中小企業が日本を救うbusiness-doctor-28

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休日の本棚 会社は頭から腐る

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おはようございます。

昨日の新規感染者は全国で6054人、そのうち東京907人、神奈川230人、埼玉238人、千葉99人、愛知443人、大阪1005人、兵庫493人、京都146人、福岡472人、北海道248人などとなっています。全国の新規感染者が6000人を超えるのは1月16日以来3か月半ぶり、重傷者1131人、死者数148人(大阪54人、兵庫39人など)はいずれも過去最多です。1日当たりの新規感染者は福島、石川、岐阜、愛知、岡山、香川、福岡、佐賀、大分の9県で過去最多となっています。こうした中、4都府県の緊急事態宣言延長と愛知・福岡の2県の追加が正式に発表されました。しかし、大規模施設の休業要請やイベントへの無観客要請を一部緩和する内容となっています。東京、大阪では、これまでの厳しい要請を継続するようで、妥当な判断でしょう。相変わらず、菅首相の会見は、覇気に欠け、軽い言葉で国民には全く響きません。この期に及んで、まだ「安全安心の大会は実現することは可能」とオリンピック開催に意欲を示しています。選手や大会感染者へのワクチン接種や毎日のPCR検査よりも、国民のワクチン接種こそ優先されるべきことです。ワシントンポストは、バッハIOC会長を「ぼったくり男爵」と評し「世界的大流行の中で国際的な目がイベントを主催することは不合理な決定だ」と日本に中止を決断するように要請し、またニューヨークタイムズは、「日本と世界にとって一大感染イベントになる可能性がある」と指摘し「五輪の在り方を再考すべき時期」と訴えています。今こそ、菅首相はリーダーシップを発揮してオリンピック中止という英断をすべきです。そのようなことを期待しても、菅首相には無理なことは分かっていますが・・・

さて、今日は、冨山和彦著「会社は頭から腐る」(PHP文庫)を紹介します。この本の単行本は2007年に出版され(文庫本は2013年)、若干古いのですが、今でも十分に読む価値はあります。著者の冨山氏は産業再生機構最高執行責任者として41社の企業再生を手掛けています。その企業再生の過程で、経営や企業統治に責任を持つべき人の質の低下を痛感したことが本書執筆のきっかけだったと言います。

この本の帯には「現場が一流でも経営が三流ではもはや生き残れない」と書かれています。かつて日本の高度成長を支えてきた製造業、特に家電を含む電器産業は、世界市場をリードしてきましたが、今や業績を落とし、韓国、台湾、中国のメーカーに追い越されている状況です。原因は明らかにトップの経営力不足にあります。せっかく強い現場を持ちながらそれを活かせていないのです。そのため会社そのものがダメになっています。まさに「会社は頭から腐る」です。それは会社に限ったことではありません。あらゆる組織でそのように言えます。国家でも然りです。一国のリーダーが三流ではもはや国家として生き残ることはできません。まさに今の日本はそのような状況です。今日は政治批判はこれくらいで、この本の内容に戻ります。

トップの優劣が企業業績にそのまま反映されます。それはコロナ禍でもそうです。コロナ禍という危機的状況においてこそリーターの優劣が経営に反映されます。

「トップに問題があるのなら、トップをすげ替えればいい」という単純な問題ではありません。前任者の肝いりや取締役会の総意によって選ばれた人の首に鈴をつけることはたやすくありませんし、仮に首をすげ替えたとしても、後任者は十中八九現在のトップと同様意思決定を満足にできない人物が選ばれてくるだけです。日本の政党政治が派閥の論理に支配された村社会であるのと同様、会社も村社会なのです。

しかし、現在のようなグローバルな経営環境では、市場動向を見ながらバリューチェーンのどこに重きを置くかを的確に判断し、場合によっては事業領域の一部をバッサリと切ると言った決断を下せる人でないと世界で戦える経営はできません。いや、刻々と変化し続ける国内市場でも勝ち目はありません。今までの「村社会の長」的な経営者では太刀打ちできないのです。

