中小企業が日本を救うbusiness-doctor-28

中小企業経営のための情報発信。中小企業から日本を元気に

休日の本棚 ゼロベース思考

おはようございます。
今日は、ティーヴン・レヴィット&スティーヴン・ダブナー著「0ベース思考ーどんな難問もシンプルに解決できる」(ダイヤモンド社を紹介します。スティーヴン・レヴィットは「ヤバい経済学」(東洋経済新報社)という本で有名な「世界で最も影響力のある100人」にも選ばれたシカゴ大学経済学部教授で、スティーヴン・ダブナーはジャーナリストです。
0ベース思考というのは、バイアスをゼロにしてアプローチする思考法です。
「脳を鍛えなおして、大小問わずいろいろな問題を普通とは違う方法で考える。違う角度から、違う筋肉を使って、違う前提で考える。やみくもな楽観も、ひねくれた不信ももたず、すなおな心で考える」という思考法です。
各章の要点をまとめておきます。
第1章 何でもゼロベースで考える=バイアスをゼロにしてアプローチする方法
 あなたはサッカー選手、それも超一流の選手でチームをワールドカップの決勝まで導いていた。あとはPKを決めれば優勝です。PKの成功率は75%。あなたは、どこに蹴るでしょうか。利き足が右なら得意なのは左サイド、キーパーが左に飛ぶ確率は57%で、右に跳ぶ確率は41%です。ということはキーパーが真ん中から動かない確率は2%に過ぎないのです。データによれば、真ん中を蹴って成功する確率はサイドを蹴って成功する確率よりも7%も高いのです。データを見る限り真ん中を蹴るのがいいのですが、多数のキッカーはサイドを蹴ります。キッカーはゴールを決めて勝ちたいだけではないのです。格好よくゴールを決めたいのです。利他的な利益よりも利己的な利益を優先してしまうのです。ここでは、「直観」や「主義主張」を排除してデータを元に世の中の仕組みを理解し、どんなインセンティブがうまくいくのか明らかにする方法が語られています。
第2章 世界でいちばん言いづらい言葉=「知らない」を言えれば合理的に考えられる
 人は「知っている」と思い込んでいるだけです。知ったかぶりをしているのです。問題は「事実」を集めるだけではできないのです。ある問題を引き起こした原因を「知る」のはとてつもなく難しいのです。専門家の予想の的中率はチンパンジー並みといってよいでしょう。人は世の中のことだけでなく「自分のこと」も分かっていません。「知ったかぶりをする」のは、「知らない」と白状した時のダメージの方が「知ったかぶり」をして間違いが判明した時のダメージより大きいからです。「知らない」と白状して間抜けだとか負け犬だとか思われるより知ったかぶりをして自分の評判を守る方が大事というわけなのです。しかし、自分が何を知らないかがわからなければ、必要なことを学ぶことが出来ません。答えられない質問には分からないと答え、調べればいいのです。もしあなたがこれまで「分からない」と言っているとしましょう。そのあとで答えられない質問にぶつかったとき、知ったかぶりをして答えてもみんな信じてくれます。これも一つの戦略になりうるのです。
第3章 あなたが解決したい問題は何?=問題設定を変えて、すごい答えを見つける
 見当違いの「問い」を立てたら見当違いの「答え」しか得られません。どんな問題を解決しようとするときでも、たまたま目についた気になる部分だけを取り上げていないか検討するのです。問題を正しくとらえること、正しくとらえなおすことが肝心なのです。ここでは、アメリカのホットドッグ大食い競争で優勝した日本人コバヤシの話が出ています。
第4章 真実はいつもルーツにある=ここまでさかのぼって根本原因を考える
 問題の根本原因を突き止め、それを取り除けるよう、力の限りを尽くすのです。根本原因を見つめるのは不安だし怖いことでもあります。だからなるべく避けて通ろうとするのです。しかし、その「避けて通りたいところ」に鍵があるのです。徹底的にさかのぼって「要因」を見つけるのです。ここでは胃潰瘍の原因発見のために細菌をビーカー一杯ん飲んだ科学者の話が出てきます。
第5章 子供のように考える=「分かり切ったこと」にゼロベースで向き合う
 子供はどんなに無茶なアイデアだろうと臆せずに口に出します。良いアイデアと悪いアイデアを区別できさえすれば、船一杯のアイデアを思いつくのは突飛なものが混ざっていても良いことずくめです。最終的に20個のアイデアのうち、追及する価値があるのは1個だけ、でもその1個は子供みたいに頭に浮かんだことをそのまま口に出さなければ生まれてこなかったアイデアかもしれません。問題を解決しようと思ったら子供心を解き放つことは大きな成果につながることがあるのです。
第6章 赤ちゃんにお菓子を与えるように=地球はインセンティブで回っている
 ただインセンティブを設けさえすれば、どんな問題も解決できます。ある特定の状況に関わる全当事者のインセンティブを理解することが問題解決の基本なのです。しかし、インセンティブはいつも分かりやすいわけではありません。インセンティブの種類(金銭的・快適・道徳的・法的など)が違えば、インセンティブの働く方向や強さも変わるのです。ある状況で効果があるのに、違う状況では逆効果を生むこともありうるのです。今回の新型コロナの自粛も、「金銭的インセンティブ」(給付金・休業協力金)、「道徳的インセンティブ」(社会的ルールを守る)、「社会的インセンティブ」(社会のためになる)、「群集心理インセンティブ」(多くの他の人がやっている)で説明できるのです。
第7章 ソロモン王とデイビッド・リー・ロスの共通点=庭に雑草を引っこ抜かせる方法
 ・ソロモン王の元に2人の女性が争いの裁きを求めやってきました。2人は数日違いで男の子を生みました。1人目の女は「2人目の女は自分の子を死なせてしまい真夜中にわたしのそばに寝ていた息子を盗み、代わりに死んだ赤ちゃんを置いていった」と言います。2人目の女は「生きているのが自分の息子だ」と言います。どちらかが嘘をついているのは明らかです。ソロモン王は、「生きている子を真っ2つに切って、半分を1人に、ほかの半分をもう1人に与えよう」と言いました。1人目の女は「どうか赤ん坊を殺さないでください。赤ちゃんをその女にあげてください」と懇願しましたが、2人目の女は「そうすれば、その子は私のものでもあなたのものでもなくなるでしょう。どうぞ切って下さい」と言ったのです。ソロモン王は1人目の女の赤ん坊と判断しました。ソロモン王は罠を仕掛けて罪を犯したものと罪なき者がわかるように仕向けたのです。
 ・ヴァン・ヘイレンは1980年代の最強のロックバンドの1つでデイヴィッドはそのメンバーです。彼らのバンドのツアーに関する契約書は53ページもの付帯条件があって、技術や安全面の細かい指示のほか、食べ物や飲み物に関する要求事項までが事細かに指示されていました。このヴァン・ヘイレン付帯条項の40ページの「スナック」に関するところに、ポテトチップやナッツのほか「m&m‘s(警告:茶色のものがあってはいけない)」とありました。デイヴィッドによれば、悪ふざけや我儘によるのではありません。付帯条項は各会場で十分な物理的空間と荷重に対する剛性、必要な電圧を確保するために指示を与えているのです。ステージが機材の重さに耐えかねて崩壊したり、照明がショートしたりして不慮の事故での生命に危険が及ばないようにするためです。デイヴィッドは会場に着くと「m&m‘s」の入ったボウルを調べました。茶色が混じっていたら、相手が契約書の条項を真面目に読んでいないことがわかるからです。
 ・ソロモン王もデイヴィッドも、ゲーム理論を有意義に実践していた。
第8章 聞く耳を持たない人を説得するのは=その話し方では100年かけても人は動かない
 ・人を説得することがどんなに難しいことなのか、なぜそうなのかを理解することが重要です。相手の考えは事実や論理よりもイデオロギーや群集心理に根差している場合が多いからです。面と向かって言っても相手に否定されるだけです。さりげない後押しや新しい初期設定によって相手を肘でそっと突くように誘導した方がいいのです。例えばトイレを綺麗に使ってもらいたいなら、「綺麗に使いましょう」と書くより小便器の真ん中に的を書いて、あとは的に命中させようとする男性に本能に任せればいいのです。
 ・相手の意見を変えさせるには、①主役は自分ではなく相手(お客様がすべて) ➁自分の主張が完璧だというふりはしない ③相手の主張の良い点を求める ④罵詈雑言は胸にしまっておく ⑤物語を語る のです。
第9章 やめる=人生を「コイン投げ」で決める正確なやり方
 ・あなたは「やめるべきこと」を続けています。辞めるのをためらわせる力は3つあります。①やめるのは失敗を意味する。②サンクコスト(埋没費用)=今更やめるのはもったいないという心理 ③目に見えるコストに囚われ「機会費用」(逸失利益)のことまで頭が回らない という3つです。失敗は別段悪いことではありません。つかの間の挫折でしかありませんし、場合によっては「勝利」になるのです。
 ・「コイン投げで人生を決める実験」の結果、みじめになるようなデータも得られませんでした。コイン投げという全くランダムな結果の出る方法を元に生活を変えることに抵抗があるかもしれません。それに決断の責任を放棄するのにもっと抵抗があるかもしれません。しかし、ちょっとした決断でいいなら、コイン投げに任せてみれば「やめるのはタブーだ」という思い込みを捨て去れるとが出来るはずです。
この本の中で、最も大事なのは、子供の感性を持ち続けることではないかと思います。どのような問題でも好奇心をもって子供のように色々なアイデアを出して、その中から答えを導き出すのです。イノベーションの芽を探しアイデアを出すためには子供のような発想が必要かもしれません。また、➀一般通念を捨て去る。②自分を引き留めている人為的なバリアを捨て去る。③自分が知らないということを恐れる気持ちを捨て去る。④真ん中を狙う方が成功率が高いと知りながら、ついゴールの隅を狙ってしまう癖を捨て去る。このように「捨て去る」「やめる」ことができるならば新しい発想が生まれてくるはずです。

