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休日の本棚 「日本の経営」を創る

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おはようございます。

昨日の新規感染者は全国で8万4933人、そのうち東京1万7433人、埼玉3827人、千葉3365人、群馬1099人、l静岡1603人、愛知5613人、大阪1万383人、標語4634人、京都2754人、広島1356人、福岡4949人、熊本1040人、沖縄979人、北海道3002人などとなっています。軽症で受診しない人もかなりいると考えられ、また検査キッドが不足しており検査を受けられない人もかなりいるようなので、実際の数はもっと多いと思われます。先日の知事会で、多くの知事から、従来の飲食店をターゲットとした感染防止策ではなくオミクロン株の特徴に応じた対策をとるように政府の要望がなされました。現在、クラスターが発生しているのは学校・保育所、職場であり飲食店は全く関係ありません。これまでも言っていますが、政府・岸田政権は間違った認知バイアスに支配され、容易にこれまでの対策を変更できなくなっているようにみえますが、自体を客観的に認識し、臨機応変に対応に当たるのが国・政治家としての責務です。今更過去を検証しろと言っても時間がありませんが、現状を正確に認識し、それに応じた対策を臨機応変にとることはできるはずです。

さて、今日は、三枝匡・伊丹敬之著「『日本の経営』を創る」(日本経済新聞社を紹介します。2日続けて「日本企業」がテーマです。著者の三枝氏は経営者・ミスミグループ代表取締役会長、伊丹氏は経済学者で一橋大学名誉教授・現国際大学学長です。

三枝氏は、以前紹介した「V字回復の経営」をはじめ「戦略プロフェッショナル」「経営パワーの危機」のいわゆる「三枝三部作」の著者です。この「三枝三部作」は、小説形式で、内容の深さ・豊かさはもちろん、読み物としても面白く、役に立つ名著です。

これに対して、この「『日本の経営』を創る」は、三枝氏と伊丹氏と対談で、三枝氏自身が主語で、三枝三部作の背後に流れている三枝氏の経営哲学や思考がはっきりと直接話法で入ってきます。この本で繰り広げられる対談から「優れた経営者とはどのような者か」が、伝わってきます。

1.優れた経営者とは

 以前紹介した楠木建・山口周著「『仕事ができる』とはどういうことか?」で語られているように、経営はスキルではなくセンスなのです。営業や経理マーケティングといった特定の領域の仕事をする担当者であれば、その分野のスキルがあればなんとかやっていけます。またスキルについては、それを伝授する本やノウハウ本は無数にあり、育てることもできます。しかし、「経営」というのは、特定の分野に絞られるものではなく、すべての分野を横断的にかつ大局から見渡さなければなりません。これは中小企業・零細企業、もっと言えば個人商店でも同じです。簡単に言えば「商売まるごとを動かす」のが「経営」です。

 経営者に求められるものの中で最も重要なのが「総合力」です。これは、全体・全局を見通す力、大局観です。大局観というのはスキルではありません。センスです。

 いかに優れたスキルを持っていてもセンスがなければ成果を上げることができません。仕事の本質はスキルを越えたセンスにあるのですが、経営はまさにセンスそのものです。極論すれば、経営にはセンスがあればスキルは不要です。スキルについてはスキルを持った人を雇えばいいからです。

 経営センスのある人とない人は見れば一目瞭然分かります。しかし「経営センスって何?」と問いかけられても簡単に答えることはできません。

 この本で、三枝氏は、経営センスのある人を言語化してくれています。その1つが「因果律のデータベースが豊かなこと」です。

 経営に関する因果律というのは、自然科学が定立する法則のように、「こうすれば必ずこうなる」という一貫性や再現性はありません。会社が違えば同じことを行なっても違った結果が生まれますし、同じ会社でも時が違えば以前と違った結果が出ます。経営における因果律というのは、あくまでも擬似的にしか存在しないのです。インプットが同じでもアウトプットは違ってくる。ここに経営の難しさがあります。

 三枝氏は、「因果律の引き出しを豊かにするためには経験を積んでセンスを鍛錬するしかない」と言います。仮説を現場で試し、失敗したら又仮説を立てて実行し、又ダメならもう1回と繰り返す、仮説と現実の間を往復することで、自分のまずかった点を抽象化、論理かできて初めて応用が利くようになるのです。最初は個別具体的な経験であった者が最終的には文脈を越えて応用が利く「論理の束」になり、経営センスとなるのです。

 楠木建氏も「センスというものの中身は『具象と抽象の往復運動』である。ビジネスというのは結局のところ、具体じゃないと意味がない。具体じゃないと支持できないし、結果は絶対に具体的で、どんな問題も具体的に現れる。しかし超具体を見ても『要するにこういうことだな』という抽象化が頭の中にあって、そこから得られた論理を頭の中の引き出しに入れている。この引き出しがやたらに充実しているのがセンスのある人」と言っています。三枝氏の「因果律の豊かなこと」と全く同じことです。

