中小企業が日本を救うbusiness-doctor-28

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休日の本棚 「脱」戦後のススメ

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おはようございます。

昨日の新規感染者は全国で4470人、そのうち東京708人、神奈川222人、埼玉198人、千葉148人、愛知304人、大阪847人、兵庫344人、京都121人、福岡285人、沖縄57人、北海道114人などとなっています。GW中の月曜日としてはかなり多い数字のように見えます。また、重傷者は1084人で過去最多となり、4都府県への緊急事態宣言発出から10日が経ちますが減少に転ずる気配はありません。GW中の人出を見ていると、多くの国民に緊張感、危機感がなく、このままでは良くて高止まりと言ったところでしょうか。これには、記者会見などでの菅首相の発信力のなさ、演説力のなさが大きく響いているように思います。国民に丁寧に且つ真摯に熱意を込めて「不要不急の外出を控えるように」訴えることができていません。死んだ魚のような目で覇気もなく原稿を読むように言われても、誰も真剣に聞きません。分かり切ったことですが、リーダーとしての資質に欠けています。政党の派閥の論理で選ばれるのではなく、一国の長は国民自身が選ぶというシステムに変えないと駄目です。

GWも後半に入りました。不要不急の外出は控えて、読書、勉学に励みましょう。

さて、今日は、佐伯啓思著「『脱』戦後のすすめ」(中公新書ラクレを紹介します。著者の佐伯氏は、京都大学名誉教授で社会思想家、専門は経済ですが、現代文明論、現代社会論と幅広く研究・著作を行っています。佐伯氏の思想は右翼と言われますが、大きく分ければ2つです。1つは米国批判、もう1つは近代批判です。本書もこの2つの視点を前提として展開されています。

佐伯氏の思想については人それぞれ、私には納得できるところもあれば、納得できないところもあります。しかし、帯にあるように「進歩という発想と民主主義のあり方が限界を示し、ニヒリズムが世界をおおう時代にあって、よく考えるためのヒントがここにある!」というのは事実です。

今日、日本だけでなく世界は大きな変動期にあります。この本が書かれたのは2017年ですが、その後新型コロナウイルスパンデミックにより、世界の変動は益々激しさを増しています。

世界は、今、大きな『文明の衰退のプロセス』にある。その日本は、実はこの衰退のプロセスの『実験場』になっているのではないか」というのが本書の基本にあります。それは、「日本が戦後、欧米の『近代主義』を無条件に受け入れ、米国に導かれた幸福が『戦後日本の世俗宗教』になったため」だと佐伯氏は言います。ところが、この戦後日本の世俗宗教は、今ではうまく機能していません。世界を見れば日本の平和主義はもはや持たず、アメリカを見れば日米同盟も無条件に信頼できず、民主主義は世界中で問題を起こし、グローバリズムは経済成長を生み出すとは限りません。近代主義は、世界的状況で見れば、衰退に向かっているとしか言いようがないのです。

佐伯氏は、「ハツカネズミのように、あまりあわただしく動き回り、改革や変革を唱えるのをやめて、少し立ち止まってみようといいたい。そのうえで、『現代文明の衰退と混乱』という遠近法をまず設定して、その焦点に合わせて今日の日本を論じたい」と「『脱』戦後のすすめ」というタイトルにしたと言っています。

本書では、トランプ大統領誕生後のアメリカ、テロ、日本経済、改憲問題、安全保障、価値の問題などが扱われています。極めて政治的です。

第Ⅰ章 「進歩」の崩壊

  • アメリカという国は、偽善によって成り立っている。個人の自由、平等主義、文化的多様性、人権の尊重、理性的な討論、こうした者を共有勝ちにするという前提によって成り立ってきた。これは未来へ向けて掲げる限りでは理想となるが、いまここで現実に掲げれば偽善となる(中略)いまだに、グローバリズム近代主義アメリカニズムこそが未来を拓くなどというとすれば、これこそは自分を騙す「嘘」にしかならないだろう。
  • この現代文明の没落の様相を「ニヒリズム」と言い換えても良い。なぜなら、我々は、科学技術の無限の進歩と、やはりまた無限の経済成長を求めているのだが、「何のために」と問えば、そこには全く答えはないからである。
  • グローバリズムナショナリズムの結託を乗り越えることが可能だとすれば、それは、金銭的な競争主義的文化と手を切ることでる。脱成長主義、脱グローバリズム、脱競争主義は、まず金銭的競争主義の文化から脱却することである。それだけが、グローバリズムと排外的ナショナリズムの悪しき結託から、かろうじてわれわれの生の保守を可能とするであろう。
  • 合理主義が生み出した科学や技術は、それ自体が、人間を技術的体系の中に閉じ込め、自由の追求は、まさしく自由競争という極限的自由の中で、人々を競争という牢獄の中に閉じ込めようとしている。近代社会を生み出してきたまさに「自由」と「科学・技術」への無条件の欲望が、我々を「主体」から「従属するもの」へと転換しつつある(中略)差し当たり、この監獄から逃れるすべはない。われわれにできることは、残念ながら、この事態を直視するだけである。