休日の本棚 戦略論の名著 「孫子」

おはようございます。

「『戦略』とは何か?勝ち抜き生き残るために、いかなり戦略をとるべきなのか?」古今東西の戦略思想家たちが頭を悩ませ、その英叡智を結集した多くの名著があります。その一つが孫武の「孫子です。「孫子」は春秋時代(紀元前770~403年)の兵法家・孫武によって書かれたとされていますが、孫武の生没年・出生地も不詳で、「孫子」の原本も今のところ発見されていません。1972年に、山東省銀雀山で紀元前317年から134年頃と思われる漢墓から「竹簡孫子」が発掘されて、孫武が実在の人物だということは決着しているようです。

孫子」の冒頭に、「兵とは国の大事なり。死生の地、存亡の道、察すべからざるなり」とあります。戦争とは、国家にとって回避できない喫緊の課題です。戦争は国民の生死に関わり、国家存亡の分かれ道でもあります。だから、戦争を徹底的に研究しなければならないというのです。

ビジネスも戦争に例えられることがあります。元々「戦略論」は、戦争で勝つために何を行うべきかというところで使われた言葉ですが、その後ビジネスにおいて戦略論が展開されるようになりました。当然、ビジネスにおいても戦略は必要で、生き残る為に徹底的に研究しなければなりません。

1.「連戦」してはならない。

  •  百戦百勝は善なるものに非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するのは善の善なる者なり

 戦いにおいては、自分も相手も傷つかないように勝つことを考えなければなりません。どちらが勝っても負けても、傷つけば疲弊し、回復に大変な時間と労力がかかります。一番いい勝ち方は戦わずに勝つことです。本来ならば、「百戦百勝」は素晴らしいことのはずですが、孫子は「そんなことは褒められたことではない。むしろ危うい。現実に戦ってしまったのだから」と言うのです。

 ビジネスにおいても日常の争いごとにおいても、たたかつっしまえば無傷というわけにはいきません。たとえ勝ったとしても、何らかの傷を負います。相手の恨みを買い、新たな火種を植え付けることにもなりかねません。新たな火種を消そうとすれば、相手の傷を癒してあげるとか、金銭的・経済的の手当をするなど、労力やお金のかかるサポートが必要になります。

だから、孫子は「戦ってはいけない」というのです。もちろん、ビジネスにしろ人生にしろ戦いであることは否めません。しかし、実際に戦う前に、自分も相手も傷つかない勝ち方、つまり戦わずに交渉で勝敗を決するような方法を考える必要があるのです。

2.戦う前に相手の戦闘心をくじく

  •  上兵は謀(ぼう)を伐(う)つ

 戦う前に確かめるべきことは、相手に戦う気があるかどうかです。戦う気があるのなら、相手が戦う気をなくすように仕向けるのがいいというのです。また、戦いの芽が小さいならば、小さいうちに摘み取ってしまうのです。

  • 天下の難事必ず易きより起こり、天下の大事は必ず細(ちいさ)きより作(お)こる。

 天下の難事・大事といえども、事の起こりは簡単に解決できる些細なことです。

 相手の闘争心の芽を早めに摘み取っておけば戦いを未然に防ぐことができますし、早めに摘み取るのなら比較的簡単にできます。

 ライバル会社が自社と同じクライアントを狙っていると分かった場合、どのように対処すればいいでしょうか。

  1. 相手会社の社長や担当者にあって、うちと戦う気があるか確かめる。
  2. 「戦意あり」と分かったら、態度を豹変させ、可能な限りの方法と回数で歴戦の強者としての実力を示す。相手の弱みを研究していることも示す。
  3. この戦いが「労多くして益少なし」と思わせるような要素を繰り出していく。 

このような方法が採れるのは、自社が圧倒的に他社よりも有利な地位にいる場合(本気で戦っても勝つ場合)だけで、力が拮抗している通常の場合には難しいところです。 

3.戦略の基本は、「非戦・非攻・非久」

  • 善く兵を用うる者は、人の兵を屈するも戦うに非ざるなり
  • 人の城を抜くも、攻むるに非ざるなり
  • 人の城を毀(やぶ)るも、久しきに非ざるなり 

 これらは、「自分にしかできないオンリーワンの分野を持ちなさいということ」と理解できます。そうすれば戦う必要はなくなりますし、よしんば争いが生じても、長引かせないことが重要です。

  1. 非戦・・・戦わずに勝つ方法を考えることです。ビジネスでも人生でも、誰にもまねのできないオンリーワンの分野を持てば、勝てないと分かっている相手に戦いを挑む者は出てきません。
  2. 非攻・・・自分から相手をねじ伏せるようなことをしてはいけません。相手が追い詰められて自分から崩れていくのを待てばいいのです。ビジネスにおいても自分が圧倒的な力を持つことで、ライバルを不利な状態にすれば自然と崩れていきます。
  3. 非久・・・戦わなければならなくなっても長引かせてはいけません。ビジネスでも戦いが長引くと双方ともに疲弊するだけです。緒戦に全力投入し、勝って主導権を握り、早いうちに切り上げることが肝要です。