例えば、ある事業から撤退するのが正しい経営判断だとしても、その部署出身の役員は反対しますし、現場は強力な抵抗勢力になります。ましてやそれがかつての花形部署であれば、なおさら全社を挙げて激しい突き上げが待っています。そこをどう切り崩し、機関決定にまで持っていき、実行に移せるか、それこそがトップの手腕であり、真の意味での経営力です。それは創業者やその一族であるトップだけでなく、サラリーマン社長にも求められる決断力なのです。

富田氏は、「どんなに時間がかかっても、経営者にふさわしい人材を育成するシステムを社内に作るべきだ」と言っています。企業の長期的繁栄のための意思決定ができ、更にその意思決定を様々な思惑を持った村の人たちを動かして実現させられる強いトップは、一朝一夕では育ちません。ビジネススクールを出てMBAを取得していればいいというようなものではありません。すなわち、こうすれば日本企業の経営力が挙がるというような特効薬はありません。それにはホンモノのリーダーを地道に育てる、あるいは育つ仕組み・環境を作っていくしかないのです。

第1章 人はインセンティブと性格の奴隷である【経営と人間】

  • 経営とは「人間の、人間による、人間のための営為」である。どんなに素晴らしい商品やアイデアや事業モデルを思いついても、人間が集団として整合的に機能し、さらにそれを顧客という人間の集合体が価値あるものとして評価し続けなければ、その営為は継続することはできない。 
  • 会社を構成する様々な人たちが、どんな思いで、どんな背景を背負って働いているのか。顧客や取引先はどんな動機づけで、腹の中ではどう思って我々と付き合っているのか。平時、有事を問わず、そこに関わる人々は根っこのところでどんな気分、どんな動機付けで仕事をしているのか、その気分、動機づけと会社が全体として目指そうという方向性はかみ合っているのか。表面的な組織制度や人事、報酬制度よりも、もっと底流の部分でそれを理解することが重要なのだ。
  • 今直面している仕事の方向と、個人的なインセンティブの方向が根本的に違えば、よほど「強い」人間でなければ仕事に身が入るはずがない。
  • 人間が生み出す力、集団として同じ方向を向いた組織の力は、個々人の頭の良し悪しや能力の上下などを、吹き飛ばしてしまうくらいのパワーを生み出す。
  • 地べたを這いつくばり、お客様に頭を下げ、モノを売る。そういうことができなければ、新しい市場や新しい時代を切り開くことなどできない。そもそも歴史は常にそうだった。地べたを這いつくばれる人間が、次の時代の勝者に、覇者になってきた。
  • 現実に企業を動かすのは人間である。機械のように人間は動いてくれない。単なる指揮、命令では人は動いてくれない。各人、各個のインセンティブと性格に響くように勇気づけ、動機づける。こうした細やかな勇気づけ、動機づけがなければ人は動かない。インセンティブは人によって違う。また同じ人でも人生のステージよって変わっていくものだ。ここには能力の優劣は全く関係がない。
  • 経営とは人である。人の動きがすべてである。人の行動を支配している動機づけやその人の人間性と、組織として追求しなければならない目的や戦略とが同期するとき、両者は最小限の葛藤で最大限の力を発揮する。
  • 組織のハコをいじっても、あるいは成果主義を導入しても、それらが現実に仕事をする人間の根本的な動機づけに響き、シンクロしていないならば絶対に機能しない。組織も戦略も「そこで戦っている生身の人間の本性に従う」というのが正しい。

