中小企業が日本を救うbusiness-doctor-28

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休日の本棚 反応しない練習

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おはようございます

昨日の新規感染者は全国で979人、うち東京は222人で、会食17人、家庭内15人、職場内14人などで約7割弱が感染経路不明者です。連休前の400人超えからすれば随分減っているようにも思えますが、検査件数は連休中ピーク時の5分の1程度だったそうでそれが昨日の数字にも反映されています。また、大阪は184人で、相変わらず20歳代、30歳代が中心ですが、70歳代も約1割程度いるようで、東京同様各世代に広がっているようです。そのほか愛知86人、福岡77人、沖縄65人、神奈川66人、埼玉45人、千葉34人、兵庫36人と減っているのも連休の検査数の少なさが要因のようです。

また、この1週間で熱中症により救急搬送された人は全国で6664人にのぼり今年最多となっています。熱中症も新型コロナ感染症と同じような症状を見せるので、治療に当たる医療機関にとってはかなりの負担になっているようです。充分な水分補給・円分補給に心がけエアコンを利用するなどして熱中症予防にも注意しましょう。

世間では、今日からお盆休みがスタートします。13日から16日までの4日間は、このブログでも休日扱いで「休日の本棚」として本の紹介をします。

今日はお盆休み初日ということもあり、草薙龍瞬著「反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な『考え方』」(KADOKAWA)と言う本を紹介します。著者の草薙氏は、中学中退後16歳で家出・上京、放浪の後大検を経て東京大学法学部を卒業、政策シンクタンクなどで働いたのち得度出家、ミャンマー国立佛教大学、タイの僧院に留学、インドで仏教徒とともに社会慈善活動をするとともに日本では宗派に属さず実用的な仏教の本質を伝える活動をされている異色の僧侶です。

この本で、草薙氏が伝えようとしていることは、極めてシンプルなことです。「すべての悩みは”たった1つのこと”から始まっています。そこさえわかれば、あとは『正しく考える』ことで、どんな悩みも必ず解決できる」ということです。ほとんどの人の悩みは、どれも”心の反応”から始まっています。心がつい動いてしまうこと、これが悩みを作っているのです。すべての悩みを根本的に解決できる方法は、「ムダな反応はしない」ということです。

原始仏教には、多くの人が「仏教」と言う言葉から連想するような宗教的な内容とは全く異なる、実用的で、合理的で、現代にも使える考え方が溢れています。(なお、原始仏教・初期仏教について知りたいというなら馬場紀寿著「初期仏教 ブッダの思想をたどる」(岩波新書)をお勧めします。難しい内容の本ですが)

ブッダの教えとは「心のムダな反応を止めることで、いっさいの悩み・苦しみを抜ける方法」のことで、その内容は、⑴心の反応を見ること ⑵合理的に考えること です。

「⑴心の反応を見る」とは、反応する前に「まず、理解すること」です(第1章)。

ブッダは人間が生涯で体験する悩みを8つの苦しみ(四苦八苦)として表現します。これは生老病死の四苦に愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦の四苦を合わせたものです。ブッダの考えの特色は、「人生にはこうした悩み・苦しみはつきものなのだ」と言う現実を最初に受け入れてしまうところにあります。「私には悩みがある、未解決の問題がある」と「ある」ものを「ある」と理解する・自覚することから始まります。そして「きっと解決できる」と考えるのです。それが仏教でいうところの四諦(苦諦・集諦・滅諦・道諦)です。つまり、①生きることには「苦しみ」が伴う、➁苦しみには「原因」がある、③苦しみは「取り除くことが出来る」、➃苦しみを取り除く「方法」がある、ということです。このようにブッダの考えは、現実を見据えて、その原因を理解し、解決への方法を実践しようというきわめて合理的、科学的な考え方なのです。

草薙氏は、心の状態を見る方法として①言葉で確認する ➁感覚を意識する ③分類するという3つを挙げています。心の状態や身体の状態を客観的に言葉で確認する作業を習慣化することで「反応から抜け出せ」て、心が落ち着きます(①)。次に、手の感覚など体の感覚に意識を向けることで、心が落ち着きます(➁)。この①と②は座禅やマインドフルネスと同じです。次に、心の状態をいくつかに分類することです。貪・瞋・痴の3つに分類するのです。人間の煩悩には貪欲(過剰な欲求にかられている状態)、怒り(不平・不満を感じている状態)、妄想(余計なことを考えてしまう状態)があります。この人間の三大煩悩である三毒を理解することによって自由な心を取り戻すことが出来るのです。

「⑵合理的に考える」とは、目的にかなうように、筋を通して考えると言うことです。

  • 余計なことを判断しない。どんな時も、自分を否定しない(第2章)
  • 不満やストレスといったマイナスの感情で苦しまない(第3章)
  • 他人の視線を気にせず、自分らしく生きる(第4章)
  • 勝ち負けや優劣の拘ってしまう性格をもうやめる(第5章)
  • 心から納得のいく人生を、ここから目指す(最終章)