他に、「負けるが勝ち」ということもあり得ます。当面は価値を譲ることで、将来の大勝利に賭けるという戦略ですが、そのためには中長期的な戦略が必要になります。

このように「孫子」には、ビジネスにおいても役立つ名言がいろいろと載っています。古典というべき有名な戦略論を読み解くことも必要です。

部下に対する質問方法

おはようございます。
これまでも部下の育成に関して書いてきました。部下の育成方法もさまざまです。中には、「部下の指導・育成は上司の仕事ではない」というのまであります。確かに、上司も自分の仕事を抱え、部下の指導にのみ関わっているわけにはいきません。しかし、自らが率いる組織やチームが成果を挙げなければなりません。そのためには部下が成果に貢献できるように指導・育成することが不可欠です。
今回のコロナ禍で、テレワークやリモートワークがニューノーマルとなれば、『空気を読む』『阿吽の呼吸』が難しくなれば、適切な言葉に落とし込む力(言語化力)とパワフルな言葉で問いかける力(質問力)の必要性はますます高まっています。テレワークやリモートワークでなく出社形態の勤務においても、言語化力や質問力は上司・リーダーには必要なスキルです。
部下の育成においても、上司が正解を教えるのではなく考える道筋を与えることが重要です。そのためには部下の話を聞き、適切な質問を繰り出してその回答を考えさせる中で部下自身が自ら成長できる環境を作ることです。部下自身が自分で考え行動できる環境を整えることで、部下の力を引き出し成果を出すことができるのです。
そのためには、部下の力を引き出し、部下自身が自ら成長できる質問の出し方が重要です。
メンバーの状況や業務に応じたパワフルな問い、言い換えれば思考を深めたり議論の流れを変えたりできるような適切な問いを発することが大切です。この「パワフル・クエスチョン」の素が誰でも知っている「5W1H」に詰まっていると言っても過言ではありません。
5W1Hをマネジメントで効果的に使うためのポイントは、1つ一つの意味(本質)をしっかりと理解することです。その上で、部下の視点、意見、提案に対し、
・When(時間・過程軸)・・・「時間的インパクト(変化)」を問う。
・Where(空間・場所軸)・・・事象の「全体像・重要箇所」を問う。
・Who(人物・関係軸)・・・明確な「ターゲット」の視点を問う。
・Why(目的・理由軸)・・・より上位の「目的・未来の姿」を問う。
・What(自称・内容軸)・・・「だから何?違いは何?」を問う。
・How(手段・程度軸)・・・「施策の判断基準・実行の難所」を問う。
部下とのやり取りも、「どう思う?」ではなく、以上の6つの軸に則った質問を繰り返すことで部下に考えさせることが重要です。部下にさまざまな思考を促す問いかけが必要なのです。
そう言っても、現場では中々うまくいきません。うまくいかない原因は、その問いかけが ①「質問」ではなく「尋問」「詰問」になっている 答えにくい「質問」になっている からです。ここで重要なのは「Why?(なぜ?どうして?」です。いきなり「なぜ?どうして?」と問いかけられても、聞かれている方はそれを「尋問」なり「詰問」ととらえ、何をどう答えればいいのか分からなくなってしまいます。
こうしたマネジメント方式では、長期的にはメンバーの自主性や自律性をそぐことになり、上司の気にいるような独創性のない「正解探し」にばかり走ってしまいます。これでは部下を育てることにはなりませんし、成果を上げることもできません。
問題解決の場面では、「原因探し」の前に「場所探し」、つまり「Why?」という原因追及の前に「Where?」という場所探しから入ることがポイントとなります。
「なぜミスが起こったのか」を問う前に「ミスの発生場所はどこか」、あるいは「どうして売り上げが落ちたのか」を問う前に「売り上げのどの部分が特に落ちているのか」を問うことです。つまり問題の所在を様々な切り口によってできる限り特定するということを先に行うのです。
「なぜ?なぜ?」と原因ばかりを問い詰めるのではなく、「どこ?なぜ?」と部下の思考を深めて問題解決を促していくことこそが重要です。
話は変わりますが、トヨタでは通常の5W1Hとは異なる5W1Hがあります。これは「Why? Why? Why? Why? Why? How?」です。ひたすら「Why?なぜ?」を問い続けるのです。これは徹底して原因を突き止めることを目的としています。徹底して原因追及(Why)することで本当の原因を洗い出し、真の対応・解決方法(How)が明確になるというものです。
このトヨタ式5W1Hは、クレーム対応や組織・チームの問題解決の場面では、全社員に問いかけることで「Why?」を徹底的に集めることができ、それらを検討することで真の解決方法(How)が見つかることにつながります。一方で、部下個人の状況や問題解決には普通の5W1Hが有効だと思います。先ほども書きましたが「Why?」を連発すれば部下は「詰問」されているように感じ委縮します。この場合には「Where?Why?」という問いかけが有効なのです。
このように考えると、普通の5W1Hとトヨタ式5W1Hをうまく使い分けることが重要ではないかと思います。 

失敗を活かす

 
今はVUCAと呼ばれる先行きが見通せず何が正解か分からない時代です。このような不確実な時代には試行錯誤を繰り返しながら成功にたどり着くしかありません。今こそエジソンの「私は失敗したことはない。ただ1万通りの上手くいかない方法を見つけただけだ」「決して失望などしない。どんな失敗も新たな第一歩となるからだ」という言葉が活かされる時代になっています。
1.失敗から学べる教訓がある
 一つの失敗事例として、アマゾンが手がけたスマホ(ファイアフォン)を挙げることができます。このスマホは、カメラで撮影した商品や、音声認識された音楽や映像を特定し、ウェブページに飛んで瞬時に購入できる機能が備えられていました。アマゾンの「世界をすべてのショールーム化する」という野望が詰まった製品でした。ところが、アマゾンが思うほどの反応はなく、発売1年あまりで製造中止に追い込まれました。ユーザーがスマホに期待していたのは電池の持ち時間や通信量の改善であって、買い物が多少便利になったからと言ってそこまで魅力的に映らなかったのです。要はユーザーのニーズとアマゾンのビジョンとの間にずれがあったということです。
 アマゾンは自社が描く輝かしいビジョンにばかり目が行ってユーザーの視点が欠落しユーザーのニーズを把握できていなかったのです。
 しかし、アマゾンは、この失敗経験を見事に活かし、AIアシスタント「アレクサ」を搭載した「アマゾンエコー」を発表し、大成功に導いています。
 「他社の失敗事例だから」とか「大企業の失敗事例だから」といって他の企業や中小企業にとって役に立たないものではありません。企業において失敗はつきものですし、規模は違えど同じような失敗を繰り返しています。こうした「失敗」事例から、我々の日々の生活や企業活動に活かせる教訓や知恵が見いだせるはずです。
2.5球投げて1球だけ成功する
 失敗学の権威でもある畑村洋太郎東京大学名誉教授によれば、失敗とは「人間が関わって行う一つの行為が、はじめに定めた目標を達成できないこと」です。つまり、「従前の予想通りには行かず、想定外の結果に終わる」ことです。  
 先ほどの書きましたが、今はVUCAの時代で、外部環境は全く予測できません。それを前提として事業を展開しなければならないわけですから、一つに絞って資源を投入するのはあまりにもリスクが高すぎます。色々な領域にアンテナを張って万が一の場合に備えておかなければなりません。
 事業の持ち玉は5つぐらいあった方がいいのです。5球投げて1球ぐらいが当たる、そんな世界に我々は生きているのです。
 5球投げて1球だけが成功するというのは、残りの4球は失敗です。これを認めることが重要です。エジソンは1万通りの失敗(上手くいかない方法)を経験しています。4つの失敗などエジソンからみればたいしたことではありません。
 この不確実な時代では、失敗は我々と隣り合わせにあります。失敗と共に生きる覚悟が必要ですし、失敗を恐れる必要もありません。
 以前「アダプト思考」で書きましたが、「失敗を恐れず、失敗したらそれを認める勇気を持ち、失敗を学びに変えていく、このプロセスの繰り返しが、発展・成長のカギとなる」のです。
3.失敗と向き合う
 事業を永続させるためには、失敗とどう向き合うかが大切になってきます。
これは生易しいものではありません。「失敗はしてはいけない」「失敗は表に出すものではない」といった風潮が未だに多くの企業や社会に見られます。そうなると失敗は良くないことで隠そうとするようになります。これでは、失敗と向き合うことも出来ませんし、失敗から学ぶことも出来ず、ひいては成長も発展も望めません。
 それではなぜ「失敗は恥ずべきもの」という風潮が生まれるのでしょうか?
 この問いについて、「失敗をどの時間軸で捉えるかが関係している」のです。失敗した時点で捉えれば、それは失敗かも知れませんが、時間軸を延ばした途端成功の一部になることもあるのです。その失敗を糧として、次の製品や事業の成功に繋がっているのならば、それは失敗ではなく成功の一部、成功の芽となっているのです。失敗も長期の時間軸でみると、成功の一つの経験や過程になるということです。
 しかし、往々にしてビジネスの世界では、短期的な結果を求める傾向にあります。四半期ごとの業績を問われたり、1ヶ月ごとでKPI(重要業績評価指標)が達成できているかチェックされたりしています。これを達成しようとすれば「失敗しないように」というプレッシャーが組織全体にかかります。
 確かに短期的な結果達成も重要ですが、長期的な視点とのバランスです。
 以前「稲盛経営と永守経営」で書きましたが、永守重信氏も経営における数字を重視しますが、単に細かな数字を積み上げることは無駄であるとし、長期的な目標と短期的な堅実な成果を重要視します。
 また、稲盛氏は、「失敗しないために漠然と無意注意ではなく、目的を持って意識や神経を集中させる有意注意」と言います。
 失敗したことを気にしてその場にとどまっている限り前には進めません。だから早く忘れて次の挑戦へと踏み出さなければなりません。挑戦し続ければ、前の失敗が活かされます。無意注意ではなく「これを目指してやっていこう」と目的を持って意識や神経を集中させる有意注意で望めるようになるのです。
 失敗にとらわれていてはいけません。少し客観的にみてみることです。重要なのは俯瞰することです。特に経営者は、常に長期的視点で事業を俯瞰し、失敗した際にどう総括するかという視点を持つ必要があります。大きな失敗だったとしても「当時は苦しかったけれど、それが現在にこういう風に繋がっている」と振り返ることが出来ればいいのです。
 過去は変えられないと言われることがありますが、実はその失敗をどう解釈し、どのようなストーリーを語るかで過去は変えることができるのではないかと思います。

