中小企業が日本を救うbusiness-doctor-28

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休日の本棚 「悪知恵」のすすめ

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おはようございます。

昨日の新規感染者は全国で、そのうち東京215人、神奈川65人、埼玉30人、千葉37人、愛知97人、大阪143人、沖縄32人、北海道81人などとなっています。北海道では札幌ススキノの接待を伴う飲食店でクラスターが発生するなどして2日連続で過去最多を更新し、感染拡大が止まりません。愛知では8月21日ぶりに90人を超え小規模なクラスターが県内全域に広がっていると注意を呼び掛けています。大阪は、感染流行の第2波が襲った8月中旬並みに増え、10月下旬からクラスターが相次いでいます。朝日新聞のデータによれば、陽性率が東京では前週と今週とでほとんど変化がないのに(前週3.4%→今週3.5%)、大阪では、前週4.0%から今週5.6%と大幅に上がっています。吉村・松井の両氏が都構想で浮かれ、新型コロナの感染防止対策が後回しにされているからです。

今日、大阪と競争の住民投票が実施され即日開票されます。

大坂でも、多くの企業がコロナ禍で苦境に立たされています。都構想の住民投票に要する費用は約10億円です。また都構想の初期費用は241億円とも464億円とも言われています。それらの費用をかけてどれだけのメリットがあるのか疑問です。現状維持か都構想かという点ではそれぞれメリット・デメリットがあり容易に判断できません。ただ、言えることは今このタイミングで行うことではなかったということです。今は新型コロナ対策が最優先で、都構想にかける費用があれば、コロナ禍で苦しむ人や企業に回すべきだったのです。大阪維新の会は、新型コロナでの吉村人気にあやかろうと、またコロナ禍で反対者が多い高齢者が住民投票に行かないことに賭けて強硬に住民投票に踏み切りました。これまで反対の立場をとっていた公明党も、根っからの節操のなさから吉村人気に便乗し、都構想の住民投票が実現しました。大阪市民のどれだけが都構想のメリット・デメリットを認識しているかは不明ですが、ほとんどの人が分かっていないのではないかと思います。一旦都構想が住民投票で可決されると、失敗だったからといって元に戻すことはできません。慎重な判断が求められるのです。コロナ禍のどさくさに紛れて行うことではなかったのです。賛成派も反対派もしっかりとした議論を尽くして将来に禍根を残さないようにしたうえで住民投票を実施すべきだったのです。と言ってもすでに住民投票が始まっています。先ほども言いましたが、今はそのタイミングではありません。私自身もどちらがいいかは判断突きかねています。しかし、「今はそのタイミングではない。新型コロナ対策こそ最優先」なので、先送りするために反対票を投じました。

さて、今日は鹿島茂著「ラ・フォンテーヌの寓話に学ぶ処世訓 『悪知恵』のすすめ」(PHP文庫)を紹介します。

イソップ物語」については誰でも一度は読んだ話があると思いますが、ラ・フォンテーヌの寓話については読んだことがない人がほとんどです。私も、名前は聞いたことがありましたが、読んだことはありません。ラ・フォンテーヌは、17世紀のフランスの詩人で、イソップ物語を基にした寓話で知られています。帯に「毒と妙薬に満ちた大人のための座右の寓話」とあるように、イソップ物語と同じ題材を使いつつも辛らつです。ここにフランス人の考え方が読み取れます。

本書の著者の鹿島茂氏は共立女子大学明治大学の教授を歴任したフランス文学の研究者です。本書は、ラ・フォンテーヌの寓話を題材に、そこから読み取れる名言を紹介してくれています。もともとは2013年に刊行されましたが、文庫化されるにあたり、加筆・修正され、安倍政権などの政治に対する皮肉的な一言が添えられていて面白くなっています。

