休日の本棚 大世界史
おはようございます。
昨日の新規感染者数は全国で644人、うち東京187人、大阪120人、神奈川82人、愛知48人、福岡25人などとなっています。一旦減少傾向に転じたものの下どまりしているような状況です。大阪では堺市の児童施設でクラスターが発生しています。このような中で、政府の分科会は、GoToトラベルの東京除外を撤廃し、更には大規模イベントの制限も緩和することを決定しました。まだまだ注意が必要な段階で緩和するのはいかがなものかと思います。昨日も書きましたが、全国で200人を下回り東京で50人を切るようになって初めて新型コロナの収束・出口が見え始めたと言えるように思います。経済とのバランスも大切ですが、これから秋・冬に突入しインフルエンザと新型コロナとがダブルで襲ってきます。こうなると重症化リスクも高まるように思います。秋・冬までにもう少し抑え込んでおかないと大変な事態になりそうです。ここで緩和すれば再び上昇に転ずる気がしてなりません。杞憂で終わるとよいのですが。
さて今日は、池上彰・佐藤優著「大世界史 現代を生きぬく最強の教科書」(文春新書)を紹介します。5年前の本で新書とは言えませんが、まだ読む価値はあるように思います。各地で様々な紛争が勃発する現代は、さながら新たな世界大戦の前夜と言っても過言ではありません。新型コロナウイルスの世界的な蔓延でこうした世界情勢から目が背けられていますが、米中対立、米ソ対立、中東問題など水面下では着々と進んでいます。激動の世界を読み解くカギは歴史にあるということで、あの池上彰氏と佐藤優氏が対談的に世界で起こっている諸問題を歴史を紐解きながら説明してくれているのが本書です。世界で起きている出来事は日々刻々と変わり世界情勢も変化していきます。ですから、あえて、具体的な内容には踏み込みませんが、「なぜ、今、大世界史か」と「最強の世界史勉強法」に触れておきます。ここで大事なのは、なぜ、世界史を学ぶ必要があるのか、特にビジネスパーソンにとってなぜ世界史を学ぶことが大事なのかということです。
池上氏は「時代背景を知っておかないと、現在の出来事もなかなか読み解けない」と言い、佐藤氏も「世界史をただ漠然と学んでも、何の意味もない。歴史を博物館の陳列物のように扱っては面白みもない。歴史は現代と関連付けて理解することで初めて生きた知となる」と言っています。佐藤氏が言われるように「歴史というものは、過去のわれわれの遺産を承継し、次の世代に伝えていくこと。その際、良い遺産は継承し、悪い遺産は批判的に継承するか、あるいは遮断する」ということです。歴史を知ることから、過去の成功と失敗を学び、成功は継承し、失敗はその原因を探求し、再び失敗を繰り返さないように努めるということが大切なのです。
一人の人間が人生の中で経験できることには限りがあります。歴史を学ぶことによって、自分では実際に経験できないことを「代理経験」できるのです。こうした「代理経験」を積むことは、単なる娯楽に留まらず、より直接的に、人生の役に立ちます。論理では計り知れない、現実の社会や人間を理解するための手がかりになります。また、歴史を知ることで生きていくための「自分」を知ることができるのです。佐藤氏は「読書や歴史を学ぶことで得た代理経験は馬鹿にできるものではない。この代理経験は世の中の理不尽さを経験することでもあり、社会や他人を理解し、共に生きるための感覚を養ってくれる」と言っています。
池上氏も「歴史を知ることが『自分』を知ることだとするならば、その『自分』は『個人としての自分』だったり『組織に所属する自分』だったり『地域社会で暮らす自分』だったり『消費者としての自分』だったり『日本人としての自分』である。そういう『自分』をよりよく知るには日本の歴史だけでは十分ではない。世界の歴史の中に位置づけなければ、『日本人としての自分』もどこにいるのかわからなくなってしまう」と言います。日本の歴史を考える場合も世界の歴史の中に位置づけて考える必要があるのです。そうすることで「自分」ひいては「日本人としての自分」の立ち位置が分かるのです。
