中小企業が日本を救うbusiness-doctor-28

中小企業経営のための情報発信。中小企業から日本を元気に

休日の本棚 運命を拓く

f:id:business-doctor-28:20210605081443j:plain

おはようございます。

昨日の新規感染者は全国で2595人、そのうち東京472人、神奈川234人、埼玉102人、千葉121人、愛知266人、大阪189人、兵庫75人、京都44人、広島59人、福岡79人、沖縄247人、北海道203人などとなっています。順調に減少しているように見えますが、東京では8割強が感染力が強いとされるイギリス型に置き換わり、C36という新たな変異株が初めて見つかっています。これは、インド型のL452Rという変異に加え別の変異を持っているもので、これまでに30か国以上に見つかっていたものです。これが東京で初めて見つかったということです。また、神戸ではイギリス型にワクチンの効果を弱める可能性があるE484Qが加わった新たな変異株が見つかっています。ウイルスは、このように変異を繰り返しながら宿主に取り付き増殖を続けます。国民全体に集団免疫ができるには6割以上の人がワクチン接種を完了する必要があり、まだまだ時間がかかります。昨日も書いた尾身会長の発言が波紋を呼んでいます。菅首相は「尾身を黙らせろ」と叫んだとか、また田村厚労大臣は「非公式の自主的な研究発表だ」と不謹慎な発言をしました。尾身会長の発言は、厚生労働委員会での発言で非公式のものではありません。政府分科会の会長の発言です。政府は都合の良い時だけ尾身会長を利用し、自分らに都合が悪くなると「黙らせろ」とか「自主研究だ」とか、ご都合主義もここまでくると開いた口がふさがりません。政府がこれまでの行ってきた新型コロナ対策にどれほどの成果があったでしょうか。専門家の意見に真摯に向き合わないから後手後手の対策で国民の健康と命を犠牲にしてきたのです。菅にしろ田村にしろ橋本にしろ、危機管理能力は大きく欠如し、一国を任せられる器ではありません。尾身氏は、こうした政府の批判的な対応にひるむことなく、再び「感染のリスクや医療ひっ迫への影響について評価するのはプロフェッショナルの責任だ」と述べています。政府は専門家の意見に真摯に耳を傾けるべきです。

さて、今日は中村天風著「運命を拓く」(講談社)を紹介します。以前にも中村天風の著書や天風哲学を取り上げたことはありますが、改めて天風の著書を紹介します。

中村天風の説く天風哲学は、一言で言えば自己強化の哲学ですが、東郷平八郎原敬後藤新平山本五十六といった政界だけでなく、松下幸之助稲盛和夫といった財界、そのほか宇野千代大仏次郎広岡達朗など多くの知識人、著名人が天風の薫陶を受けています。先日紹介した「稲盛経営12か条」も中村天風の教えが根底にあるように思います。以前にも書きましたが、天風の生涯を簡単に記しておきます。

中村三郎こと中村天風は、明治9年に旧柳川藩主の遠縁に生まれ、福岡の修猷館中学に入学するも、柔道の試合に敗れた相手から闇討ちに遭ってその相手を刺殺してしまいます。正当防衛は認められたものの退学処分を受けます。負けず嫌いで気性が荒い三郎に手を焼いた両親は、当時政治活動家の集まりであった玄洋社を率いていた頭山満に三郎を預けます。生涯の師となる頭山満の薫陶を受けた三郎は、諜報活動の手ほどきを受けて、日露戦争では満州にわたりスパイ活動を行う軍事探偵として活躍します。軍事探偵113人のうち日本に帰還できたのは三郎を含めたったの9人でした。三郎は帰還後軍事通訳を務めますが、奔馬性肺結核に罹ります。北里柴三郎の治療を受けますが症状は悪化し、名医の北里も匙を投げ死期を待つだけになりました。「不治の病にかかったとき、心はかくも弱くなるのか、弱い心を強くしたい」という思いで、人生探求の旅に出ます。アメリカ、イギリス、フランス、ドイツの高名な意思や学者を訪ね教えを請いますが納得のいく答えを得ることができません。失意のうち岐路に立った船の中でヨガの聖人カリアッパ師と邂逅し藁をもすがる思いで弟子入りしヒマラヤのカンチェンジュンガ山麓のゴーク村で2年半の修行に取り組みます。この修行を通じて「人間とは強いものである。信念をもって積極的に生きるとき、軌跡をも起こす」という真理を発見し、それとともに病を克服したのです。

