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休日の本棚 三島由紀夫没後50年(1)

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おはようございます。

昨日の新規感染者は全国で2596人で4日連続で過去最多を更新しました。その内訳は、東京539人、神奈川193人、埼玉173人、千葉109人、愛知211人、大阪415人、兵庫153人、北海道234人などとなっています。東京、埼玉、千葉、大阪、兵庫、岩手(15人)、茨城(66人)、愛媛(20人)の8都府県で過去最多を更新しています。

政府分科会からの提言を受け、菅首相も漸く重い腰を上げ、GoToの見直しを表明しました。GoToトラベルについては、感染拡大地域への旅行の新規予約への適用を一時停止し、GoToイートについては「原則4人以下」とするとともにプレミアム付き商品券の新規発行やポイント利用の一時停止などです。しかし、それらは知事の判断に委ねる形になっています。菅首相周辺は「GoToを見直すかどうかは知事の判断。国としては事業を止めるわけではない」などと発言し、「GoToの失敗」と追及されないように予防線を張るなど姑息な手段を取っています。菅首相は「国民の命と暮らしを守るために自治体と緊密に連携しながら、これらの対策に全力で立っていく」と言いながら、責任逃れの道を模索していると言ったところです。小池百合子東京都知事は、「しっかりと国の方で判断いただきたい。それが責任だ」と述べ、「国が責任を持って判断すべきことだ」との考えを示しましたが、まさしくその通りです。

政府がGoToの見直しを含め何らかの対策をとるというのは一歩前進ですが、1週間前に、少なくとも3連休前に具体的な対策が示されていればよかったと思います。昨日の観光地や繁華街に多くの人であふれており、3連休後の感染者数が心配です。

国と各自治体の知事が協議して決めるというならこの先どれくらいの時間がかかるか分かりません。安倍政権時の後手後手に回った対策はもうこりごりです。小池知事が言うように政府の責任と判断で早急に行ってもらいたいものです。

さて、今日は本の紹介ですが、三島由紀夫が壮絶な自決を行って11月25日で50年が経ちます。今年は三島由紀夫没後50年です。そこで、今日は三島由紀夫を取り上げます。

三島が、なぜ1970年(昭和45年)11月25日に市ヶ谷の自衛隊東部方面総監部で一種のクーデターを起こし、割腹自殺を図ったのか、三島の本を紹介しながら、三島の思想を見ていきたいと思います。

三島由紀夫という作家は、何度もノーベル文学賞の候補になり、世界的に最も有名な日本人であり、稀代の天才です。三島の作品も優れた名作ばかりですが、中学・高校時代に手に取りながら、彼の思想的な背景から私自身は馴染めませんでした。没後50年というこの時期に改めて読み返してみたいと思います。

まずは、1970年11月25日に何が起こったのか、について触れておきます。私もテレビや新聞で読み衝撃を受けたのを記憶しています。

なお、事件当日の三島の行動については、三島と親交があり、事件の一報で現場に駆け付けた唯一の外国人記者ヘンリー・S・ストークス著「三島由紀夫 生と死」(清流出版)を参考にまとめました。

事件当日、三島は朝早く起きるとシャワーを浴び入念に髭を剃り、真新しい褌を締めました。前日に書き上げた豊饒の海」4部作の最終稿を封筒に入れてテーブルの上に置きます。午前10時に知り合いのジャーナリストに市ヶ谷に来るように電話をかけました。ほどなくして、盾の会の隊員小賀正義が運転する車が三島を迎えに来ます。三島は鞄を持ち、日本刀を腰に下げ家を出ます。三島は助手席に乗り、後部座席には古賀浩靖、小川正洋、森田必勝が座っています。

三島は、「お前たちは死んではならない。総監が自決しないように動きに注意していろ。それだけだ」と言い、前もって決めていた通り、切腹するのは三島と森田の二人だけ、あとの3人は法廷で証言することを確認します。

午前11時前に車は市ヶ谷の自衛隊東部方面総監部の前に着きます。かねてからの計画通り、三島は「今日は縦の会の例会が開かれることになっています」と総監室に入り、しばらく益田兼利総監と雑談をしたのち、「小賀、ハンカチ」という行動開始の合図で、小賀が総監の背後に回り首を絞め、総監の手足を椅子に縛り猿轡を噛ませます。三島は部屋の中央に立ち、刀身を大上段に振りかぶります。そして、手筈通りに総監室にバリケードを拵え入室できないようにします。お茶を出すために部屋の前に来た沢本三佐は異変に気付き、上司の原一等陸佐に報告、数名がドアに体当たりしてバリケードが崩れ、数人が総監室になだれ込みます。三島は「出ろ」と大声で叫び、刀身を振り下ろします。それでも誰も動かず、三島は「出ろ、出ろ」と叫びながら斬りかけます。退こうとした陸佐は背中を斬られさらに腕も切られ、三島に跳びかかろうとした陸曹は右手首が切り落とされるほどの重傷を負います。そのとき三島の目には狂気が宿っていたと言います。陸佐らは負傷者を携えて、一旦は総監室から退出し、医務官を呼んで治療に当たらせます。その後、山崎陸将補は武器を持たず部下6人を率いて、総監室に入ります。

「出ろ。出ないと総監を殺す」「馬鹿な真似はやめろ」などの応酬があり、三島は一歩前に出て山﨑の顎を狙い斬りつけます。その時、自衛官らによって窓ガラスが割られます。三島は一歩退き、山崎が「要求は何だ。要求を言え」と叫びます。山崎の背後の1人が踏み込んで三島の横にいた森田めがけて跳びかかります。三島は山﨑目がけ刀を振り下ろし、姿勢を低くして避けようとしたものの山﨑は背中を斬られました。将校の1人が森田と格闘になり、3人が三島に襲い掛かりますが、三島は続けざまに左右を斬りつけ3人は腕や肩、背を斬られ負傷します。やむなく山﨑以下7人は退出します。

