中小企業が日本を救うbusiness-doctor-28

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休日の本棚 世紀の愚行

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 おはようございます。

昨日の新規感染者は全国で4943人、そのうち東京1832人、神奈川522人、埼玉381人、千葉302人、愛知109人、大阪491人、兵庫120人、京都80人、福岡136人、沖縄169人、北海道118人などとなっています。東京では1月16日以来の1800人超えで、全国的にも感染者が爆発的に増加し極めて深刻な状況なろうとしています。東京五輪の開幕、夏休み、お盆の帰省と人手が増加する時期が重なり感染者を抑え込むことは極めて困難でしょう。そうした中、菅首相は、「状況が変われば有観客」「パラリンピックは有観客」「挑戦するのは政府の役割だ」などと述べています。あまりにも現実を見ていない・見えていないとしか言いようがありません。ビジネスにおいても挑戦することは極めて大事なことですが、それには前提があります。それは、現状をしっかりと認識・分析したうえで最適と思える方法で行うこととしっかりとした体制の下で、危機管理を行い、いつでも切り替える(軌道修正する)ことができるということです。菅首相・菅政権にはこうした前提が欠落しています。常に場当たり的で何ひとつ考えていない、まさに無為無策、無知無能です。東京五輪延期で1年の猶予期間があったにもかかわらず、後手後手の対策ばかりでこの1年で何一つ真面な対策は行っていないのです。菅首相の思い付きの挑戦で国民が犠牲になることだけは避けたいものです。政府の無分別な楽観論で第二次世界大戦に突入した時のような状況にはなりたくありません。

さて、今日は、太田尚樹著「世紀の愚行 太平洋戦争・日米開戦前夜」(講談社文庫)を紹介します。この本は副題として「日本外交の失敗」とあります。

以前、「失敗の本質 日本軍の組織論的研究」という本を紹介しましたが、この本は破綻する組織の本質・特徴を明らかにし、組織の経営に常に必要な戒めを学べる指南書でした。本日紹介する「世紀の愚行」は日本外交の失敗の本質を明らかにするもので、経営的な視点ではなく歴史的な視点で失敗の本質を明らかにしようとしています。日本の太平洋戦争における失敗を経営論的視点から考える前提として、当然歴史的視点は必要です。

今年で戦後76年、戦後世代が全国民の約85%となり、戦争の記憶が薄れています。私も戦後生まれなので、戦争の記憶はありません。しかし、唯一の被爆国である日本・日本人が平和を希求し続けるために戦争の記憶を消し去ってはいけませんし、語り継がなければなりません。そして、太平洋戦争の失敗を繰り返さないようにその本質を理解し、二度と失敗しないように教訓として生かさなければなりません。ところが、今回のコロナ禍での国民や世論を無視したオリンピック強行開催は、太平洋戦争突入時の状況に酷似しています。歴史の教訓が生かされているとは思えません。

そこで、再び「世紀の愚行 太平洋戦争・日米開戦」を歴史的に学ぶ必要があるように思います。

日本は、GDP4倍であるアメリカに挑み、全国を焦土とし、推計戦没者軍民310万人、戦死者の約6割が病死・餓死という最悪の事態を引き起こしたのですが、最後通牒とされたハルノートをたたき台に日米交渉を継続していれば、戦争回避が可能だったかもしれません。それにもかかわらず、なぜ日本は日米交渉を打ち切り、真珠湾攻撃という奇襲攻撃に打って出たのでしょうか。

以前「経済学者たちの日米開戦」という本を紹介した時に書きましたが、軍部(陸軍)は、昭和15年に秋丸次郎中佐が日本の戦力と米英の戦力を比較するために、通称秋丸機関を作り、東京大学経済学部教授有沢広巳らの経済学者を中心に研究を行わせます。その秋丸機関が日米間の経済交戦力の巨大な格差を指摘する報告書を作成します。

問題は、秋丸機関が、日米間の軍事的・経済的格差を指摘し、「開戦すれば高い確率で日本は敗北する」と警鐘を鳴らしたにもかかわらず、なぜ軍部はそれを無視して戦争に突入したのでしょうか。

行動経済学の立場から言えば、人間は不合理で、「合理的な行動はしない」ということです。秋丸機関が指摘した「開戦すれば高い確率で日本は敗北する」という言葉が、逆に「だからこそ低い確率にかけてリスクをとってでも開戦しなければならない」という意思決定の材料に置き換わってしまったのです。