帰国後は、東京実業貯蔵銀行頭取、大日本製粉重役など5つの企業の経営に携わり、その決断力と精力的な行動によって、次々と事業を成功に導きます。それゆえ、三郎は、次代の日本の経営を担う人物と目されますが、三郎の心は晴れません。

大正8年に、三郎は財産や社会的地位をなげうって、「統一哲医学会」を創設し、その日から上野公園や芝公園で辻説法を行います。最初は聞く人はいませんでしたが、次第に人が増え、統一哲医学会は発展し、現在は「財団法人天風会」となっています。

神渡良平著「中村天風『幸せを呼び込む』思考」(講談社+α文庫)では「『先が見えない時代』を照らす『暗夜の灯火』」とあります。天風哲学は、コロナ禍で先が見えない混沌とした時代を強く生き抜くためには役に立つように思います。天風の言葉は、人生だけでなくビジネスにも役立つものだと思います。

そこで、この「運命を拓く」に書かれている天風哲学の言葉をいくつか紹介します。

  • 我は今、力と勇気と信念とをもって甦り、新しき元気をもって正しい人間としての本領の発揮と、その本分の実践に向かわんとするのである。我はまた、我が日々の仕事に、溢るる熱誠をもって赴く。我はまた、欣びと感謝に満たされて進み行かん。一切の希望、一切の目的は、厳粛に正しいものをもって標準として定めよう。そして、常に明るく朗らかに統一道を実践し、ひたむきに、人世のために役立つ自己を完成することに、努力しよう。
  • 私は力だ。力の結晶だ。何ものにも打ち克つ力の結晶だ。だから何ものにも負けないのだ。病にも、運命にも、否、あらゆるすべての物に打ち克つ力だ。そうだ!強い、強い、力の結晶だ。
  • 甘えは、自分を不幸だと思っているのか。おい、よく考えろ、もっと奥を。苦しい病に虐げられながらも死なずに生きているではないか。その生きているという荘厳な事実を、なぜ本当に幸せだと思わないのだ。苦しいとか、情けないとか思えるのも、生きていればこそではないか。生きているということは、造物主がまだころす意思がないから、守って下されているのだ。それを幸せと思わないのか。お前は罰当たりだ。
  • 私は今後かりそめにも我が舌に悪を語らせまい。否、一々我が言葉に注意しよう。同時に今後私は、もはや自分の境遇や仕事を、消極的な言語や、悲観的な言語で、批判するような言葉は使うまい。終始、楽観と歓喜と、輝く希望とはつらつたる勇気と、平和に満ちた言葉でのみ活きよう。そして、宇宙霊の有する無限の力を我が生命に受け入れて、その無限の力で自分の人生を建設しよう。
  • 病は忘れることにとって直る。病になろうと、不運になろうと心の態度は崩さぬことだ。どうせ人間生まれた以上死ぬ時が来れば死ぬ。いくら嫌だと言っても駄目だ。自分の心ん持ち方さえ積極的であれば、その心の中にいただいている生命の力というものは逃げやしない。心を積極的にしさえすれば、健康も良くなり、運命も立ち直るようにできているのだ。だから、もっと自分の心を磨きなさい。
  • およそ宇宙の神霊は、人間の感謝と歓喜という感情で、その通路を開かれると同時に、人の生命の上にほとばしり出ようと待ち構えている。だから、へおそできるだけ何事に対しても、感謝と歓喜の感情をよりよく持てば、宇宙霊の与えたまう最高のものを受け取ることができるのである。かるがゆえに、どんなことがあっても、私は喜び、感謝だ、笑いだ、雀踊りだと、勇ましくはつらつと人生の一切に勇往邁進しよう。
  • 自分の分を知らなけりゃ、卑しい希望や汚れた宿望を炎と燃やしていても、碌な仕事はできないし、不渡りを喰らうだけである。この生命の本来である創造意欲は、常に価値の高い目標で定めねばならない。もっと目標の高いものを標準として、自分の創造意欲に情熱の日を藻やs田なければならない。それは第一に自己向上ということである。自己向上を正しく念願しないでいて、仕事なり、運命也を向上させようとすることは、力足らずなのである。十貫目持ち上げる力しかないのに、十五貫目のものを持ち上げようとしているのと同様である。十五貫目の者を持ち上げたかったら、それだけの力をつけなければならない。だからそうしない者は事業などで思わざる失敗をやってしまうのだ。