休日の本棚 コア・コンピタンス経営 大競争時代を勝ち抜く戦略

おはようございます。

今日は、G・ハメル&C・K・プラハラード著「コア・コンピタンス経営 大競争時代を勝ち抜く戦略」(日本経済新聞社を紹介します。原書は、「Competing for the Future」(未来のための競争)です。なお、「コア・コンピタンス経営 未来への競争戦略」として文庫化もされています。

この本が出版されたのは1995年で、日本企業が圧倒的に強さを発揮し、アメリカ企業は長い低迷期から脱しようやく成長に転じようとしていた時代です。この本には、ソニー、ホンダ、シャープ、東芝などの日本企業が成功例として紹介されていますが、現在これらの企業は低迷に苦しんでいます。一方、アメリカ企業は復活を遂げています。 

競争が激化し、企業の持つ経営資源が相対的に希少化してくると、企業はその戦略として、投資の効果や効率を最大化しようとします。

経営資源を投下する際、競争市場のどこに、どのように自らの存立基盤を築くのかが「ドメイン(市場内生存領域)」の問題です。ドメインを策定するには、市場のニーズを反映し、競争上の差別優位性を発揮できる分野に特定化することです。そのために、①顧客のどのようなニーズに対応するのか(What)②ターゲットとなる顧客層は誰か(Who)③どのような独自技術やノウハウを用いてどのように提供するか(How)の3つが重要になります。そのHowの部分がコア・コンピタンスです。

コア・コンピタンスとは「自社の中核的な技術やノウハウ、自社の最大の強み」「顧客に対して他社にはまねできない自社ならではの価値を提供する、企業の中核的な能力」のことです。この本の例でいえば、ソニーの製品を小さくまとめる技術やホンダのエンジン及び駆動系技術、シャープの液晶技術などがそれに当たります。

かつて、ソニーは電子技術とメカニカルな機械技術の組み合わせによって、製品の小型化に成功し、この小型化技術を「コア技術」として、顧客に「携帯性」という価値を提供する、携帯ラジオ、ウォークマン、ハンディカムなどの製品を作りました。

また、ホンダは、徹底的に究めたエンジン技術を「コア技術」としてCVCCというエンジン技術により省エネや排ガス規制に対応した初代シビックを作りました。

シャープは、液晶技術を「コア技術」として。製品の小型化・省エネ化が可能となり、小型電卓、電子手帳ザウルス、液晶テレビなどを作りました。

このように「コアとなる技術」と「顧客の利益」が結びつくことによって競争に打ち勝つ強い製品が生まれています。

しかし、コア技術も、それで成功した企業があると当然それを真似しようとする企業が出てきます。今のコア技術が10年後20年後もコア技術として企業の強みになるとは限らないのです。コア技術の上に胡坐をかくのではなく、時間をかけて常に磨き続けなければなりませんし、常に新しいコア・コンピタンスを見つけ育てていかなければなりません。

かつて勝ち企業であったシャープは、液晶テレビが大きな売り上げを占めると、商品技術である液晶テレビに重点投資し、コア技術への投資を怠り、液晶テレビが衰退しはじめると、次の目玉商品を生み出せず、今では台湾企業の傘下にあります。

 コア・コンピタンス経営は、企業が中核的な能力を徹底的に磨き上げることで、新しい市場を創造し、持続的な成長企業を実現するという競争戦略です。

 コトラーによれば、企業の競争地位は、「リーダー」「チャレンジャー」「フォロアー」「ニッチャー」の4類型に分かれます。

 「リーダー」は、当該市場における最大シェアを保持している業界最大手の企業であり、最大シェアを確保・維持するためにドメインを広く抽象的にするオーソドック戦略をとることになります。「チャレンジャー」は、リーダーの地位を狙って挑戦する企業で、リーダーと同質化戦略をとっても勝ち目はないので、顧客機能や独自能力によってリーダーと徹底的な差別化を図ろうとします。こうしたチャレンジャーにはコア・コンピタンス経営が適していると言えます。「フォロアー」は、リーダーとチャレンジャーが熾烈な争いをしている市場を避け、その他の市場で模倣戦略を取ります。「ニッチャー」は市場内のニッチな部分で、ドメインの範囲を限定し、そこに合うニーズと独自技術・ノウハウを使って差別化を図ります。ニッチャーもコア・コンピタンス経営が適していると言えそうです。

コア・コンピタンス経営には次の3点が重要です。

1 企業が追及すべき顧客の便益を明らかにする

 多くの企業が顧客ニーズを把握することの重要性は理解していますが、十分に顧客ニーズを把握しているとは言えません。漠然と顧客ニーズを把握しているだけでは適切な競争戦略を打ち立てることはできません。顧客ニーズを把握し、それを細分化して、自社が提供すべき便益と細分化された顧客ニーズを明確に結びつけることで、迅速な対応が可能となるのです。

.顧客の便益を提供するのに必要な自社の技術・能力を高める

 自社が保有する経営資源には限りがあります。「選択と集中」の観点から限られた経営資源をどこに投下するのかを決めなければなりません。自社のコア・コンピタンスをどこに設定するのか、ドメインをいかに絞り込んでいくのかという戦略的な意思決定は経営者の重要な役割・任務です。

 常に、顧客のニーズに合った便益を提供し続けるためには、自社の技術や能力に常に磨きをかけ高めていかなければなりません。

3.企業と顧客との接点を重視する。

 自社の持つ技術と顧客ニーズが上手く結びつくと、消費者の支持を受ける製品やサービスが生まれます。しかし、時間の経過とともに、自社のコア技術と顧客ニーズの間にずれが生じるようになります。それは、消費者(顧客)は一旦便益が得られると、それに満足せずより高い便益を求めるようになるからです。企業は、常に市場の動向を把握し、顧客の声を拾い上げデータベース化し、社員全員が共有できるようにして、開発改善に取り組んでいかなければならないのです。

コア・コンピタンス経営は「市場の発見・創出につながら未来の戦略だ」というのは良く分かります。文庫化で「未来への競争戦略」と副題がつけられているのも納得できます。これまでの価格競争を重視した戦略とは一線を画するものです。

かつて日本企業が自社の強みを活かして欧米に打ち勝ってきたコア・コンピタンス経営は、長期的な視野を持って、コア・コンピタンスの発見と保持、その発展に努力するとともに、それを製品やサービスに巧みに生かしていく方法を見つけなければ、日本企業が低迷したようにやがて終焉を迎えることになります。多くの日本企業が低迷しているのは、コア・コンピタンスを発展させることができなかったからです。

企業の力としてのコア・コンピタンスは、最終的には個々の社員のスキルや、ノウハウにまで分解されます。組織内に分散している個々の暗黙知的なスキル、ノウハウを全体で共有し知を創造し、それを企業の力に転換していくことが大切なのです。嘗ての日本企業にはこうした強みがありました。組織の末端のレベルまで巻き込んで独自の企業力を育てなければなりません。その点を忘れて効率化を重視した経営に走った結果、日本企業は衰退していったと言えそうです。