これは、まさに、専門家の意見を無視し後手後手の新型コロナ対策に終始し、更にオリンピックを強行開催をする菅首相・菅政権の思考そのものです。

日本が日米開戦に突き進んだ社会心理的要因として、当時日本にはリーダーシップが取れる人物がいなかったことが挙げられています。当時、日本における戦争指導は、海軍、陸軍、政府の三鼎立の合意妥協によって決められていました。

二二六事件以降、陸軍は統制派が主流となり全体主義に傾斜し、海軍にも条約派艦隊派のせめぎあいがありました。政府は日独伊三国同盟を捨てきれず、こうした三者三様の思惑の中、妥当な判断ができずに負けることが必定であった戦争に突入するのです。

こうした状況では、思想の統一、思索の決断と一貫性が欠如します。また集団的意思決定の場合、個人が意思決定するよりも結論が極端になることが社会心理学では言われています。慎重な人たちが集団決定すればより慎重な決定がなされ、危険を厭わない人たちが集団決定すれば、ますます危険な方向に舵取りすることになるのです。

日本の現在の政局もまさにその通りの状況です。

この「世紀の愚行」の中で、太田氏は、日本がどこをどう読み間違えて戦争に突入したのか、何が足りなかったのかの根本は「外に向けた日本人の思考構造が原因していた」と言っています。情報が命であった遊牧民を先祖に持つ欧米諸国と、さしたる情報を必要とせず、視界内の事象に最大の注意を払っていればよい農耕民族を先祖に持つ日本人の特質の差が、近代戦・情報戦に不向きになったという面もないわけではありません。

これはコロナ禍でも言えるように思います。欧米諸国がしっかりとしたデータに基づいて感染防止対策を行っているのに、日本ではデータよりはその時々の雰囲気や空気に流され後手後手の対策が取られていることからもうかがえます。

太平洋戦争突入前夜、学者や文化人は国粋的思想の持ち主から攻撃を受け、治安維持法による弾圧は、戦前・戦中の、個人よりも国家・国体を優先する風潮やムードをゆるぎないものにします。当局による締め付けが強まる一方で、多くの国民は大陸進出や回線の熱に浮かされ、戦時体制に進んで協力し、その世論が開戦への最大の圧力になるのです。

確かに現在のコロナ禍で、飲食店を敵のように扱い、営業自粛、酒類禁止などで規制を強め国に協力を要請することは戦前・戦中に似ているように思いますが、多くの国民が五輪開催に反対であったにもかかわらず強行開催に踏み切った点は似ていません。簡単に言えば、世論操作に失敗したということですが、菅政権としては、中止しても地獄、開催しても地獄なら、リスクをかけてでもテイクが大きい方をとろうとして強行開催に踏み切ったのだと考えられます。中止したとしても菅政権の評価や支持率はそれほど変わりませんが、開催して成功すれば評価や支持率が大幅にアップし、秋の衆議院選挙に弾みを付けることができるとの考えからでしょう。

さて、この「世紀の愚行」ですが、「日本外交失敗の本質」とありますが、研究書や論文というよりも、小説のように読める物語です。1932年の満州国建設に始まり、1941年11月の日米開戦前夜までが物語的に語られています。面白く読めるように思います。真珠湾攻撃については、半藤一利著「真珠湾の日」(文春文庫)、開戦後のミッドウェー開戦から沖縄線までは「失敗の本質 日本軍の組織論的研究」(中公文庫)終戦については半藤一利著「日本のいちばん長い日」(文春文庫)で語られています。これらを読めば、太平洋戦争の失敗の本質はすべて理解できると思います。

そうした失敗を学ぶことは、ビジネスにとっても大切なことです。日本企業において、 戦略の無原則性は臨機応変な対応を可能にしてきましたが、コロナ禍のような急激な変化に対する適応力が欠如しています。

すべての組織において、今は、主体的に独自の概念を構想し、新たな分野に挑戦し、新たな時代を切り開くことができるかどうかが問われているように思います。

日本軍や当時のトップリーダーの失敗に至った思考を学ぶことが、組織のあり方やリーダーの思考方法、リーダーシップのあり方の参考になるのです。

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