  • 信念、それは人生を動かす羅針盤のごとき尊いものである。したがって、信念なき人生は、ちょうど長途の航海のできないボロ船のようなものである。かるがゆえに、私は真理に対しても純真な気持ちで信じよう。否、信ずることに努力しよう。もしも疑うているような心持ちが少しでもあるならば、それは私の人生を汚そうとする悪魔が、魔の手を伸ばして、私の人生の土台石を盗もうとしているのだと、気をつけよう。
  • 私はモ羽田何事をも恐れまい。それはこの世界並びに人生には、いつも間然ということ以外に、不完全というものの内容宇宙心理ができているからである。否、この心理を正しく新年して努力するならば、必ずや何事といえども成就する。だから今日からはいかなることがあっても、また、いかなることに対しても、仮にも消極的な否定的な言動を夢にも口にするまい、また行うまい。そして、いつも積極的で肯定的の態度を崩さぬよう努力しよう。同時に、常に心をして思考せしむることは、”人の強さ”と”真”と”善”と”美”のみであると心がけよう。たとえミニ病があっても、心までは病すまい。たとえ運命に非なるものがあっても、心まで悩ますまい。否、一切の苦しみをも、なお楽しみとなす強さを心に持たせよう。
  • 第一に必要なことは心の安定を失ってはならないことである。そして心の安定を失うことの中で、一番戒むべきものは恐怖観念である。この恐怖観念なるものこそは、価値なき消極的の考え方で描いているシミだらけの醜い一つの絵のようなものだ。否、寸法違いで描いた設計である。今日から私は断然私の肺gpに、私を守りたもう宇宙霊の力のあることを信じて、何事をも恐れまい。
  • 勇気は常に勝利をもたらし、恐怖は常に敗北を招く。断じて行えば鬼神もこれを避く、陽気の発するところ金石もまた透る。たとえどんなことがあろうとも勇気を失うことなかれ。私はもう何事が自分の人生に発生しようと、決していたずらに心配もせず、また悲観もしないように心がけよう。それはいたずらに心配したり悲観したりすればするほど、その心配や悲観する事柄がやがてはいつかは事実となって具体化してくるからである。
  • 私は、私の求むるとことのものを最も正しい事柄の中に定めよう。そして、それをどんなことがあっても動かさざる山のごとき盤石の信念と、脈々として流れ尽きざる、あの長い川のごとく、一貫不断の熱烈なる誠をもって、その事柄の実現するまで、いささかも変更することなしに、日々、刻々、はっきりと、心の中に怠りなく連想していこう。ちょうど、客観的に看察するがごとくに・・・私は、もはや、消極的の思想や観念やまたは暗示に感じない。また、そうしたものは、私を動かすことはできない私は、もはや、あらゆる人生の中の、弱さと小ささとを踏み越えている。そして、私の心は、今、絶対に積極的である。おおそうだ。私の心は勇気と信念とに満ち溢れている。したがって、私の考え、私の言葉、それはいずれもさっそうとし、いつも正義である。だから、私には、人生のあらゆる場面に奮闘し得る、強い強い力が溢れているのだ。そして、私の人生は、どんな人の世の荒波に脅かされても、あの大岩の上に屹然と立つ灯台のように、平静と、沈着と、平和と、光明とに、輝きひらめいているのだ。

中村天風の言葉は力強く響いてきます。天風哲学は、松下幸之助や稲森和夫にも大きな影響を与えました。経営者、ビジネスリーダーやビジネスパーソンにとっても、天風の言葉は胸に響くと思います。

f:id:business-doctor-28:20210605113720j:plain