第2章 戦略は仮説であり、PDCAの道具である【経営と戦略】

  • 戦略とは持続的な競争優位を構築する合理的な施策の体系である。戦略を考える前提要素は①自らの市場の理解、②競争ポジションの理解、③基本的な経済構造の理解という3つから成り立っている。この3つをきちんと認識・把握することが戦略を考えるときの思考プロセスだ。この3つを自社に当てはめ、その状況に照らして何をすべきか、つまり戦い方・戦略を立てる。戦略の策定とは、3つを前提に自社に照らして取捨選択しながら決めていくことなので100点満点の戦略などナンセンスだ。自社の強みを最大限引き出せるような戦略を構築していく。
  • 戦略の策定では、市場や競争の理解よりも基本的な経済構造の理解の方がはるかに重要である。戦略の策定で致命的に間違えるケースは、市場や競争構造に目を奪われ、この基本的な経済構造に反することをやってしまうことである。
  • どれほど経済構造に合った理にかなった戦略であっても、それを実行する組織の力を勘案していないと、まさに絵に描いた餅である。実行部隊である人間を見極めないと戦略は機能しない。
  • 戦略の有効性を検証する唯一の方法は実行してみること、実際にやってみるしかない。人間は神様ではないので、予想したことが外れるものだ。そこでフィードバックがかかるか否かが企業の成否を分かつ。ここで冷静で客観的な敗因分析ができる企業が勝者となる。フィードバックが、結果が予想以上に上がった場合にも必要である。
  • うまくいっている会社とそうでない会社の違いは、戦略立案の優劣ではない。PDCAがよく回っている会社がよい戦略にたどり着くのである。戦略力とは、より合理的な戦略仮説を構築する知的能力と、それを実行しながら的確かつ迅速にPDCAを回す組織能力の掛け算である。

第3章 組織の強みが衰退の要因にもなる【会社の腐り方】

  • 企業の存続が当然と思うと、何よりも大事なことは、組織の中で真面目で優等生でいることだった。そのため、企業社会や経営において最も重要な外からの視線、お客様からどう見えるか、競争相手からどう見えるかということは二の次になってしまった。こうして企業の不祥事が雨後の筍のごとく顔を出すようになる。組織を守ることが目的化してしまうと、気づかないうちにじわじわと腐敗が進み、気が付くと完全に腐ってしまっている。ところが腐った本人たちは気付かない。自分がいる村社会でどう評価されるかだけを考える。
  • 日本は少資源国である。人材は貴重な資源なのだ。きちんとリサイクルされなければならない。ところが、モチベーションも、生産性が低いまま、自分の能力を発揮できないでロックインされてしまった。皆が会社という道具の奴隷になってしまった。会社を形式的に守るために、人間がどんどん不幸になっていく。
  • 日本の企業の根幹的な競争力は、経営者の優秀さではなかった。言うまでもなく現場の強さにあった。困った経営者がのさばると、現場にしわ寄せがくる。
  • 企業が伸びるのも衰退していくのも、その企業のDNAに由来している。日本企業が成功を収めた要因は全社一丸となって突き進むゲマインシャフト組織を作り上げたからだ。それが時代の変化に合わなくなり変革を求められている。そのカギはゲマインシャフト組織を否定するのではなく、DNAの核心部分に圧強みを残しながら時代にフィットした者に変化させることだ。根源的なDNAに反したことをやらないと再生できないような状況であれば、それは再生させるには値せず、むしろ組織の寿命を意味する。

第4章 産業再生の修羅場からの臨床報告【現場のカルテ】

 著者が産業再生機構のCOO時代に手掛けた案件の紹介なので、次の一点だけを除き割愛します。

  • 日本の企業というものは負けをなかなか認めたがらないものだ。淘汰されない会社や事業がたくさんたまってしまうことになる。死に損ないの会社がたまっていくのである。その会社には、人材や技術やノウハウが閉じ込められたまま。タイタニックのようにじわじわと北大西洋に沈んでいく。