その中からいくつか紹介します。「イソップ寓話集」も「ラ・フォンテーヌの寓話」もいずれも岩波文庫の引用です。

  • キツネとブドウ・・・イソップでは「腹をすかせた狐君、支柱から垂れ下がる葡萄の房を見て、取ってやろうと思ったが、うまく届かない。立ち去り際に独り言、『まだ熟れていない』 このように人間の場合でも力不足で出来ないのに、時のせいにする人がいるものだ」とあります。ラ・フォンテーヌでは「ガスコーニュ生まれのキツネが、ノルマンディー生まれだという人もいるが、お腹が空いて、ほとんど死にそうになっていた時、ぶどう棚の上に、明らかに熟しきって、紫色の皮に覆われた葡萄の実を見た。ぬかりない奴は、喜んでそれで食事をしたかったのだが、手が届かなかったので、「あれはまだ青すぎる。下郎の食うものだ」と言った。ぐちをこぼすよりもましなことをいったではないか。」となります。手が届かない富や地位を羨むのは愚の骨頂で、そんなものは「下郎の食うものだ」と馬鹿にしておけばいい。実際、フランス人の庶民は、こうした負け惜しみ思考法で豊かでなくても十分幸せでいられる。負け惜しみこそ精神の健康法だというわけです
  • クマと園芸の好きな人・・・これはラ・フォンテーヌのオリジナル。山奥に一人住み友が欲しいと思っていたクマと、話ができる友が欲しいと思っていた園芸家が意気投合して一緒に生活を始める。クマは時々狩りに出かけるが、主な仕事は園芸家が昼寝しているときに顔に付きまとうハエを追い払ってやること。ある日のこと、クマがハエを追い払ってもハエはすぐに舞い戻ってくる。クマは次第にいらだった。「『きっとつかまえてやるぞ』と彼は言う。『そら、こんなふうにだ』言うやいなや実行。忠実なハエ追いは、敷石をひっつかみ力一杯に投げつけて、ハエをつぶすと同時に男の頭をぶちわった。かくて、推論は下手だがすぐれた投手のクマは、男をその場で即死させてしまったものだ」 この寓話から発生したフランスの表現に「クマの敷石」というのがあり、「いらぬおせっかい」という意味だそうです。ラ・フォンテーヌは、この寓話の後に「無知な友ほど危険なものはない。賢明な敵の方がずっとまし」と付け加えています。本書で鹿島氏は「長期政権となった安倍内閣では、首相側近という『クマ』達が新型コロナ禍の解決策と称して、さかんに『クマの敷石』を投げつけているようだ。まさに『無知な友ほど危険なものはない』」と言っています。
  • カラスとキツネ・・・肉(ラ・フォンテーヌではチーズ)を咥えたカラスが木の枝に止まっているのを見たキツネが、それをせしめてやろうとキツネがカラスにお世辞を言う。気を良くしたカラスは大きく口を開き「カァー」と鳴き、肉を落としてしまう。まんまと騙されたカラスにキツネが言う。イソップでは「烏さん、あんたに心があったなら、万鳥の王になるのに何の不足もなかっただろうに」となっていますが、ラ・フォンテーヌでは「ご親切なお殿さま、覚えていることですな。へつらい者はみんな、いい気になる奴のおかげで暮らしていることを。この教訓は確かにチーズ一つの値打ちは十分」となっています。騙し騙されは人生にと言って絶対に回避できないから、損害の軽い段階でペテンに引っかかり悔しい思いをしておく方がいいということです。鹿島氏は、「安倍政権の打ち出した、アベノマスクや『うちで踊ろう』動画などの新型コロナ対策ほど、この寓話の正しさを証明するものはないだろう。補佐官というおべんちゃら集団を相手にしてドーダしていた孤独なおぼっちゃま首相の心のメカニズムを覗いて見れれば、この寓話の正しさがよく分かるにちがいない」と言っています。
  • オオカミと小ヒツジ・・・これもラ・フォンテーヌのオリジナル。澄んだ小川の辺で、一匹の小ヒツジが喉の渇きをいやしていた。そこに腹が減ったオオカミがやってきて声をかけた。「おい、子羊。なんで貴様は俺の飲み物を濁らせたりなんかするんだ。図々しい奴だ」などと因縁をつける。これに理屈で対抗しても無駄な努力だ。どちらが正しい正しくないよりも以前に力関係で正誤は決まっている。「『いいか、お前たちヒツジは、俺が嫌いだそうじゃないか。ヒツジも羊飼いも牧羊犬も、みんな俺のことが大嫌いなんだ。とにかく俺はそう聞いている。だから、俺としては、ここで自らの屈辱を晴らし、仇を取らなきゃいけないと、こういうことになるわけだ』そう言うが早いか、オオカミは小ヒツジにがぶりとかみつくと、そのまま森の奥へ連れて行って、むしゃむしゃと食べてしまったとさ。」 もっとも強い者の理屈は常に正しいというわけだ。鹿島氏は、「もっとも強い者の理屈は正しい、としても、そのもっとも強い者も、新型コロナウイルスにはかなわないというのが、今年証明されたこと。中国もアメリカも、金で解決できなかったのだから」と言っています。アメリカ大統領選も3日後に迫りどうなるのでしょうか。