というテーマについて、ブッダの教えに照らして考えていくようになっています。本書で挙げられているブッダの教え・言葉をいくつが挙げておきます。

  • 目覚めた者は、人間が語る見解、意見、知識や決まりごとに囚われない。彼は、良し悪しを判断しない。判断によって心を汚さない。心を汚す原因も作らない。ブッダは正しい道のみを説く。かくして「わたしが」と言う自意識から自由でいる。-スッタニパータ<心の清浄について>の節 (第2章)
  • 人は3つの執着によって苦しむ。①求めるものを得たいという執着(だが叶わない)➁手にしたものがいつまでも続くようにという執着(だがやがて失われる)③苦痛になっている物事をなくしたいと言う執着(だが思い通りにならない)である。では、これらの苦しみが止むとは、どういう状態なのだろうか。それは、苦しい現実そのものではなく、苦しみの原因である”執着”が完全に止んだ状態でなのだ。-サルナートでの五比丘への開示 サンユッタ・ニカーヤ (第2章)
  • 正しく理解する者は、「自分が正しい」と思うこと(慢)がない。だから、苦しみを生み出す「執着の巣窟」(わだかまり)に引き込まれることはない。-スッタニパータ<あるバラモンとの対話>の節 (第2章)
  • 「自分は優れている」とも「劣っている」とも「等しい」とも判断するな。様々な言葉を受けても、自分の価値を判断しないようにせよ。さまざまな煩悩(評価・計らい・判断)が消滅した境地こそよろこびである。その者はすでに勝利している。他者に負かされることは、もはやない。ースッタニパータ<論争について>の節 (第2章)
  • これこそが正しいと主張することを、わたしはしない。見解への執着を、ただの執着であると理解して、他者が陥るあやまちをあやまちと理解しつつも、囚われることはない。わたしは自らの心の状態を見つめて、心の平安と澄明さを保つ。-スッタニパータ<あるバラモンへの返答>の節 (第3章)
  • 世界は永遠か、終焉があるか。有限化、無限か。霊魂は存在しているか、しないか。死後の世界があるのか、ないのか。私はこれらのことを、確かなものとして説かない。なぜならそれは、心の清浄・安らぎという目的にかなわず、欲望ゆえの苦痛を超える修行として、役に立たないからである。私は、これらの目的にかない、役に立つことを確かなものとして説く。それは生きることは苦しみを伴う。苦しみには原因がある。苦しみは消すことが出来る。そのための道があるということー四聖諦ーである。-弟子マルンキャプッタへの教え (第3章)
  • 無明(無理解)の状態において、心は反応する。刺激に触れたとき、心は反応して、感情が、欲求が、妄想が結生する。結生した思いに執着することで、ひとつの心の状態が生まれる。その心の状態が新たな反応を創り出す。その反応の結果、さまざまな苦悩が生まれる。-菩提樹下の縁起順観 ウダーナ (第4章)
  • 人は自分の体験に優れた成果を見て、それ以外の者たちを劣ったものとみなす。それこそが、苦しみを生む執着であると賢者は悟る。自分と他人を比べて「等しい」とも「劣っている」とも「優れている」とも考えてはならない。それらは新たな苦しみを生むからである。-スッタニパータ<最上なる思考について>の節(第4章)
  • 心の内側を見ず、外の世界にばかり反応している人は、欲望に流される。心の内側も、外の世界もよく理解して、煩悩に覆われないクリアな心で見る人は、欲望に流されないー弟子ラクンタカの告白 テーラガーター (第5章)
  • 道の者よ、迷いに満ちた己の心の状態に気づくがよい。そこには5つの妨げがある。すなわち、①快楽に流される心 ➁怒り ③やる気の出ない心 ➃そわそわと落ち着かない心 ⑤疑いである。気づくがよい。このような心の状態では物事をよく理解することも、正しく考えることもできない。ゆえに苦しみの連鎖はいつまでも続くであろうと。-若き修行者への訓戒 マッジマ・ニカーヤ(第5章)
  • 何時は、何ものにも頼る必要はない。この世界でただ自らをよりどころとして、他の何ものもよりどころとしない(依存しない、執着しない)ことだ。正しい生き方(ダルマ)をよりどころにして、他に移ろうもの、人間の思惑や言葉にすがらないようにせよ。-アーナンダへの励まし ブッダ最後の旅 マハーパリニッバーナ・スッタ (最終章)
  • 人は何かを求めて生きている。だが、求めると言うことには二種類あるのではないか。つまり、間違ったものを求めることと、正しいものを求めることだ。間違ったものを求めるというのは、老いと病と死という”喪失”を逃れられない人間でありながら、いつまでも老いず、病まず、死なないことを求めることではないか。正しいものを求めるというのは、この間違いに気づいて”喪失”を乗り越えた、人間的な苦悩から離れた生き方を求めることではないか。今の私は 間違ったものを求め生きているにすぎない。-ゴータマ若き日の苦悩 アングッタラ・ニカーヤ (最終章)
  • あたしは、老いゆく心を、老いのない心へと変えよう。苦悩する心を、静かな心へ、安らぎへ、最高の納得へと変えていこう。-元墓守の長老スッピヤの言葉 テーラーガーター (最終章)
  • 私は正しく思考しなかったから、自らを飾り、いつも動揺して、ふらふらと彷徨い、欲望に翻弄されていた。ブッダの巧みな導きにより、私は正しく実践し、求めてさまよう人生をようやく抜け出した。-仏弟子ナンダの告白 テーラーガーター (最終章)

草薙氏は、「心を清浄にする修行」を突き詰め、究極の安らぎにたどり着こうとすれば、快も不快も含めて一切の反応をしてはいけないことになります。そういう境地を目指すというのは、一つの方向性であっても、全ての人に共通する目標とは言えません」と「不幸になりたくなければ不快な反応はしない」「幸せになりたければ快の反応を大切にしてよい」と言います。欲望を素直に、否定することなく、満たしてあげることが幸せへの道だと言ってくれています。欲望・快を追いかけていいのですが、他人の評価を追いかけてはいけないのです。他人の目はどうでもよい、自分がなすべきことに集中してやり遂げる。それだけでよいのです。

 

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