第Ⅱ章 ニヒリズムは超えられるか

  • 西洋文明は、もはや自分自身を支える内的な価値を失ってしまった。その結果、西洋近代の延長上にあるグローバリズムも、自らを支える価値を持たない。かくてグローバリズムが陥ったニヒリズムをこれほど見事に露呈している地域はほかになく、フランスのテロもまさにニヒリズムが生み出した出来事と言わねばならない。
  • アメリカはもはや世界秩序を維持するだけの覇権的な力も影響力も持ちえない(中略)そして、それをもたらしたものは何か。突き詰めれば、冷戦以降、アメリカが猛然たる勢いで進めたグローバリズムであった、というほかない。新自由主義とIT革命、金融改革を伴った経済のグローバリゼーションと世界的な民主主義、人権主義の普遍化、といった事態である。中国の急成長と軍事的強大化を可能とし、又それを刺激した構造的条件は、アメリカによるグローバリズムにあった、ということは間違いなかろう(中略)日本はもはやアメリカを当てにすることはできない。可能な限り、自国で資本を循環できる経済構造へと向かい、可能な限り自主的な防衛を整備していくほか、来るべき「大混乱の時代」をやり過ごす道はないであろう。

第Ⅲ章 民主主義はどこへ行く

  • 議会内閣制のよさは、第一に議会と政党が立派なものであること、つまり政党政治家がそれなりの見識を持ったものであること、第二にその議員で選出された内閣が優れた統治能力を持って長期的に政治指導を行うこと。議院内閣制の成否はこの2つの条件に依存している。議院内閣制がうまく機能するためには内閣を作り出す議会の質が問われる。もっと言えば、議会を構成する政党、とりわけ多数党の性格こそが議院内閣制の行方を左右する。しかし、優秀な能力をもつ議会は極めてまれである。議院が本来の重要な問題についての討論や審議をするよりも、専ら首相や内閣を巡って相争うようになると、結果として全く統治能力のない弱体な内閣が次々と現れては消えていく。かくして議院内閣制のメリットは全く発揮されなくなる。
  • およそ戦争や自然災害や突発的な事変においては「民意」はある方向をとることはあっても、通常状態において「民意」「国民の意思」というまとまったものは存在しない。その内実は多様な利害関心の集積に過ぎない。一つの意思決定は必ず、それなりの不満層を生み出す。利害が錯綜するようになればなるほど、ある決定に満足するのは少数のグループになってしまう。こうして多数が支配するはずの民主主義において、多くの場合、むしろ多数が政権に対して不満を持つことになる。
  • 「国民のための政治」といういかにも民主的で便利な標語を錦の御旗に掲げたとしても、実際には政策は内閣が立案することに変わりはない。そこで絶えず政策を「国民」によってチェックする必要が生じる。そこで「国民の意思」を選挙で反映させようとする。しかし、そもそも「国民の意思」などというものがあるのか。「課題に対する国民意識が高ければ政治の質は向上し、国民意識が低ければ政治の質は低下する」というのは真理のように聞こえるが、「国民意識の質によって左右されるものは真の政治ではない」はずである。政治とは国民意識の低い時にこそ指導性を発揮すべきものである。

第Ⅳ章 日本の悲劇

  • 「生命」にせよ「平和」にせよ、あたかも自明の所与の条件とみなされていた。本来は「生命尊重」や「平和主義」と貼り合わせになった「生命を守る」「平和を守る」ための自己犠牲、すなわち「死」が意識されることがほとんどなくなった。「・・・を守る」ためには「死」を覚悟しなければならないはずである。そうであるとすると「生命尊重」「平和主義」など気安く唱えるわけにはいかないであろう。
  • 歴史認識において中国、韓国に負い目を持ち、平和憲法のもとで防衛においてアメリカに負い目を持つという戦後日本の姿は主権国家としては変則的である。これを思えば、「自国の領土は自国で守る」という「常識」へと戻る以外に道はないのである。尖閣という小さな島が大きな意味を持つのは、この問題がその「常識」を思い起こさせてくれるからだ。
  • 自由や民主主義などの近代的理念の普遍性を巡るアメリカの価値観は、それは世界化するという使命と結びついたものである。そのためには、アメリカは、世界のいかなる場所においても軍事行動を起こす用意があり、それが国益と直接結びついた場合には予防的先制攻撃も辞さない。世界は自由を実現する正義とそれを阻止する悪との戦争であるというユダヤキリスト教歴史観こそがアメリカの価値観の典型であり、また極端な表れである。しかし日本人である我々はこの種の終末論的歴史観とは全く無縁である。ユダヤ・キリスト的価値観も背景もない。そもそも戦後の日米関係は「同盟」などと呼べるようなものでもないし「共通の価値観」で強く結ばれた同盟というものでもない。果たして、この自己欺瞞をいつまで続けるというのであろうか。

佐伯氏は、「そもそもわれわれは『進歩』しているのか。そして、結局、われわれはどこへ向かっているのだろうか」と問いかけています。その答えは、各人が自分なりに考えて見つけるほかありません。

佐伯氏の主張や考えに同調するかどうかは別として、いま世界や日本を取り巻く状況を理解して、自分なりに考えるヒントを与えてくれるのではないかと思います。

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