休日の本棚 終戦記念日に思う
おはようございます。
昨日の新規感染者は全国で17万8356人、先週同曜日よりは減少していますが、お盆休みで検査数が少ないことも影響しています。一方で重症者数や死者数は増加傾向にあります。感染者数が増加すればそれに伴い重症者・死者が増えるのは当然の道理で、特に感染者の急増で高齢者や基礎疾患を有する人の感染が増えるので、重症化・死亡リスクは高まります。行動制限を行なわないのであれば、高齢者や基礎疾患を有する人が罹患しないような対策をしっかりととるべきでしょう。
さて、今日は終戦記念日です。
半藤一利著「日本のいちばん長い日」(文春文庫)を紹介します。半藤氏は元文春・文藝春秋の編集者で歴史探偵と呼ばれ、多くの著書を残されています。昨年の1月12日に90歳で逝去されました。以前に半藤氏の「日本のリーダーはなぜ失敗するのか」という本を紹介しましたが、これは太平洋戦争を通じて歴史家としての視点からリーダーシップのあり方を論じた本でした。
今日紹介する「日本でいちばん長い日」は、「昭和20年8月6日、広島に原爆投下、そして、ソ連軍の満州侵略と最早日本の命運は尽きた・・・しかるに日本政府は、徹底抗戦を叫ぶ陸軍に引きずられ、先に出されたポツダム宣言に対して判断を決められない。8月15日をめぐる24時間を、綿密な取材と証言をもとに再現する、史上最も長い一日を活写したノンフィクション」です。
現在のコロナ禍は、客観的なデータを軽視しご都合主義的な戦略策定で戦争に突入、日本を敗戦に導いた太平洋戦争の状況に酷似しています。
確かに、「決断できない、現場を知らない、責任を取らない」とう日本型リーダーの典型は今も太平洋戦争時も同じです。しかし、少なくとも太平洋戦争時のリーダーや政治家は国や国民のことを最優先に考え、自らの命を賭け、リーダーや政治家としての覚悟は持っていたように思います。一部団体と密接な関係を築き、私利私欲に走り、国民のために働くという覚悟を持った政治家がいかに少ないか、嘆かわしいところです。
中小企業の経営者は、自らの資産を担保に金融機関から融資を受けて経営を行い、失敗すればすべてを失います。今の政治家は命はもとより財産を取られることはありません。失敗しても退陣・辞職すればいいだけですから気楽なものです。リーダーとしての責任もなければ覚悟もないのです。
本来リーダーというのは、ビジネスで言えば、自らの命や財産を犠牲にしてまで従業員やメンバーの生活を守らなければならないものです。政治であれば、自らの命を賭けて国民の生命や財産を守らなければなりません。安部・菅首相をはじめ今の政治家にはそうした覚悟はなく、単に利権のために動いているとしか見えません。
話をこの本に戻します。この本では、前日14日正午から15日正午の玉音放送までの24時間を1時間ごとに綿密な取材と証言をもとに組み立て、最終的にポツダム宣言受諾、終戦への道を克明に記録しています。まさに一つのドラマです。
戦局は日本にとって絶望的なものとなり、世界の中で一国となって戦い、降伏するか、徹底抗戦か、日本の運命を決すべきときが迫っていました。そうした中、昭和20年7月27日、ポツダム宣言が日本に伝わりました。時の政府は討議と検討を重ね、東郷茂徳外相は参内し天皇に報告します。昭和天皇は「これで戦争を止める見通しがついたわけだね。それだけでもよしとしなければならないと思う。いろいろ議論の余地もあろうが、原則として受諾するほかあるまいのではないか。受諾しないとすれば戦争を継続することになる。これ以上、国民を苦しめるわけにはいかない」と言われます。
ところが、ポツダム宣言の最後に「右条件より離脱する意思なかるべし」と「いかなる交渉にも工作にも応じない」との連合国側の意志が明確に示されていたにもかかわらず、政府には誰一人「最後通牒」と見なした者はいませんでした。
翌28日には各朝刊がポツダム宣言について報じ、読売報知は「笑止、対日降伏条件」と題し「戦争完遂に邁進、帝国政府問題とせず」、朝日は「政府黙殺」、毎日は「笑止!米英蒋共同宣言、自惚れを撃破せん、聖戦を飽くまで完遂」と壮語します。
