中小企業が日本を救うbusiness-doctor-28

中小企業経営のための情報発信。中小企業から日本を元気に

「場当たり的」な上司の問題点

f:id:business-doctor-28:20210526081221j:plain

おはようございます。

昨日の新規感染者は全国で3901人、そのうち東京542人、神奈川200人、埼玉128人、千葉99人、愛知417人、大阪327人、兵庫139人、京都62人、岡山58人、広島132人、福岡199人、沖縄256人、北海道459人などとなっています。火曜日の数字とはいえ、かなり減少しているように見えますが、クラスターが発生した石川(101人)や沖縄では過去最多となっています。首都圏や関西圏では減少傾向にあるものの、相変わらず医療体制はひっ迫しており、緊急事態宣言延長は避けられません。東京五輪について、スパンサーであるためもあってか様子見をしていたマスコミでも、朝日新聞が「中止の決断を首相に求める」という論説を掲載しました。その中で、「誘致時に唱えた復興五輪・コンパクト五輪のめっきがはがれ、『コロナに打ち勝った証し』も消えた今、五輪は政権を維持し、選挙に臨むための道具になりつつある。国民の声がどうあろうが、首相は開催する意向だと伝えられる。そもそも五輪とは何か。社会に分断を残し、万人に祝福されない祭典を強行したとき、何を得て、何を失うのか。首相はよくよく考えねばならない。小池百合子都知事橋本聖子会長ら組織委の幹部も同様である」と言っています。まさにその通りです。所詮は、オリンピックも商業イベントの一つにしかすぎません。国民の命や健康を犠牲にしてまで行うべきイベントではありません。野村総合研究所は、東京五輪の開催を中止した場合の経済的損失を1兆8千億円規模と試算しました。その損失額はGDPの0.33%にしかすぎず、景気の方向性を左右するほどの規模ではありません。むしろ、開催を強行しその結果感染が拡大し第4回目の緊急事態宣言発令という事態になった時の方が影響は大きく、その場合の経済的損失は6兆円規模となります。海外から数万人規模の選手や関係者が入国し、その人たちの行動制限を確実に実行できるのか、国内の人流を抑制できるのかといった点を考えれば、それらは不可能に近く、開催を強行した場合、変異株の感染拡大が待っています。即刻中止の決断を行うべきです。

さて、今日は、デイリー新潮の「菅首相と『場当たり的』上司の共通点 背景にあるのは『このままでは評価が下がる』という不安?」という記事を取り上げます。

新型コロナワクチン接種が本格化し、本来ならば菅首相の支持率が上がってよいはずなのに、政権の思惑とは異なり、支持率はアップするどころか低下しています。その理由の1つは、菅首相が掲げる「1日100万人接種で7月末までに高齢者全員接種完了」という目標達成が怪しいから、というのがあります。現在の接種体制では1日40万人が限度で、100万人という数字はほとんど無理な数字です。「100万人」「7月末完了」というのは菅首相が強く主張し、周囲の反対を押し切り公表したもので、実際にワクチン接種を担当する地方自治体から批判や不満の声が上がるのも当然です。

「このままでは評価が下がる」という不安から場当たり的に高い目標を設定し、結局は評価を下げてしまうという悪循環の繰り返しです。

トップが現実離れした目標を掲げ現場が混乱し疲弊する、というのは企業やどのような組織でも起こり得ることですし、現実に多くの企業、組織で起きています。

1.根拠なき「戦略もどき」を口にする上司

 多くの企業が「戦略」という名のもとに次年度の目標や中長期的目標を掲げます。例えば、「売上前年度8%アップ」などです。しかし、この目標の策定者や担当者に、その根拠を聞くと、「そんなものはない」という答えが返ってきます。「前年が5%アップという目標を掲げていて未達だったから、今回はそれを挽回して8%」という根拠と言えないことを平然と言う人もいます。何の根拠にもなっていません。単なる思いつきで数字が決められているのです。したがって、その数字を達成するための戦術などもありません。中には「それを考えるように部下に指示している」という上司までいます。戦術を考えて初めて数値目標が出てくるはずなのに場当たり的な思い付きの数字が先に決められているのです。また、上司自らが戦術について何も考えていないのです。

 自ら戦術を考えず、部下任せで、責任も取らないという上司が多いのも事実です。

2.組織内の力学に敏感な管理職

 方策を下に丸投げしているだけの無責任な上司というのは思いのほか多くいます。こうした上司には、独りよがりの考えや主張はあっても、組織を動かす筋道というものが見えてきません。それを考えた形跡すら見られないのです。

 この記事は、こうした人の思考法の背景にあるのは「このままでは自分の評価が低下してしまう」という不安だ、と言っています。こうした人は、それを回避するためにどうすべきか、という社内の力学には敏感です。自分に考える力がない分、部下に考えさせるという名目で責任を分散させようという「知恵」も感じられます。

 こうした「力学優先型場当たり的」な管理職の他に「忖度型場当たり的」な管理職も「自己中心型場当たり的」な管理職もいます。どれも困った管理職ですが、こうした管理職は意外に多いです。

 こういう人たちは、前年度の業績が悪いと、あえて高い目標を掲げがちになります。自分は頑張っているんだとアピールできるからです。その目標を達成できなければ、さらに高い目標を設定したうえで、同様の指向を持って上司や経営者にアピールし、再挑戦の機会をもらうように動くのです。社内力学に敏感で、上に忖度する上司はこういうことには慣れています。

 どことなく、場当たり的で後手後手の対策を行い、それでいて高い目標を掲げる菅首相の姿と重なります。

我々は、戦後の高度成長期を経て平和の中で暮らしてきて、どこか「場当たり的」に生きていく癖がついてしまっています。本来は、自分の「思い」、自分はどうあるべきか、自分は何をしたいのか、何を成し遂げないといけないかを深く考え、揺るがないところまで練り上げなければならないにもかかわらず、深く物事を考えず、その場その場の雰囲気に流されているのです。物事を深く考えたうえで、自分なりの戦略を持つべきなのです。そしてそれを戦術に落とし込むのです。それは企業や組織においても同様です。

これは「強い思い」→「それを成り立たせている仕組」→「戦略」→「戦術」の順番で行うべきものです。しかし、多くの場合、「強い思い」や「それを成り立たせるための仕組み」を深く考えないで、取りあえず行動を起こすための戦略を決めてしまっています。それでは場当たり的な戦略しか生まれず、それを達成するための戦術もいい加減なものになり成果を引き出すことはできません。

以前、稲盛経営12か条「経営は強い意志」について書きましたが、経営者だけでなく人の上に立つ管理職・リーダーにも「強い意志」「強い思い」は必要です。その「強い思い」や「それを成り立たせている仕組」について深く考えて、「戦略」を作る、それに基づいて行動を起こすのです。繰り返しになりますが、場当たり的な戦略や単なる思い付きの戦術では成果を上げることはできません。強い意志を持って深く考えること、それこそが上に立つ者に求められているところです。

「場あたり的」な対応はやめて、しっかりと状況を把握し、強い思い・意志をもって深く物事を考えて、自分の頭で戦略・戦術を練るようにしましょう。