コア・コンピタンスの視点がないまま。効率重視でリストラやダウンサイジングによる省力化や効率化を推し進めるならば、社員のモチベーションやエンゲージメントを低下させ、コア・コンピタンスを支える人材までも失い、ついにはコア・コンピタンスまでも失う危険性があるのです。

コア・コンピタンス経営」も競争戦略の一つにしかすぎません。絶対的に正しい戦略というものはありません。どのような戦略にもメリットとデメリットがあります。この点を頭に入れたうえで、自社の競争地位を考慮し「自社の強み」を活かしていく「コア・コンピタンス経営」を今一度見直してもいいのではないかと思います。

今日は、本の紹介というよりもコア・コンピタンス経営の説明になってしまいました。

休日の本棚 成果主義と人事評価

おはようございます。
今日は、内田研二著「成果主義と人事評価」(講談社現代新書という本を紹介します。
これまでも、ジョブ型雇用との関係で成果主義については書いてきましたが、今日は改めて本の紹介です。
コロナ禍でのテレワークの導入に伴い、ジョブ型雇用にシフトさせようとしている企業もあり、一般にジョブ型雇用=成果主義と見られています。ジョブ型雇用と成果主義は密接な関係はありますが、まったく同一視できるものではありません。この本も、初版は2001年に出版されていて、ジョブ型雇用との関係で論じられているわけではありません。
人事制度を抜本的に変えて人心を一新しようという動きは以前からありましたが、現実に処遇を変動させると社員の士気は下がるかもしれませんし、社員の生活保証に重点を置きすぎると、高い人件費が経営を圧迫しかねません。一方で、人件費の削減に成功しても、優秀な人材が育たなければ業績は向上せず、苦労して優秀な人材を育てても他社に引き抜かれては意味がありません。中途半端な人事制度の改革では意味がなく、さりとて抜本的な改革を行うには勇気がない、と言ったところが大方の経営者の心中です。ただ、間違いなく多くの経営者は、終身雇用と年功序列に守られた日本的経営を捨て(あるいは日本的経営の良さを残しつつ)雇用の流動化と成果主義賃金を受け入れなければ現状の閉塞感を打破できないと感じているはずです。それが単なる気分にとどまらず、ようやくコロナ禍での働き方改革で、具体的な人事制度の形となって現実に人事評価や賃金制度の改革へと一歩歩を進めてきているように思います。
この本は、人事制度の改定につきものの悩みをさまざまな側面から考察し、真に企業価値を高める人事評価と処遇の在り方への手掛かりを探ることを目的として書かれており、今でも十分に役立つ本です。
第1章 危うい成果主義人事評価
 成果をどのように評価するのかという問題がありますが、評価の基準によって成果主義に基づいた人事評価や処遇制度には様々な問題が出てきます。どのような制度を作っても、それには長所と短所を必ず伴うため、根本的な問題は解決されず、これで十分という安心感が得られません。そうすると、さまざまな不都合が現れるために何年か経つと人事制度の改定が話題となり、議論は堂々巡りを繰り返します。
 日本においては、成果主義的な賃金体系を導入した後も、従来の評価方法との整合性を図り、職場の風土や組織運営に悪影響を与えないように慎重に運用します。これは日本型経営の良さである反面マイナスにも作用します。成果主義の本来の目的は、やる気を出させて業績を向上させることですが、実際には運用段階でマイルドに修正され、やる気も業績も向上しないということになってしまうこともあるのです。そうなると、成果主義は減点評価のための手段と化し、結果を出さない社員を単に脅すだけの手段になってしまいます。
 現代の経営者は、経営理念の喪失、情報の氾濫、市場の脅威の中で、重責を担う孤独な存在です。このような経営者が、戦後の高度成長期を支えた終身雇用慣行や年功序列型賃金の重圧から逃れ、人件費を有効活用できる便利な人事制度に頼りたいと考えるのも当然です。しかし、このような経営者の願いにこたえて人事制度を改定しても、実際には大した効果はありません。人件費削減と業績向上を同時に実現するはずの仕組みが期待通りに機能しないのです。それは、改定された人事制度の内容が経営者の不安を単に表面的に緩和するために作られているにすぎないからです。中途半端な人事制度の改定では何の役にも立たないのです。
第2章 変貌する仕事と人事制度
 仕事の分担について、個人ごとに役割課題が明確にされ、仕事は自己完結的になってきています。ルーティン作業で結ばれていた昔の職場に比べて、現代の職場では身体を使った共同作業が少なくなり、仕事を通じて同僚と呼吸を合わせることが少なくなった分だけ人間関係も疎遠になってきています。テレワークの進行に伴いさらにこのことが助長されています。テレワークでなくても、一人ひとりの仕事のスタイルが自己完結的になってくると、職場で働いていても、どこかテレワークに近い疎外感を感じるようになります。
 私たちは、自己完結的に仕事を進めながらも、自分の仕事ぶりが上司や同僚からどのように見られているかに非常に気を使うものです。しかし、自分の存在意義を認めるべき評価基準も揺れ動いているため、不安が増幅されるのです。人間は不安になると大胆な行動をするのを避け、そこそこの評価でも確実な評価を得たいとリスクヘッジを考えます。
 経営者も社員も将来に不安を感じながら現在の成果に頼っています。経営者が社員の成果に見合った報酬を支払うという関係の上に企業組織は辛うじて均衡を保っているのです。ところがこの均衡は極めて危ういものです。将来に大いなる不安を抱きながら短期的な成果と報酬の交換でその場をしのいでいるだけで、いざ経営環境に逆風が吹いたときには、経営を立て直したり組織を維持したりする力が働かないことがあります。不安がある組織では、経営環境の動揺の中で企業が存続していく底力を失うのです。
 現代のように経営者の不安や危機感が強い時代ほど、強力なインセンティブで社員の業績推進マインド(モチベーション)を高めようとします。しかし、短期的な収益追求やノルマの達成に執着するような評価が行われると、仕事の意味を深く考えることよりも行動することが優先され、かえって社員を現実感覚から遊離させ、自発的に価値を生み出そうとする意識を曇らせてしまいます。自分の存在を一番気持ちよく実感できるのは、誰かに信頼されたり、人の役に立って感謝されたときです。人(同僚や上司)との間で信頼関係を築き、何らかの価値を生んでいると自覚するとき、やりがいを感じ、自分の存在意義を実感するのです。これが仕事に対する内的動機付けになるのです。
今日の人事評価は難しいものです。それは、単に昇進の序列や金銭的な生活保証だけでなく、社員の存在感を証明する役割も担っているからです。
第3章 成果主義をどう活用するか
 価値を生みやすい適正規模の組織を作った場合、人的リスクへの対処が最大の問題となります。社員一人が力量に見合った大きな権限を持ち、仕事を自分の裁量で進めることができる組織では、一人ひとりの社員の考え方と行動によって企業業績が大きく左右されるからです。
 このような人的リスクを回避する第一歩は、上司と部下が働く条件について合意をしておくことです。基本的な合意事項を明文化したならば、次のステップは価値観を共有することです。新しい価値観を生み出す場は、社員と顧客あるいは社員同士に関わる具体的案件です。具体的案件への対処を通じて価値は生まれます。ところが価値というのはきわめて主観的なもので、評価する中で気力と体力をかけて真剣に議論しなくては発見できません。徹底的な議論を重ねていくことによって、企業として大切にすべき価値観が明らかになり、その価値を生んでいる行動を高く評価することによって価値観が伝播され共有されていきます。
 価値の発見と共有を意識した人事評価が行われるとき、その評価の納得感はおのずから高まります。評価が妥当かどうかを判断するときには、どんな価値観に基づいた評価なのかを知ることが最も重要です。経営者と社員の間で価値観が共有されていない限り、社員はどのような評価を得ても納得しませんし、評価が行動のインセンティブにはなりにくいのです。安易に客観的基準だけで評価を行うと、根底にある価値観が見えないために、たとえ高い評価や処遇を与えられたとしても社員は将来に不安を案じてしまいます。経営者が時間と体力をかけて真剣に議論して発見した価値観を社員と共有して初めて、社員は会社と繋がっているという安心感を持ち、その価値観に立脚した行動を取ろうとするのです。
 このように人事評価を捉えるとき、人事評価は経営者と社員あるいは上司と部下の間のコミュニケーションの結晶です。価値観の共有を促進する視点から人事評価を活用するには、経営戦略的な視点からコミュニケーションのあり方を見直す必要があります。人事面談だけでなく、定例会議、個別案件の打ち合わせ、朝礼、研修、日々の会話などあらゆるコミュニケーションの機会を、価値の発見と共有という観点から見直さなければなりません。価値の発見と共有という意識が日常会話の一言一言に反映されるようになれば、コミュニケーションが活性化し、組織の生命力が再生していきます。
 コロナ禍でテレワークが進行する中、成果主義は避けることができない必然的な流れです。しかし、現在のような経営環境で成果主義を徹底すると、淘汰されてしまう恐怖心から社員に警戒心が高まり、信頼関係や協力を損なうことがあります。その根本的な原因は、価値を生みやすい組織になっていなかったり、ビジネス・コミュニケーションが徹底されていないことなのです。
 経済合理性だけを行動の指針とせず、協力する人間関係こそが本来のあり方であり、成果を上げることは人間関係構築のための手段だという視点に立ってみることも大切です。成果主義の風潮を人間的な観点からみて、価値の発見と共有、そのためのコミュニケーションを重視することが大切なのです。
 コロナ禍でテレワークが導入され、ジョブ型雇用、成果主義が叫ばれている現在、この本のような見方で成果主義を捉えることができれば、成果主義の良さを徹底することができるように思います。