行動制限のお盆の中、まるでコロナを忘れたように、連日行楽地の様子を放送し、国民に危機意識を失わせるマスコミに似ています。お盆語に爆発的感染になれば、国民を煽ったマスコミの姿勢にも責任があるでしょう。
新聞報道にあおられて軍部ががぜん強腰になります。政府は外交交渉と軍の抗戦意識の間に挟まれて身動きが取れなくなってしまいます。政府の弱腰に軍が詰め寄り、軍部に押し切られた形で、鈴木貫太郎首相は「あの共同声明は、政府としては何ら重大な価値があるとは考えない。ただ黙殺するだけである。われわれは戦争完遂に邁進するのみである」と言わざるを得なくなるのです。そして、この「黙殺」発言が、海外に「日本はポツダム宣言を拒否した」として報ぜられたのです。これがのちの原爆投下やソ連の対日参戦を正当化する口実に使われたことは言うまでもありません。
日本に残された時間はなかったのに、こうして貴重な一日一日を無駄に過ごすことになるのです。ここでも「決断できない、現場を知らない、責任を取らない」という日本型のリーダーシップの特徴が如実に現れています。
広島、長崎への原爆投下後も、政府や軍部は決断することができず、最終的には結論のないまま御前会議が招集されました。「議を尽くすこと、既に2時間に及びましたが、遺憾ながら3対3のまま、なお議決することができませぬ。しかも事態は一国の遷延も許されないであります。このうえは誠に異例で恐れ多いことでございますが、ご聖断を拝しまして、聖慮をもって本会議の結論といたしたく存じます」と、まさに異例なことで決断を天皇に委ねたのです。天皇は「空襲は激化しており、これ以上国民を塗炭の苦しみに陥れ、文化を破壊し、世界人類に不幸を招くのは、私の欲していないところである。私の任務は、祖先から受け継いだ日本という国を子孫に伝えることである。今となっては、ひとりでも多くの国民に生き残ってもらって、その人たちに将来再び起き上がってもらうほか道はない。もちろん、忠勇なる軍隊を武装解除し、また昨日まで忠勤を励んでくれたものを戦争犯罪人として処罰するのは、情において忍び難いものがある。しかし、今日は忍び難きを忍ばねばならぬときと思う」と述べられ、ポツダム宣言受諾、降伏が決定されたのです。
天皇が降伏を決定したにもかかわらず、クーデターを起こしてでも戦争を完遂しようとする軍人をはじめ様々な人たちが様々な思いを抱きながら日本の一番長い日を迎えるのです。ここに登場する人物は、それぞれが自分の持っている「日本的忠誠心」に従って行動し、ぶつかり合っています。しかし、全体をマクロ的に観察し、冷静な判断を下すという大政治家、大監督はいなかったのです。
半藤氏が、太平洋戦争の教訓から、挙げられている6つのリーダーシップの条件があります。
- 最大の仕事は決断にあり
- 明確な目標を示せ
- 焦点に位置せよ
- 情報は確実にとらえよ
- 規格化された理論にすがるな
- 部下には最大限の任務遂行を求めよ
「日本型リーダーはなぜ失敗するのか」のときにも書きましたが、軍部において、参謀は責任を取らない、上も責任を取らないという状況が生み出され、誰が本当の意思決定者か、決裁者かが分からなくなっていました。これは今も同じです。官僚が作成した文章を内容を理解せず読み(読み間違えても、読み飛ばしても気づかない)、自分の言葉で国民に丁寧に説明することができず、言い訳ばかりで責任逃れをする、全く困ったものです。
太平洋戦争の開戦だけでなく、終戦においても日本的リーダーの特徴が見事なまでに現れています。
日本型リーダーの失敗を歴史に学ぶ姿勢が新たなリーダーを生み出してくれるはずです。歴史に学んでリーダーシップ、リーダーのあり方を学ぶことは重要です。リーダーシップやリーダーのあり方を学ぶということは、リーダーになるためにも、国民が真のリーダーを選ぶためにも必要なことではないかと思います。