中小企業が日本を救うbusiness-doctor-28

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休日の本棚 上杉鷹山の経営学

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おはようございます。

昨日の新規感染者は全国で4702人、そのうち東京862人、神奈川453人、埼玉262人、千葉220人、愛知373人、大阪666人、兵庫304人、京都108人、福岡165人、沖縄176人、北海道77人などとなっています。土曜とはいえ、5000人を下回り、新規感染者数ばかりでなく、陽性率も大幅に低下しています。重傷者数は今なお高い水準にありますが、徐々に減少しています。今後このままの減少傾向が続くのか、はたまた感染拡大へと向かうのかは、われわれ国民の意識と行動にかかっています。ワクチン接種で気を緩めることなく、これまで通り感染防止対策を行っていきましょう。

自民党総裁選では初めての4者討論会が行われました。「改革」を掲げる河野太郎に、岸田文雄が集中攻撃をかけるという構図で、岸田に論破された河野の負けでした。しかし、今やるべきは「改革」以外にありません。自民党の改革なくして日本の政治を改革することはできません。安倍に忖度するような者が総裁になるようでは、これまでの派閥主義、長老支配を打破することはできません。4者とも小粒で総理・首相の器とは言えませんが、それならば「改革」を掲げる者に総理・首相として政治を変えてもらいたいものです。

さて、今日は、童門冬二著「上杉鷹山経営学 危機を乗り切るリーダーの条件」(PHP文庫)を紹介します。

上杉鷹山は、1751年に高鍋藩の藩主秋月種美の次男として生まれ、9歳で米沢藩主上杉重定の養子となり、16歳で家督を継ぎました。上杉家は、関ヶ原の決戦後、会津120万石から米沢30万石に転封、その後さらに15万石に減らされます。120万石時代からの家臣を抱え、借財も増え藩の財政は大赤字、重定は藩領を幕府に返上することまで考えたと言われています。このような絶望的な状況で藩主の座に就いたのが、上杉鷹山です。

鷹山の藩政改革は1期と2期にわかれます。

第1期の藩政改革は1767年から1785年に隠居するまでの18年で、①適材適所の人材登用 ②藩主を含めた大倹約に基づく財政緊縮 ③漆・桑・楮の各100万本植樹計画に代表される地場産業の基盤づくり ④人口減少の防止等の4つの政策を打ち出しました。しかし、改革を理解しない反対勢力の存在や領民の理解を得られず、さらに人材登用した竹俣当綱の慢心や横柄による失脚、鷹山の隠居により道半ばで終わりました。

隠居した鷹山は、当時の将軍徳川家斉から直々に藩政改革を任され、米沢藩主上杉治広と共に再び藩政改革に取り組みます。これが1787年から亡くなる1822年までの第2期の藩政改革となります。第2期の藩政改革では、支出のさらなる削減を家臣に理解させ、領民にも理解してもらうために、財政状況を記録した会計帳簿を全領民に公開しました。また地元の豪商から2500万両を借り入れ、財政復興の進捗状況を示すチェックリストを作成し、計画の進捗状況、修正点を掲げ、厳しい監視や統制のもとで、改革を推進していきます。鷹山の死の翌年には破綻寸前であった藩財政は立ち直り、米沢藩は借財を完済します。

鷹山の藩政改革が領民に根付いたのは、①領民が豊かになる社会 ②領民が参画して共に創る社会と目的を明確にし「あるべき姿」から逆算して「今何をなすべきか」を考えるという思考を取り入れ、鷹山自身が自らも実践し、多くの領民に共感を得たことによるのです。

徳川幕府では、同時期には松平定信寛政の改革、少し後には水野忠邦天保の改革が行われましたが、いずれも成功を収めることはできませんでした。鷹山の藩政改革との違いは、鷹山が藩士や領民に改革の必要性と改善策を理解させたのに対し、幕府の改革では必要性や改善策の内容を旗本をはじめとする武士や庶民に理解させることができなかったからです。

企業や組織、あるいは政治にしても、改革を行うためには明確でわかりやすいビジョンを提示し、社員やメンバー、国民に理解させるとともに、トップが自ら率先して実践し、社員やメンバー、国民の共感を得ることが何にもまして重要なのです。

ジョン・F ・ケネディをはじめ、多くのリーダーや経営者が、尊敬するリーダーの人物として名を挙げる上杉鷹山ですが、この本は、上杉鷹山の組織と人間の管理術について説明されています。