第5章 ガバナンス構造を徹底的に見直せ【予防医学その1】

  • 資本集約的、設備集約型が産業の中心だった20世紀に比べ、知識集約化が進む21世紀は、従来型の株主主権の統治メカニズムがうまく機能するかという根本的な疑問も世界的に生じつつある。資本主義からの規律を語るとき、まず前提にしなければならないのは、選択肢が複数あってもいいということだ。創業者の存在やオーナー型のモデルは古い時代のものと自動的に切り捨てる必然性はない。
  • 取締役会、ガバナンス機構が本当に監督すべきことは、ひとつしかない。それは、経営者がその時の経営者としてふさわしいかどうかだけである。今の多くの日本の企業において、本当に経営トップは真剣に選ばれているかどうか、問いかけてみる必要がある。経営トップとトップを支えるチームは常にその時点における最良・最強のメンバーを選抜しているかどうか、そうでなかったらきちんと更迭がなされているか。それがなされていないのであれば、本来の企業統治が機能していないことになる。
  • そもそも会社は何のためにあるのかということこそが、本来の意味での会社の理念、哲学である。経営はさまざまなトレードオフとぶつかる。短期と長期、合理と情理、自社益と社会益など。これらがぶつかった時に、それに決着をつける調和合一の枠組みが理念や哲学である。企業が掲げる根本理念や哲学。それを実現する基本手段としてのガバナンス構造。形式論ではなく、実質的にこの2つがしっかりと整合的にそろい、ブレずに機能していることは、環境変化の荒波の中で、会社を腐らせずに持続的に発展させる背骨である。
  • ガバナンスの真の使命は①経営者、経営陣をして企業価値を長期的、持続的に高めるように努力させること ②その過程で生じる様々なステークホルダー間の利害対立を、企業価値の本質的な向上という共通のゴールに向けて調和合一する後ろ盾となること ③これらの役割について一義的な責任を負っている経営者、経営陣に、適格性がないと判断したら果敢にその任を解き、適任者を選任することである。

第6章 今こそガチンコで本物のリーダーを鍛え上げよう【予防医学その2】

  • 会社を腐らせない最強の予防薬は、強い経営者と経営人材の育成・選抜である。経営とは無数のトレードオフ、葛藤の中で最適解を見出し、それを実現していく厳しい仕事である。その矛盾、葛藤を最終的に背負い込み、自社にとっての固有の最適解を選び、その結果について全責任を負うのは経営者以外にない。だから強い経営者、トップを貼るにふさわしい経営者を鍛え選抜すること、さらにはそういう人材プールを企業としても、さらには社会全体としても、一人でも多く持っておくことは、会社を腐らせない最強の予防医学なのだ。
  • 経営に答えがある問いしか存在しないのなら、経営者など必要ない。答えがない時、答えがあってもそれを断行すると多くの摩擦や葛藤が生じる時こそ経営者の出番である。自分の頭で判断し、その結果責任をすべて自分が負うからリーダーなのだ。試験型の競争を真面目にやればやるほどリーダーとして不向きな人間が偉くなってしまう。
  • 一流大学を出ているということは、その人のマネジメントの資質を測る基準としてはほとんど使えない。人間というものはそれほど強くなく、勝った時には何も学べない生き物だ。負けてこそ真剣に物事を考えるようになる。どん底に落ちてこそ、自分の愚かさを真剣に見つめることになる。そもそも失敗の体験がないとストレス耐性や胆力も身につかない。リーダーを目指すなら、若い時から負け戦、失敗をどんどん体験した方がいい。
  • 学歴エリートごっこ、出世競争ごっこ、その果てに経営者ごっこがある。もうこういう緩い世界は別れを告げるべき時が日本にもやってきた。ビジネスというのは本気で相手を潰そうと思って競争するものである。外との闘いは殺すか殺されるかなのだ。
  • 経営というのは革新・改革を続けていくことである。昨日までのことを毎日毎日より良くするということは、変えていくということである。人間は基本的にはしんどいことをやりたくないし、変わりたくない。だから重い歯車を回すのが仕事になる。重い歯車を回すには、上と下の両方から力を書けないと回らない。トップダウンでもありボトムアップでもある。一人ができることではない。
  • リーダーは、情と理、人間的要素と算数的要素の中で、のたうち回っていくことになる。半永久的に矛盾がる構造の中で、苦しみ、もがきながら、自分の柱を作っていくのだ。そうして「観」は出来上がる。人生観であり、価値観であり、世界観である。そんな「観」を持ち合わせた人物が、今の日本のトップにどれだけいるだろうか。「観」を大事にしている経営者がどれほどいるだろうか。「観」は本当に情と理のはざまで、右往左往し、悩み続けて生み出すしかない。つまり、本質的な相克に真正面から向かわなければ、人間は上にも前にも進めない。

冨山氏は、最後に「日本は豊かになった。だからこそ、会社の、経営の、人と人の、そして人間の原点や本質というものに、そろそろ真っ正面から向き合わなければいけない時期に来ている。これこそが、会社を、経済を、そして国家を腐らせないために、遠回りのように見えるが唯一の予防法なのだ」と言っています。

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