  • ツバメと小鳥たち・・・ラ・フォンテーヌのオリジナル。多くの国を旅して経験豊かなツバメが、一人の農夫が畑に麻の種を蒔いているのを見て、小鳥たちに警告した。成長した麻からは小鳥たちを一網打尽にする網や罠が作られるから、今すぐ種を食べてしまえと。だが、小鳥たちは野原には麻の種を食べなくても他に餌はいっぱいあるので、ツバメの警告を相手にしなかった。かくしてツバメの警告は現実となり、小鳥たちは麻から作られた網や罠で一網打尽にされてしまった。ラ・ファンテーヌの教訓は「私たちは本能に耳を傾けるにしても、それは自分たちの本能だけ。わが身の不幸は、それが本当にやってきた時でなければ信じないものである」というものだ。わが身の不幸は降りかからなければわからないということだ。鹿島氏は、「7年続いた『アベノミクス』で財政赤字は、天文学的数字に膨れ上がったが、もう誰も財政再建などと言わなくなった。増税したらこちらも地獄を見ることは明らかだからだ。・・・破綻はいつかは来る。『小鳥たち』は決して信じないだろうが。」と言っています。
  • ライオンとブヨ・・・いつもうるさくつきまとうブヨにライオンが怒りを爆発させて「立ち去れ。虫けら、大地の滓め」と怒鳴った。すると、この屈辱にブヨが逆上して「百獣の王と言うが、俺様は怖くないぞ。牛はお前より大きいが、俺の想いのままだ」と宣戦を布告した。ブヨは大空高く舞い上がったかと思うと急降下してライオンの首を攻撃し、さらに背中を、鼻を、鼻孔の中まで攻撃した。ライオンは怒りと痛みで爪と歯をむき出して暴れまくるが、いたずらに自分を傷つけるだけで、疲れ果て降参する羽目になった。ブヨは、誇らしげに勝利のラッパを吹いて自分の栄光を方々に知らせに行こうとするが、その途中で、目に見えなかったクモの糸に引っかかり、哀れ、待ち伏せしていたクモに貪り食われてしまったとさ。ラ・フォンテーヌの教訓は2つ。「一つは最も恐るべき敵は、時として最も矮小な敵であるということ。もう一つは、大きな危険を免れることが出来た者がつまらぬことで身を亡ぼすということがあるということ」 鹿島氏は「『最も恐ろしい敵は、時として最も矮小な敵である』という教訓はコロナ禍で証明されてしまった。(もう一つについて言えば)コロナ禍という最大の脅威を克服した後にこそ、最大の危機が待っているのかもしれない」と言っています。
  • ワシとイノシシとネコ・・・森の中に一本の樫の木があり3つの空洞があって、一番上にワシが、真ん中に猫が、一番下にイノシシが住んでいた。猫が邪心を起こして独り占めしようとワシとイノシシに不埒な考えを吹き込んだ。ワシには「イノシシの奴が土を掘り返してこの樫の木を倒すつもり。そうなれば子供たちもみんな死んでしまうのよ」と吹き込み、イノシシには「ワシがあなたの赤ちゃんを狙っているわ」と吹き込みます。ワシとイノシシは留守の間に子供が攫われるかもしれないと思い餌を取りに出かけることが出来なくなり、飢えて子供たちは死に、悲しみのあまり親たちも死んで、猫はその両方の家を手に入れ、悠々と暮らし、子孫も繁栄したとさ。ラ・フォンテーヌの教訓は世の中には偽りの噂を流す悪意ある人間がいるということだ。鹿島氏は、「コロナ禍においても、日本中で、いや世界中で、ネコのような人物は確実にいて、寓話と同じような悪意ある噂をSNSで拡散しているのだろう。『簡単に信ずるな!』」と言っています。
  • 羊飼いになってしまったオオカミ・・・あまりにも近所をうろつきすぎたために顔を覚えられたオオカミ、羊飼いのギヨが服を脱いで番犬と一緒に若草の上で居眠りをしているのを見て、その外套を盗むことにした。オオカミは帽子もかぶり、羊飼いに化けることに成功し、羊たちは群れごとオオカミの棲み処に連れて行かれそうになった。しかし、調子に乗ったオオカミは、声まで真似しようとしてすべてをぶち壊してしまった。オオカミの吠え声を聞いたヒツジが驚いたばかりか羊飼いのギヨも番犬も目を覚ましたからだ。ラ・フォンテーヌの教訓は「オオカミはオオカミらしく振る舞うのが一番。それが最も間違いのないやり方だ」ということ。鹿島氏は「菅直人菅直人らしく振舞え。小泉純一郎のまねをしても無駄なこと。菅直人らしく振舞うとはどういうことか。実はこれが最大の問題なのである。というのも菅直人にもそれが分かっていないからだ。『ぼくって何?』一国の首相にそんな言葉を吐いてほしくない』と言います(これが書かれたのが東日本大震災直後)。そして、「国難というのは一国の指導者の人間的力量を測る秤のようなものであるらしい。コロナ禍で、安倍首相のそれが恐ろしいまでに露呈されてしまった」と言っています。

これら以外にもいろいろな寓話が紹介され、そこからの教訓が語られています。寝転びながら読んでよいような本なので面白く読めると思います。

鹿島氏は、ラ・フォンテーヌの寓話がイソップほど日本で親しまれていないのは、性善説を信じる日本人と性悪説を信じるフランス人の思考法が対照的だからではないかといいます。性善説を信じたいところですが、昨今の情勢を見ていると、人間の本質が善だと思えなくなります。性悪説的な考えに立つことも必要なような気がします。その意味でフランス人的な考えは参考になりそうです。

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