上杉鷹山の藩政改革における考え方を、今風に、企業経営における改革に置き換えれば、次のように言うことができます。

  • 経営改革というのは、単にバランスシートに生じた赤字をゼロにすることではない。改革を進めるには、人づくりが大切だ。人づくりを無視した改革は決して成功しない。
  • お客様に対するサービス精神を何よりも経営の根幹に置くべきである。
  • 絶望的な職場は譬えてみれば冷えた灰だ。しかし、その灰の中をよく探してみれば、必ずまだ消えていない小さな火種があるはずだ。その火種はあなた自身だ。その火を他に移そう。つまり灰のような職場でも、火種運動を起こせば必ずその職場は活性化する。そしてその組織は生き返る。
  • お客様のために我々は存在する。
  • 「品物を使う側、サービスを受ける側の身になったとき、われわれが差し出すものは果たして満足を得ているのだろうか?」という疑問を常に持ち続けよう
  • 改革を行うには人が問題だ。人が育たなければ、改革はできない。
  • 上杉鷹山の行った経営改革は、赤字を消しただけではない。人間の心の赤字を消したのだ。人々の胸に、もう一度他人への愛、信頼という黒字が戻ったのだ。

この本は、次のような構成になっています。

ロローグ なぜ、いま上杉鷹山か 構造不況の米沢藩を甦らせた男・鷹山

第一章 名門・上杉家の崩壊 財政破綻はなぜ起こったのか

第二章 名指導者への序曲 実学感覚を修得せよ

第三章 変革への激情 「真摯さ」がなければ、何事も始まらない

第四章 大いなる不安 絶望感は自らの力で取りされ

第五章 断行 あくなき執念と信念が奇跡を生む

第六章 最後の反抗 衆知を集めて悪弊を斬れ

第七章 英断 必要とあらば、非情であれ

第八章 巨いなる遺志 老兵・鷹山の若き後継者

エピローグ 愛と思いやりの名経営者・鷹山 人の心をよみがえらせるものこそ現代の    

      指導者だ

鷹山が、自ら隠居し、前藩主重定の子保之助(治広)に家督を譲った時に、米沢藩主としての心得三箇条(伝国の辞)を与えています。

  • 国家は先祖より子孫に伝え候国家にして、我、私すべきものには之無く候
  • 人民は、国家に属したる人民にして、我、私すべきものには之無く候
  • 国家、人民のために樹てたる君にて、君のために樹てたる国家、人民には之無く候

当時の封建幕藩体制では、藩主は藩民を私し、単なる税源としてしか考えず、領民の人格など全く無視されていました。鷹山は、藩は藩主の私物ではないし、領民も藩主の私物ではないと明言しているのです。藩主というのは、藩と領民のために仕事をする存在で、藩や領民は藩主のために存在しているのではないということです。現在の民主主義においても、私利私欲にばかり走り、政治家は国民のために存在すると明言し、それを実践する政治家がいないことを考えると、封建幕藩体制下でそれを実践した鷹山はすごいとしか言えません。

これは企業や組織においても同様です。企業や組織は経営者やリーダーのためにあるのではありませんし、社員やメンバーも経営者やリーダーのためにあるわけではありません。社員のため、ひいてはお客様のために経営者やリーダー、企業や組織は存在しているのです。

米沢藩は、現在で言えば中小企業に比肩します。米沢藩の藩政改革は、とりもなおさず中小企業の経営改革と言っても間違いではありません。

前述したように、鷹山は「冷たくなっているようでも、灰皿の底には火種が残っていた。これは米沢藩でも同じだ。残っていた火種が新しい灰に火をつける。その新しい灰火がさらに新しい火を起こす。そういう繰り返しで、藩政改革の火が燃え上がらないだろうか」と考え、家臣に「お前たちが火種だ。心の中にある改革の火種を、それぞれ新しい灰、つまり他の藩士や領民に移してほしい」と言っています。

中小企業の経営改革も同じです。社員に「ウチの会社はなぜ、成長しないでここまで来てしまったのか」「どこを直せばよくなるのだろうか」と問いかけ、社員全員が「会社をよくしよう」という火種を移し、さらに次から次へと移していくことが大切です。

昨日、コッター教授の「企業変革の落とし穴」という論文を紹介して「企業変革の8段階」を示しました。鷹山の藩政改革は、この8段階のステップを段階的に踏んでいるように見えます。あの江戸時代にきちんとした経営戦略を持っていたというのは、やはりすごいとしか言いようがありません。

著者の童門氏には「小説 上杉鷹山」という本がありますが、長編小説で描かれた上杉鷹山の業績と経営学が、この本では凝縮されてまとめられています。経営者、リーダーだけでなく、すべてのビジネスパーソン、政治家にも読んでもらいたい本です。

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