「歴史はつまらない」「日本史でも世界史でも過去のことを覚えても意味がない」と言う人がいます。しかし、両氏が言われているように、歴史は単に過去の出来事や年号を覚えることではなく、「なぜそれが起こったのか」「そこからどのような教訓を得ることが出来るのか」「その教訓を現代にどのように生かすことが出来るのか」を学び考えることなのです。
「私たちはどこから来て、どこへ行くのか」(池上彰著「おとなの教養」)、つまり自分の立ち位置を知るために必要になるのが教養であり知恵です。知識はあるに越したことはありませんが、本当に必要なのは知恵であり教養なのです。教養とか知恵というのは「自分を知ること」です。歴史を学ぶというのも自分を知るための一環なのです。
それではどのようにして歴史・世界史を学べばいいのでしょうか。この本の最後に述べられているのが高校の世界史の教科書です。特に世界史Aの教科書です。世界史Bは大学受験用で巨大な年表のようですが、世界史Aは受験の縛りがないので著者たちが自由に書いています。その中でも最も勧められているのが、第一学習社の世界史Aの教科書です。歴史の教科書と言えば山川出版社ですが、これは辛うじて第3位ということのようです。第一学習社の教科書がよいのは、図版の使い方を始め、現代とどうつながるかを意識して書かれているということです。先ほど来、両氏が言われているように歴史を学ぶのは現代を知るためですから、現代とのつながりが書かれているということは現代を知る上での手掛かりとなります。世界史Bをベースとした受験教材「ナビゲーター世界史B」(山川出版社)「世界史B講義の実況中継」(語学春秋社)なども勧められています。また佐藤氏は「リクルートの受験サプリの動画サイト」もよくできていると言っています。
私がお勧めなのは、ムンディ先生こと山﨑圭一著「一度読んだら絶対に忘れない世界史の教科書」(SBクリエイティブ)です。山崎氏はYouTubeで「世界史20話プロジェクト」などを配信している公立高校教諭です。この本は、年号が全く登場せず、ヨーロッパ、中東、インド、中国を4つの地域を主役に1つの物語風に説明されているので、世界史の流れがすっと頭に入ってきます。流れを掴むにはよい本です。
また、両氏は、映画を見たり読書したりすることも歴史を知るうえでよいと言っていますが、映画や小説は必ずしも真実を表しているわけではありません。司馬遼太郎氏の歴史小説がビジネスパーソンらには大人気ですが、小説なので事実に反し虚構されているところが多数あります。それをあたかも歴史の真実のようにとらえることはしていけません。それはあくまでも小説なのです。小説だと割り切ることが大切です。しかし、人間が個人的に経験できることは限られているので、映画や小説・読書によって「代理経験」を積むことで視野を広げることが出来ます。この種の代理経験でしか学びようのないこともあります。大切なのは映画や小説で描かれている場面や事実ではなく、そこから導き得られる教訓です。
現在の高校教育では世界史は必修ですが、日本史は選択科目となっています。日本人が日本の歴史を知らなくてよいのでしょうか。世界史と日本史の二本立てが必要ですが、別々に教えるのではなく世界の歴史の中に日本を位置づけることが重要に思います。こうした観点からお勧めしたいのは島崎晋著「一気に同時読み!世界史までわかる日本史」(SB新書)です。
世界史や世界史の中に位置づけられた日本史は、ビジネスパーソンだけでなくすべての人が生きるうえで「自分」を見つめなおすうえでも大切です。
歴史が自分を知るためにあるとすれば、それは日本史や世界史だけに留まりません。家族の歴史であったり、地域の歴史であったり、自分を知るための歴史はさまざまです。ビジネスパーソンであれば、会社の歴史・社史重要です。過去にどういうことがあったか、不祥事があったとすればどう書かれているか、ごまかしているか、その原因は何か、などです。「歴史を学ぶ」だけでなく「歴史に学ぶ」ことが出来ます。自分が人生の局面に立たされた時にどう対処すればいいのかの手がかりを歴史が教えてくれます。