2.経営人材の育成

 先ほど述べたように、経営者に必要なのはスキルではなくセンスです。しかし、スキルは学び身につけることはできますが、センスは身につけることは難しいものです。しかし、楠木建氏が言うように、センスは生まれつきの先天的なものではなく、事後的・後天的なものです。センスも磨くことは可能です。

 三枝氏は「育成しようとしても直接的には育成できないのが経営人材」と言っています。経営人材は「育てる」ことはできないのです。当事者が自分で「育つ」しかないのです。

 「経営者の仕事は後継者を育てること」という経営者は多いのですが、そのために何かをしているという人は少ないのです。そして「後継者が育たない」と嘆きます。育たないのは当たり前です。経営人材が育つのであれば、スキルと同じように「育てる方法論」が巷に溢れているはずです。確かに人材育成のプログラムもありますが、形だけの経営人材しか生まれていません。

経営人材というのは経営センスを持った人材です。それには自らが経営センスを磨いていくしかないのです。センスというのはそういうものです。人に教えられて身につくものではないのです。

 それでは、会社や経営者は何をすればいいのでしょうか。それは自ら経営人材が育つ土壌を耕すことです。

 次世代の経営者を育てるというのは、当事者に経験と試行錯誤を積ませること、そのための権限を与えて仕事を任せるしかないのです。

 三枝氏が用意するのは、「創って(開発)、作って(生産)、売る(販売)」という商売まるごとのユニットです。単に一部門だけの仕事を任せても、それではスキルを磨くことができてもセンスを磨くことはできません。「創って作って売る」という自己完結的なワンセットについて権限委譲して任せて経営センスを磨かせるのです。

 「創って作って売る」を経営の単位とする理由は、「一人の経営リーダーが自分の事業を生き生きと保てる組織規模」を維持することにあります。事業ユニットが大きくなりすぎると一人のリーダーの手に負えなくなってきます。一人ができて自己完結できるユニットがちょうどいいのです。

 しかし、こうしたユニットを多く創ると、資源が重複し規模の経済が損なわれる危険があります。そのギリギリのバランスをとるさじ加減の巧妙さが三枝氏の本領です。

「創って作って売る」ユニットを多く創ると、これまで1つであった機能部門を分散させることになります。そこで生じる非効率は「指示系統では分かれていても物理的にはこれまで通り同じフロアに置く」ことで補完します。こうしたさまざまな工夫で「経営者が育つ土壌」を耕すのです。

「創って作って売る」を単位とした商売全体の経験を繰り返し与え、抽象と具体を往復循環させて、因果律の引き出しを増やし、経営センスに磨きをかけることで、これまでの半分の期間で本当の経営センスを身につけた経営人材が育つです。

3.熱き心

 三枝氏は、個別具体的な経験や事象の論理かを通じた戦略作りを重視していますが、いっぽうで「熱き心」が経営者には不可欠と言い切ります。

 これは、稲盛経営12箇条でも、

  • 第7条 経営は強い意志で決まるー経営には岩を穿つ強い意志が必要 
  • 第8条 燃える闘魂ー経営にはいかなる格闘技にも勝る闘争心が必要

と謳われています。

 経営者には「熱き心」が重要であり、実行に当たるメンバーの熱き心を刺激し、共感を得ることが必要であることはこれまでにも書いています。

4.「日本」という土壌

 この本のタイトルが「『日本の経営』を創る」とあるように、三枝氏と伊丹氏は、「本当の日本の経営」「強い日本の経営」とは何かという大きなテーマについて議論しています。

 昨日の「日本の優秀企業研究」でも、新原氏は、日本企業の良さを引き出し今後日本企業が衰退から立ち直るための「6つの条件」を示していました。

 この本で言われているのは、前述の「創って作って売る」の経営です。「創って作って売る」をまるごと任せ、自分たちでストーリーを考えてやらせたら、くすぶっていた社員の目の輝きが変わって、すごい仕事をするようになる、これまでは言われたことしかやらなかった人が自立的に率先してやるようになるのです。

 三枝氏も協調するように、アウトプットの実現に向けて自立的に働くというのは、アメリカよりも日本の方が強いのです。経営者が明確でわかりやすいビジョンを提示し、自らが率先してそれを実行するならば、社員はそのビジョンに共感して自立的に動きます。「創って作って売る」という経営は日本にもともと備わっている持ち味を活かすための仕組みなのです。

 三枝氏の問題意識の核にあるのは「日本では経営人材が枯渇している」ということです。経営人材は今の日本で最も希少で重要な経営資源です。経営資源が育つ土壌をつくり耕すことが経営者の重要な役割です。

 そもそも全員が経営人材である必要はありません。経営センスのある少数の経営人材がいればいいのです。経営者には、経営センスを有した人材であるのか、自ら経営センスを磨くことができる人材であるかを見極めることも重要です。

三枝氏は、「かつては、いわば企業の戦略を決定づけるような意思決定に近いところで、何人かのサムライみたいな人が大事にされていた。それが今では、そう言う優秀な人までが、いわばルーチンの官僚化した仕事ばかりを一生件名夜中までやることの方が増えてしまった」と嘆きます。

今一番重要なのは、「経営人材が育つ会社」を創ることです。