休日の本棚 死生観

おはようございます。
今日から4月です。今年は3月に暖かい日が続いたので、桜の開花も例年より早まり来週には散りそうです。
「散る桜 残る桜も散る桜」 良寛禅師
今まさに命が燃え尽きようとしているとき、たとえ命が永らえようとも、それもまた散りゆく命に変わりがないという良寛禅師の辞世の句に潔さと美しさを感じます。桜は咲いた瞬間から散りゆく運命を背負っていますが、また人間も同じです。人はいつかは死ぬものです。いつ死ぬのか、死とは何かに思い悩んでいても、答えは分かりません。死ねば分かります。思い悩むよりも、今を精一杯生きることが大切です。そして死が訪れたときには良寛禅師のごとく潔く燃え尽きたいと思います。
さて、良寛禅師の辞世の句を紹介したので、今日は「死」について考えてみたいと思います。最近、死に関する本が書店で目に付きます。
シェリー・ケーガン著「DEATH 死とは何か」(文嚮社)五木寛之著「死の教科書」(宝島社新書)上野千鶴子著「在宅ひとり死のススメ」(文春新書)橋爪大三郎著「死の講義」(ダイヤモンド社池上彰著「池上彰と考える『死』とは何だろう」(KADOKAWAなどです。
シェリー・ケーガン著「DEATH 死とは何か」イエール大学の哲学講義ですが、それ以外は内容的には団塊の世代向けといったところでしょうか。団塊の世代(戦後昭和22年から昭和24年に生まれた世代)は、いわゆるマニュアル本世代です。大学受験で旺文社の「傾向と対策」を活用し合格した世代、その団塊世代が死を意識し出した年代になり、死へのマニュアル本を求めていると言われています。
「人生100年時代」と言われるようになりましたが、災害や病気でわれわれの日常は死と隣り合わせです。
五木寛之著「死の教科書」は、「死にゆく人たち、それを看取る家族や友人。死にゆく者を見送る家族は生にすがり、少しでもその人の命を延ばそうとします。死はいったい誰のものなのか、去り行く人と見送る人、その両者の視点から、さまざまな48の問いかけに五木寛之氏が答える問答集」です。
上野千鶴子著「在宅ひとり死のススメ」は、累計122万部のベストセラー「おひとりさま老後」シリーズの最新版で、慣れ親しんだ自宅で自分らしい幸せな最期を迎える方法を教えてくれています。「孤独死」ではなく「おひとり様死」です。
橋爪大三郎著「死の講義」は、社会学者である著者が、キリスト教イスラム教、ユダヤ教、仏教など、それぞれの宗教が持っている「死とは何か」についての考え方を説明し、死について考えるうえで宗教の重要性を説き、どの宗教を選ぶか、「死とは何か」「死んだらどうなるか」は自分で決めなさいと言っています。
池上彰著「池上彰と考える『死』とは何だろう」は、「死と向き合うことで、自分はどう生きるべきかということが浮かび上がってきます。格差社会と言われる中、誰にでも『平等』に訪れるもの―それは死です。・・・誰もが迎えることになる『死』についての知識を深めることは『自分の生き方』について深く考える作業になります。『死』を考えることは『生』を考えることだ」と言っています。
仏教の創始者ブッダは、80歳の時、旅の途中、チュンダという人物から施しを受けた供物を食べて亡くなったと言われています。衰弱していくブッダの姿を見てチュンダは責任を感じて嘆き苦しみます。そんなチュンダにブッダが言い聞かせます。
「チュンダよ。嘆く必要はない。お前は最後の供物を私に与えてくれた。大いなる功徳がお前にはある」
また、死の淵をさまようブッダの傍らで、不安で狼狽える弟子のアーナンダに対し、ブッダは言います。
「嘆くでない。悲しむでない。生じたものが滅しないということはない。生まれた者は必ず死ぬのである」
人は生まれた時点で「寿命」という余命を宣言されています。誰もが生きて、死ぬのです。この世に生まれたということは、致死率100%の寿命という病にはじめから冒されているのです。人は病に冒されたから死ぬのではありません。生まれたから死ぬのです。
人は必ず死にます。これは諦観ではありません。仏教で「諦める」ということは努力することを止めることではありません。「諦める」というのは、真理や真実を「明らかにする」ことです。真実真理を明らかにして、やるべきことをやったうえで、後は仏様にお任せすることです。「人は必ず死にます」この真実を明らかにし認めたうえで、精一杯努力してやるべきことをやって、「いつ死ぬのか」「どのように死ぬのか」は考えても仕方ないので、お任せすればいいのです。
人生100年時代と言われるようになりました。一方、会社については企業寿命30年説が有力に唱えられています。永遠に存続する企業などありません。新たなチャレンジを起こすことなくこれまでの業績の上に胡坐を組んでいれば、どのような企業も衰退します。その寿命は30年です。人の寿命よりも短いのです。どのような企業も、成長段階から成熟期、衰退期というライフサイクルをたどります。一つの製品、サービスで顧客を捉まえておくことができるのはせいぜい30年なのです。
 「桜は散る。人の命も散る。必ず散るこの命とは何なのか
良寛禅師は「散る桜 残る桜も散る桜」という辞世の句の中で、よいよい生(企業の存続)を生き抜くために「死」(衰退)を考えることの重要性を教えてくれているように思います。新たなチャレンジを起こしながら、今を精一杯生きることが大切です。
なお、良寛禅師の辞世の句は「うらを見せ おもてを見せて散るもみぢ」だという説もあります。 

できるリーダーの褒め方

おはようございます。

これまでも、何度か部下の褒め方・叱り方、部下の育成方法については書いてきました。そこでも書きましたが、基本は、「認めて、任せて、褒める」ですが、ミスをした時などには「叱る」ことも重要です。もちろん叱った後には常にフォローが必要です。

リーダーにとって、オフラインでもオンラインでも、短い時間の中で何を伝えるかということが重要です。これは「褒める」場合でも「叱る」場合でも同じです。短い時間の中で、端的に伝えることです。そして、「この一言で、部下が持つ 素晴らしい可能性を開花させ成長してくれる」ような思いを込めて真剣にその言葉を部下の心に響かせることです。褒める場合も叱る場合も、相手を思いやる心が大切なのです。

1.できるリーダーは、気持ちにゆとりがある

 あなたは、部下のことを思い心から「叱る」ことができているでしょうか? 怒りや苛立ちの感情から部下を非難しているだけではないでしょうか? 一度考えてみてください。

 「褒める」場合も同様です。単にうわべだけ、口先だけの褒め言葉など、相手の心に響きません。

 部下が成果を上げた時、部下の成果を素直に認め心の底から素直に喜べていますか?

