを二度と繰り返さないから安らかに眠って下さい」という意味なのでしょうか。これはアメリカ側の論理です。これでは、広島・長崎の被爆者は、罰せられたということになってしまいます。「何の罪も犯していないのに、こんな自虐的な受け止め方は止めましょう」というのが本書の根底にはあります。アメリカGHQによる戦後教育で日本人に植え付けられた自虐的な歴史観について、かつてタレントとして活躍した米国人弁護士ケント・ギルバート氏をはじめ多くの人が警鐘を鳴らしています。例えば、⑴「真珠湾攻撃は日本が戦争法を無視して奇襲を仕掛けた」というのは間違いで「日本は日米戦争を回避しようとしていなのに、アメリカが策略で戦争を仕掛けた」⑵「侵略戦争の共同謀議」や「南京大虐殺」もすべてでっち上げられたもの⑶東京裁判は存在しない法による一方的な裁きであり、A級戦犯なんて存在しない など・・・
今日は「原爆」についてです。
原爆はもともとアインシュタインの理論に始まりますが、当初は軍事目的ではなく平和利用として研究されていました。原爆開発の関わった科学者たちはヨーロッパ、北米と動き回りますが、彼らの目的なナチス・ドイツに対抗しナチス・ドイツよりも早く開発することだったのです。日本に使用するなどと言うことは全く考えていなかったのです。たまたま、原爆が完成した時にナチス・ドイツはすでに降伏し、戦争を行っていたのは日本だけだったのです。日本への使用を示唆したのはイギリスのチャーチル首相でした。ただ、チャーチルが考えていたのは、原爆を軍事目標(基地・軍事施設)に事前通告したうえで投下するというものでした。むしろ、当時は、原爆の使用よりも国際管理、情報公開、資源独占などが議論されていました。では何故、チャーチルは日本への原爆投下をアメリカに進言したのでしょうか?それは、日本に使用することでソ連は自国への威嚇と受け止め猜疑心を抱き、戦後もソ連を排除した米英体制を維持できると考えたからだというのです。
では、アメリカのトルーマン大統領はなぜ、チャーチルの進言を受け入れ日本への原爆投下に踏み切ったのでしょうか?それには国民の絶対的な支持を得ていたルーズベルト大統領の死去が関係します。トルーマンは選挙によって大統領になったのではなく、ルーズベルトの死去に伴い大統領になったので、国民の支持は受けていません。日本への原爆投下で国民の支持を得ようとしたのです。
1945年5月31日米英で暫定委員会が開かれ、多くの委員の反対を押し切り、⑴心理的効果を考え原爆を労働者の住居がある重要軍事工場に投下する⑵投下は無警告で行う⑶ソ連には知らせない などの内容が決定されました。但し、これで日本への原爆投下が完全に決まったわけではありません。日本に対する、「降伏勧告・条件提示」でも動いていました。この中で問題となっていたのが皇室・天皇をどうするかということだったのです。
7月17日から戦後体制を話し合うポツダム会議が開かれますが、7月16日に原爆実験成功の第一報がポツダムに乗り込んでいたトルーマンに伝えられます。この時には、原爆開発責任者でアメリカ陸軍長官スティムソンらは、原爆の無警告使用を避けられるなら、皇室維持条項付きの警告によって日本が降伏して原爆が使用できなくなっても仕方ないという考えでした。この時には、イギリスも無条件降伏を緩め国家の存続や軍事的名誉を守る有条件降伏を認めるようになっていました。ところが、バーンズ国務長官とトルーマン大統領は、真珠湾攻撃に対する復讐芯の強さから、原爆と言う切り札を持ったことで舞い上がり、これを拒否し原爆使用を強硬に主張します。
しかし、スティムソンの粘り腰で、7月26日に、アメリカ大統領トルーマン、イギリス首相アトリー、中国の蒋介石が合意して、皇室維持条項を削除したポツダム宣言(日本に対する無条件降伏を勧告する宣言)が出されました。ところが、日本は即時受諾をせず、東郷茂徳外相はノーコメントを貫きます。ここで即時ポツダム宣言が受諾されていたなら原爆投下は避けられたのではないかと思われます。では、なぜ即時受諾できなかったのでしょうか?この当時、日本はソ連を仲介としてアメリカ側と降伏条件交渉をしていました。ソ連も仲介に乗り気で、アメリカから皇室維持以外に有利な条件を引き出せる公算が強いならそれを選び、ソ連の仲介に見込みがないならあきらめてポツダム宣言を受諾しようと時間稼ぎをするためノーコメントとしたのです。
7月25日の段階でスティムソンの承認を得て原爆投下指令書が出されます。8月1日からの天候がよく効果が目視できる状況の下で、広島、小倉、長崎のいずれかに2発続けて投下することに決まりました。当初は京都という案もあったようですが、最終的に広島、小倉、長崎のいずれかということになったのです。では、なぜ広島と長崎の2か所で2発だったのでしょうか?
広島投下だけでは日本がポツダム宣言を受諾しなかったからというのは違います。実は原爆は2種類あったのです。広島に投下された原爆はウランが原料で、長崎に投下されたのはプルトニウムが原料で、2つは爆発のさせ方も違います。この2種類の原爆が作成され、それを実験的に試したということです。当時、ウラン型が1個、プルトニウム型が7個作られていました。
既に日本は降伏への道を模索しており、広島への原爆投下も必要ありませんが、仮にポツダム宣言受諾が日本の判断の遅れであり広島投下はやむを得ないものとしても長崎投下は全く必要のないもので、ただ実験がしたかったというアメリカ・研究者のエゴによるものです。
長崎・長崎の被爆者は実験台にされたのです。許されることではありません。
戦後、世界は米ソ冷戦構造の中で核保有への道を進みます。これは日本に原爆を使用する前に築いておかなければならなかった国際管理体制がないからです。科学者たちは、原爆開発段階から国際管理体制の必要性を訴えてきたにもかかわらず、トルーマンの個人的感情や大統領としての資質のなさから最初から最後まで学習せず、国際管理体制の必要性を認識しなかったことに問題があります。
本書の最後で、著者は「現在核保有国のトップになっている大統領、元首、首相の顔を思い浮かべてみましょう。彼らはトルーマンより、ましでしょうか。このような過ちを犯しそうになく、人間的欠陥もなさそうでしょうか。彼らの周りには優秀な閣僚、側近、官僚、科学者はいるでしょうか。そうだとしても、国家のトップたちは、彼らの英知に耳を傾け、常に理想的な判断ができるでしょうか」と問いかけています。二度とヒロシマ・ナガサキの過ちを繰り返してはいけません。唯一の被爆国である日本が国際社会で果たせる道があると思います。しかし、アメリカの核の傘の元にいることを理由に核兵器禁止条約に参画しない日本政府はいかがなものかと思います。