ドアが閉められ再びバリケードが積まれます。自衛隊側は負傷した山﨑に代わり幕僚副長の吉松一佐が指揮を執ることになりました。

三島は、「自衛官全員を東部方面総監部前に集めろ」と言い、「そんなことはできない」という自衛隊側と怒鳴り合いが続きますが、三島は窓に近づいて要求書を手渡します。

その後、三島は益田総監に歩み寄り、猿轡を緩め「我々の要求を受け入れれば、あなたの安全は保障する。受け入れない場合は、あなたを殺して私は切腹する」と言います。「なぜこんな馬鹿なことをするのか」という総監の問いに三島は答えず、隊員に要求書を読んで総監に聞かせるように指示します。要望書の内容を聞いた総監が「馬鹿馬鹿しい。こんなことをして何になる」と言ったことを無視し、三島は「責任者は誰だ。出てこい」と言って、吉松一佐に「要求書はすでに渡した。そちらが従わなければ総監を殺して自決する」と伝えます。

吉松一佐は幕僚長室で協議に入り、警察に連絡することとし、六本木の防衛庁に決定を伝え、全自衛官の招集も警察の到着を待って行うことに決めました。

三島は総監室で悠然としながら「襟元を緩め、鉢巻きを締めろ」と指示を出し、隊員たちは、日の丸を挟んで「七生報国」と書かれた鉢巻きを締めます。スピーカーが総員招集を告げ、パトカーのサイレンも聞こえました。

「お客さんが大勢パーティーにおいでだ」三島はそう言って微笑みます。

駐屯地の各所から続々と自衛隊員が本館前に集まり、警察のヘリは駐屯地のヘリポートに到着し、新聞社やテレビ局の報道ヘリは総監部の上空に集まり飛行しています。

正午少し前に森田と小川がバルコニーに姿を見せ、垂れ幕を固定して垂らしました。そして、バルコニーから「檄」を撒きます。「檄」の最後には次のように書かれていました。

日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。・・・今こそわれわれは生命尊重以上の価値の存在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ

正午ちょうどに三島がバルコニーに姿を現し、胸壁に飛び乗り、仁王立ちになり手を腰に当てがいます。そして、三島の演説が始まります。しかし、ヘリコプターの爆音や罵声にかき消され三島の訴えははっきりと聞き取れなかったのです。

三島は「天皇陛下万歳!」と三唱して演説を終えました。部屋に戻った三島は「あれでは聞こえなかったなあ」と失望のため息を漏らしました。そして上着を脱ぎ上半身裸になりました。

「やめなさい。そんなことをして何になる」と制止する総監に三島は答えます。「仕方ないのです。あなたは生きてください。このことに責任はないのだから」

三島は靴を脱いで一方に寄せ、森田が長刀を手に取ります。

「やめよ!やめないか」総監が叫びます。三島は無言のまま腕時計を外し、縦の会の会員の一人に手渡します。絨毯の上に正座し、ズボンを緩め押し下げます。何度か深呼吸をし、胸が大きく膨らみます。森田は後ろに回って介錯の位置につきました。三島は刃渡り30センチほどの鎧通しを握ります。小川が歩み寄り毛筆と色紙を手渡そうとしました。自分の血で「武」と書く手筈になっていましたが、三島は「もういい」と断ります。

三島は下腹を少し揉み、そこに切っ先をあてがいます。森田は三島のうなじを睨みながら太刀を振り上げました。手が震え、振り上げた太刀の剣先が震えていました。

三島は、再び「天皇陛下万歳」と3度叫んで、前かがみになって肺の空気を吐き出し、再び大きく息を吸い込むと「ヤァー」とあらん限りの力を振り絞って叫び、胸の空気を吐き出すと同時に刀を腹に突き刺しました。左手を添え、押さえつけながら真一文字に右へ引きます。血がほとばしり流れ雪白の褌を真っ赤に染めます。森田は刀の柄を握り締め振り下ろしましたが、三島の身体が前に倒れるのが早く、森田の刀は床を打ち三島の肩に食い込んだだけでした。三島は絨毯の上にうつぶせに倒れ唸っています。血に染まり腹から腸がはみ出した姿です。

「もう一太刀!」縦の会の3人が叫び、森田は刀を振り下ろしますが、今度は胴を深く斬っただけです。

「いま一太刀!」森田には力が残っておらず、3度目も失敗します。

剣道の心得のあった古賀が森田から太刀を受け取ると、一太刀で三島の頸部を切断しました。三島の首は胴体から1メートルほど離れた所に転がったと言います。

盾の会の4人はその場にぬかずき、益田総監は「拝みなさい」と言って、4人は念仏を唱え、総監も縛られたまま頭を垂れ上半身を前に傾けました。

森田は上着を脱ぎ、正座し、三島に倣って天皇陛下万歳を三唱した後、刀を腹につきたてましたが、腕に力がなく浅く切っただけ、古賀が長刀を一閃させ、森田の首が床に転がりました。

午後零時23分、総監室に入った検視官が三島、森田の死亡を確認し、総監部の一階で記者発表が行われ、三島由紀夫自決事件は幕を閉じました。

ときの佐藤栄作総理は「天才と狂人は紙一重だ。気が狂ったとしか思えない」と吐き捨てるように言っただけですが、三島の盾の会創設や自衛隊での活動に助力していたのはまぎれもなく佐藤栄作だったのです。「何が三島を自決させたのか」、狂人のふるまいと簡単に片づけることはできません。

明日は、三島の思想を見ながら、三島事件の真相について考えたいと思います。