 リーダーは部下の成果を素直に喜べるかどうかで器の大きさが問われるのです。人を押しのけて立ち上がってきたリーダーの中には、出る杭を叩きつぶそうとするリーダーもいます。その出る杭が部下であろうと容赦なく叩き潰そうとします。こうしたリーダーは、自分の力に自信がないので人を蹴落とすことでしか今の自分の地位を守れないのです。まさにダメなリーダーです。

 できるリーダーは気持ちにゆとりがあり、器が大きいのです。部下が成果を出すことを応援し、部下が出した成果を一緒に喜びます。

 リーダーの役割は、部下を素直に「認めて、任せて、褒める」こと、そして部下と共感することです。

2.褒めたつもりが、嫌みに取られてしまうこともある

 部下を褒めたつもりでも、部下が「褒められた」と思わず「嫌みを言われた」と受け取ってしまうケースもあります。「本当によくできている。流石に〇〇大学卒のことはある」「この仕事をしてまる3年、できて当然と思うがよくできている」など、余計な一言を付け加えたために「褒められた」とうれしい気持ちにならず、逆に「嫌みを言われた」と受け取られるようになるのです。余計な一言などいりません。

 端的に褒める言葉だけでいいのです。そして、その褒める言葉に、部下に対する温かい思いと愛情を込めることです。「思い」を言葉に込めて、部下の心に響かせること、そのためには上司と部下との人間関係、信頼関係を築き上げることが大事になります。

3.褒めるときには、「中身の具体性」より、まず「タイミング」

 褒めるために一番大事なのは、どのような「思い」を込めて褒めるかということですが、次に大切なのは、言葉の中身よりは「タイミング」です。

 「叱る」にしろ「褒める」にしろ、そのタイミングがあります。タイミングを逃してしまうと効果が半減します。タイミングを失すると、逆に部下も白けてしまいます。また、どう褒めていいのか分からずに思い悩んでいるうちにタイミングを逃い、「まあいいか」と褒めることをあきらめることにもなります。これでは部下のモチベーションは上がらず、逆に下がることにもなりかねません。

 難しく考えることではないのです。先ほども言ったように、「褒める」ということは部下に対する思いや愛情を込めることです。素直に感じたことを言葉にすればいいだけです。それも、長々と話す必要はありません。短い言葉に思いや愛情をこめればいいだけです。長々と話すと、余計な一言が加わり、部下は「裏があるのでは」「嫌みでは」と勘繰るようになってしまいます。

 部下の中には、褒められて「具体的にどこがどう良かったのか」と思う人もいるかもしれません。しかし、こちらから、敢て「何が良かったのか」「どこが良かったのか」を言う必要はありません。部下が聞いてきたときに答えればいいのです。

 「褒め言葉」は、部下が「良くできた」と感じたときにすぐの発することです。部下が成果を上げたとき、部下が褒めてほしいと思っているとき、思いを伝えたいと思ったそのときにすかさず褒めてこそインパクトがあるのです。

これは「褒める」に限らず「叱る」場合も同様です。

いずれにせよ、「褒める」ことも「叱る」ことも相手を思いやる心が備わっていなければなりません。そのためには、普段からより良い人間関係、信頼関係を築いていくことが大切です。普段方対話や雑談を通じて共感していくことが重要なのです。 

行動する秘訣

おはようございます。

「このままではまずい」と思いながらも、動けない・動こうとしない人がいる一方で、素早く行動を起こし、成果を上げている人もいます。その差はどこにあるのか、どうすれば「動ける人」になれるのでしょうか。

行動する秘訣」は、ずば抜けた精神力やモチベーションにあるのではなく、すぐの行動を起こせる人も、悩んだり不安になったり、時にはやる気が出なく戸惑ったりしています。ただ1つだけ違っていたのは「「仮決め・仮行動」と「軌道修正」の習慣があるかどうか」です。少し、詳しく見てみます。

1.「すぐに動けない人」が多い

 誰しも、

  • 考えてばかり、愚痴ってばかり、言い訳ばかり
  • 解決策を知っているだけで満足して、何も行動しない
  • 行動不足が原因で、ずっと同じ問題や課題に悩んでいる

ということがあるはずです。やらなければという焦りや不安はあるのに、なかなか動けない、どうでもいいことはできるのに、重要な課題や問題には正面切って向き合えず逃げてばかりいる、仮に行動したとしてもその場限りでごまかしている、というだけでは行動が積み上がっていかずに、それでは何の成果も出ません。

2.「一発逆転」は狙わない

 変わりたいのに変われない、行動したいのに動けない人の多くは「一発逆転」「起死回生」を狙っています。すぐに行動できる人や行動力のある人に対し、憧れを抱くとともに、時に焦りを感じます。行動力のある人や優秀な人と自分を比べ、劣っている・出遅れていると感じます。だから、大きなことをしないと駄目だ、何か凄いアイデアを思いついて何か凄いことをしないと追いつけない、置いていかれる、取り残されると思い込んでしまうのです。

 しかし、行動力のある人やすぐに行動できる人、優れた人というのは「一発逆転」を狙わないのです。現在のような激動の時代にはイノベーションが不可欠ですが、それは一発逆転を狙った奇抜なものである必要はありません。社員一人ひとりが、顧客・取引先や市場の小さな変化に気づき、その小さな変化を芽として育て、事業に有効に活かしていけばいいのです。

 これは、小さなことからコツコツと取り込んでいけばいいということです。

3.本当にやりたいことにたどり着く最短の方法

 「大きなことをしないといけない」と一発逆転を狙えば狙うほど、思考も行動も硬直化していきます。ちょっとしたアイデアを思いついても「こんな小さなことでは一発逆転できないから、やっても意味がない、無駄だ」とあきらめ、行動しようとしません。実際は、そうした状況から抜け出すためには、先ほども言ったように大きなことをする必要はなく、小さなことをコツコツと積み上げていけばいいのです。

「今はやっていないけれど、自分にとって大事なこと」を仮に決めて行動してみる。仮決めした行動が、しっくり来ればそれを毎日繰り返し、しっくりこなければ、別の行動をまた仮決めして行動する」という方法がよいのです。先ほど「小さなことからコツコツと」と書きましたが、その「小さなこと」をどのように見つけるのか、その探し方として、「仮決め・仮行動」は有用なように思います。

変化の時代に、自分が本当にやりたいことにたどり着くには、正解や近道、抜け道、一発逆転を狙わない方がいいのです。確かに当たれば大きいですが、外れる確率が格段に高く、外れればゴールからさらに遠ざかります。人生やビジネスはギャンブルではありません。地道で理にかなった行動こそが成功への近道です。

「自分がやりたい方向に近づくために小さな行動を仮決めして仮に動いてみる、動いたことで得た反応や反響と言ったものを大切にしながら軌道修正していくことが、本当にやりたいことにたどり着く最短の方法」だと思います。

 

休日の本棚 水平思考の世界

今日は、エドワード・デボノ著「水平思考の世界」(きこ書房を紹介します。この本の副題には「固定観念がはずれる創造的思考法」とあり、帯には、「ロジカルシンキングの限界を軽々と超える!不可能を可能にする発明家の視点」とあります。また「絶体絶命と思われる状況でさえ、極めて自分に好都合な状況へと転換できる。水平思考は、時代の転換期にいるわたしたちの最強の武器になる思考法である」ともあります。そうであるならば、水平思考を身につけて損はありません。

「水平思考」という言葉は著者のデボノが作った造語で、「垂直思考」とは異質かつ正反対の思考法です。従来の論理的思考や分析的思考である「垂直思考」は、論理を深めるには有効ですが、斬新なアイデア・発想は生まれにくいのです。これに対して「水平思考」は多様な視点から物事を見ることで直感的な発想を生み出すことが特徴で、一つひとつ段階を踏まない思考プロセスを通して、あるいは異なる角度から状況を捉えることによって、問題の答えを得たり新しいアイデアを生み出したりすることを可能とする思考法です。

ビジネスにおいても、創造性とイノベーションは進歩や発展のための最も重要な手段ですが、常識的な思考法からいったん離れて様々な難題に取り組み、正解に至るもう一つ別のルートを開拓しようという心構えがなければ、創造性を発揮してイノベーションを起こすことはできません。目まぐるしく変わる社会環境や競争の激しい時代において、革新的な戦略を思いつくことができる能力が不可欠となります。その方法が水平思考であり、誰でもが習得できる技能・スキルだというのです。

第1章 人生には水平思考でしか解決できない問題がある。

 驚くほど単純な解決策が突如として明らかになるまでは、とても解決不能と思われるような問題に遭遇したことは誰でもあるはずです。一旦思いついてしまえば当たり前すぎて、思いつくのにそれほど苦労したのか理解できないほどです。こうした問題は垂直思考を用いているうちは、解決策を見つけるのは難しく、ちょっと視点をずらす・別の角度から見るという水平思考であっさり解決できるのです。

 垂直思考が通常用いる一歩ずつステップを踏んで進めるという手法では、いったん止まってしまうとそこが限界になり前へ進めません。水平思考では全く任意の新しい場所まで一挙に思考を持っていくので、限界を超え、それが強みとなります。

第2章 誰にでも入手可能な既成の情報を新しいやり方で見つめなおす

 新しいアイデアは、それを探し求めたり論理的に考えたりして手に入るものではありませんし、専門的知識を身につけたからといって思いつくものではありません。また、テクノロジー自体が新しいアイデアを生むものでもありません。

 だからと言って、新しいアイデアは運の問題でも天才的な才能の問題でもありません。この能力は知力にのみ関係があるのではなく、ある特定の頭の習慣すなわち特定の考え方により大きくかかわっているのです。それが水平思考です。

 アイデアに対しての唯一の当てにできる報酬は、達成の喜びであり、大きな興奮がそこにあります。ひとたび新しいアイデアが生まれると、それについて考えるのを辞めるのは不可能で、新しいアイデアには永遠性があるのです。

第3章 新しいアイデアと既成のアイデアとの複雑な関係

 水平思考が必要なのは、垂直思考には限界があるからです。一つの穴をどんどん深く掘り進めても、別の場所に穴を掘ることはできません。論理というのは穴をより深く大きく掘って確実な穴にするための道具のようなものです。垂直思考というのは同じ穴をより深く掘ることであり、水平思考はほかの場所でやり直すことです。一つの方向だけに目を向けていれば、別の方向は見えなくなります。

 既成のアイデアに支配されると新しいアイデアの出現を妨げることになります。既成の支配的なアイデアの影響から逃れることは難しいものです。その方法として ①その場面で支配的と思われるアイデアを極めて慎重に選び出し、明確にして書き留めるという方法 ②支配的なアイデアを認識したうえで、それが最終的にアイデンティティーを失って崩壊するまで徐々に歪めていくという方法が紹介されています。

第4章 水平思考の視覚トレーニン

 私たちが直に接している外界を形作っている世界(状況)には、私たちの注意を直接的に引き付けることができるすべての物が含まれています。しかし私たち人間は、いかなる瞬間にも一つの状況の中のほんの一部分にしか注意力を向けることができません。人間というものは、見慣れない状況は常に見慣れた・見覚えのある状況に置き換えてしまいます。

 既に適切な説明がなされたものについて、新しい情報に照らして慎重に考え直してみようとする人はほとんどいません。

 ここでは、多くの図形を用いて人間の視覚の問題点が指摘されています。

 遊びの中で偶然生まれたような図形によって、それまで説明できなかったものを説明できるようになることがあります。遊びの偶然性が別のやり方では思い浮かばないような配列を生み出すのです。

 見慣れた図形の組み合わせ方ではなく、見慣れた図形そのものを疑問視しなければならなくなるときがやがてきます。

第5章 言葉の硬直性が、物の見方の硬直性につながる

 垂直思考の原則は次の4つに分けて考察できます。

  1. 支配的なアイデアを認識すること
  2. さまざまなものの見方を探し求めること
  3. 垂直思考の強い支配から抜け出すこと
  4. 偶然の機会を利用すること

 ある一つの方法を選んだ時点では、その選択が任意だったことを承知していながら、時間が経つにつれ、任意で選択したことを忘れて、これしか選択肢はなかったと思い込んでしまいます。当初は、最善のものの見方を見つけようとして吟味を重ねて選んだわけではなく、つまり偶然で選んだにすぎないのです。

 人間の頭は、自分を取り巻く世界の連続的な移り変わりを別々の単位に分解しています。移り変わりの連続的なプロセスがある都合のいい時点で便宜的に切断されると、原因と結果という見慣れた関係によって切断前と切断後がつながってしまいます。

 一定の決まりきった方法で分断された情報には、名前が付けられます。ひとたび名前が付けられると、それは固定し不変のものになります。ある種のレッテルが貼られてしまうのです。名前が付けられ言葉が硬直化すると、物の見方まで硬直してしまいます。

 言葉の硬直性を避けるためには言葉を使わない視覚的イメージでものを考えるということが有用です。視覚的思考というのは、線、図、色、グラフなどを用いて、普通の言葉では表現することが極めて難しい関係を説明することです。視覚的イメージには言葉では決して得られない流動性と柔軟性があるのです。

第6章 新しいアイデアを生む最大の障害

 垂直思考は新しいアイデアを生み出すのに役に立たないばかりま、それを積極的に妨げます。垂直思考では、既成のアイデアに修正を加えることができても、まったく新しいアイデアを生み出すことはできません。

 新しいアイデアを生み出す際に最大の障害となるのは、すべての段階で常に正しくなければならないという考え方です。

 垂直思考の弱点は、①結論に至る道を1本でも見つけ出したら他のもっと良い近道を探す必要がなくなるということと ②新しいアイデアを探す際に論理を用いて間違った方向に突き進んでしまうことです。

 水平思考では、固定した方向というモノがないので、問題を解決するためなら一旦問題から遠ざかるということも可能になります。

 アイデアというモノは初期の段階では、論理的に受け入れがたいような矛盾した形で存在することがあります。垂直思考では、こうしたアイデアは否定されます。しかし、そのアイデアが有益な新しいアイデアに発展する可能性がないということにはなりません。

第7章 偶然を味方につけた発明家たち

 ここでは偶然を味方につけて新しいアイデアを生み出した発明家たちが紹介されています。

 新しいアイデアを生み出すことにおいて偶然が考えてもみなかったであろうことに目を向けるきっかけを与える働きを持っているとすれば、それを後押しする方法として「遊び」が理想的な方法になります。「遊び」は偶然の働きを引き出そうとする実験でもあります。遊んでいるうちにアイデアが生まれ、そこからまた別のアイデアが生まれます。アイデアは論理の展開通りに生まれてくるものではありません。頭で管理しようとせず、好奇心を失わずに追い求めれば、次々と沸き起こってきます。気になる者は何でも試してみるという姿勢が重要です。脳が行き当たりばったりにあらゆる情報源から情報を受け取れるようにしておくことが理想的です。

第8章 水平思考の活用例

 ここでは、水平思考の活用例が挙げられています。

  1. 「~が不可欠」という考え方から抜け出す
  2. それまでに得た成果のすべてを捨てる
  3. 何かを意識的に取り上げて待つ
  4. 1つの物をただ眺めてアイデアを発展させてみる
  5. 身の回りのものからヒントを得る

第9章 垂直思考をする人は、他人に利用されやすい

 垂直思考は論理的に物事を考える思考方法ですが、垂直思考をする人が頭の中で考えることは予測がつきやすく、他人に利用されやすいのです。また、騙されやすいのも垂直思考の人です。

 水平思考が理想とするのは極端に洗練された単純性、すなわち実践的で非常に役に立つと同時に、携帯としては基本的な、アイデアの単純性です。それは豊かな単純性であって、空虚で不毛な単純性ではありません。

 本当の水平思考は、より単純でより有効な新しいアイデアを探し求めるためのものであるだけでなく、1つのアイデアからより良いアイデアを生み、そこからまた更に良いアイデアを次々に生み出すための流動性を持つものです。

第10章 水平思考の可能性は無限

 水平思考は、他の誰もがしないようなものの見方です。それは問題が起きたときにどのように対処するかに関わります。水平思考は新しいアイデアを生み出すためだけに有効なのではありません。研究開発から経費削減まであらゆる分野で役に立つ思考法です。水平思考の持つ創造性や柔軟性はビジネスだけでなく、あらゆる場面で役に立ちます。