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休日の本棚 最終戦争論

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おはようございます。

昨日の新規感染者は全国で10万2326人で初めて10万人を超えました。前回10万人を超えた2月3日は大阪の過去の未集計約7000人が加算されたためで、今回が初めてです。そうはいっても、昨日も書いたように、検査キッド不足や過去の未集計などで、発表されている数字が実際の感染者数を表しているとは思えません。あまり、発表される新規感染者数に一喜一憂するのもどうかと思います。swル高部と比較するとオミクロン株は重症化率は低いですが、感染者数の増加に比例して重症者数・死者数も増加しています。長年インフルエンザを診察してきた呼吸器内科医の方が仰有っていましたが、「オミクロン株肺炎の方がインフルエンザ肺炎より頻度が高い。オミクロン株はインフルエンザや風邪というのはまだ早く、中途半端で厄介な状態」だそうです。ピークアウトがいつ来るかは分かりませんが、いずれは収束に向かいます。しかし、第7波がやってくる可能性は大です。3回目のワクチン摂取率が低いことが影響し、大きな波になるかも知れません。少なくともワクチン接種が感染リスクや重症化リスクを低下させていることは間違いありません。できる限り前倒ししてブースター接種を進めることで、感染者数・入院患者数・重症者数を減らすことです。

さて、今日は、石原莞爾著「最終戦争論」(中公文庫)を紹介します。石原莞爾と言えば、名前を聞いた方もいると思いますが、戦前の陸軍参謀、「帝国陸軍の異端児」と呼ばれた有名人です。満州国の戦略構想を巡り東条英機と対立、参謀副長を罷免され左遷、太平洋戦争開戦直前に予備役に編入され、その後は執筆や講演に勤しんでいます。

この「最終戦争論」は石原が1940年に行なった講演をベースに書かれています。

今回、この「最終戦争論」を取り上げるのは、企業における戦略構想にも役に立つところがあると思ったからです。以前にも「失敗の本質 日本軍の組織論的研究」などを紹介し、歴史に学ぶことの大切さを指摘しています。

この「最終戦争論」は荒唐無稽は話で、読むとその過激さには驚かされます。しかし、石原は真剣に最終戦争構想を描き真剣に論じています。

石原が描く「最終戦争論」というのは、人類の最終戦争に向けて日本がとるべき戦略構想を論じたものです。石原の基本的な考え方は、「戦争をなくすことは全人類の悲願である。それができないことは歴史が示してきた。絶対平和への唯一の道は、最高の戦術と最先端の兵器で最終戦争を行ない、誰が世界を統治するのか、決着をつけるしかない」ということです。「第一次世界大戦は世界大戦での何でもなく欧州戦争にしか過ぎない。その後、ソ連、ヨーロッパ、アメリカ、東亜の代表である日本の4強が争い、最終的に西洋のアメリカと東亜の日本で、人類最後の最終決戦が行なわれる。この闘いは『東洋の王道と西洋の覇道のいずれが世界統一指導原理足るべきかを決定する』ものだ。日本の天皇アメリカの大統領のどちらかの支配で世界は平和になる」というとんでもない構想です。そして、日本の戦略としては、「日本は東亜の代表にならねばならない。東亜大同が決定的に重要になる。その上で最終戦争に備えた決戦兵器の開発を急ぎ、それと並行して徹底的な防空体制を固める。徹底した国家統制を引きひたすら我慢して世界最終戦争に備えなければならない」というのです。

石原は、日本が日露戦争で勝ったのは、運が良かっただけであり、もし大構想があれば、ソ連を相手に戦争などできなかったと言っています。ところが、日本軍は日露戦争における勝利を過剰学習し、組織としての自己改革能力が欠如してしまったのです。組織が継続的に環境適応していくには、組織はその戦略・組織を主体的に確信していかなければなりません。それが日露戦争の勝利を過剰学習してしまったために、組織の維持に多大な労力とエネルギーを投入し、改革を行なうことをしなかったのです。当時の日本の指導者には、歴史を客観的に眺め、事実を冷静に分析する目が掛けていました。

石原は、歴史から導き出された骨太のロジックが見えていたのです。客観的で冷めた思考をする反面、とてつもなく熱い情熱を有しています。この「世界戦争論」から、石原の強い情熱と冷徹なリアリストとしての眼が読みとれます。

石原がこの本の基になる講演を行なってまもなく、日本は統帥権の独立をいいことに、天皇を担いで勝ち目のない持久戦に突入しました。

石原は、統帥権の独立が有利に作用するのは、短期決戦に限られると言っていました。日本が持久戦に突入してしまうと軍部が暴走し、引くに引けない状況に陥ると警鐘を鳴らしていますが、事態はその通りになりました。又、日本の唯一の救いは、天皇という独特の統治者がいることで、最後の最後には天皇の聖断で戦争に終止符を打つことができるとも言っています。敗戦という形ではありますが、石原の予想通り、天皇の聖断で終戦を迎えました。

石原の戦略構想は、大西洋戦争を見据えたものではありません。もっと長期を見据えていました。石原は1970年頃を最終決戦と予測していました。世界平和をもたらすための最終決戦の条件は、高性能の航空機や一発で大都市が破壊できるような兵器の登場で、太平洋戦争は、石原の戦略構想からすれば時期尚早で、ひたすら耐える時期だったのです。

石原が予想した最終戦争は1970年になっても起きませんでした。その最大の理由は核兵器の登場であり、人類を滅亡させる兵器であるがために決戦ではなく冷戦になったのです。この意味では石原の予想は外れたのですが、「最終戦争論」で荒唐無稽な話をしているにもかかわらず、その論理においては鋭く本質を突いているということです。それは、政治家に限らず企業家を含め戦略を構想する人が持つべき思考様式ではないかと思います。

石原は、物事を考えるときに、「何か」と「何かでないもの」という2つの対立概念を比較しながら考えています。例えば、戦争については「決戦戦争」と「持久戦争」という2つを対比しながら論を進めます。

「何か」と「何かでないもの」を対比することで、一つの思考がソリッドになり、物事の本質が見えてきます。2つの対立する概念の対比が、思考のバックボーンになっているということが、論理的に物事を考える上で重要になるのです。

また、先ほども書きましたが、歴史から物事を学ぶということは大切です。歴史には(これは、世界史や日本史といった歴史に限らず、企業の歴史なども含まれます)、成功と失敗の事例が多くあります。それには正面教師としても反面教師としても、その中から学べる教訓は多いのです。

石原は、歴史についてずば抜けた理解と感覚を示しています。石原が研究していたのはナポレオンとフリードリヒ大王です。彼は歴史学者でないので当然のことですが、戦史を研究したのではなく、2人の戦争指導者がとった戦略の本質を見抜くことに集中しました。先ほどの「決戦戦争」と「持久戦争」の対比も2人の指導者の戦略の本質を見極めることから出てきた発想です。

企業家にとっても、特定の戦略ストーリーを構想しようとする際に、歴史はまたとない思考の材料になります。歴史上の出来事は、そのとき・その場という文脈の中でしか起こりえません。その文脈でどうしてそのことが起き、なぜそのような結果をもたらしたのかを論理的に考察する題材として、最も適しているのです。

歴史的な時間軸に沿った戦略思考は、企業経営においても極めて重要です。現在は必ず過去と繋がっていますし、未来も過去→現在の延長線上にあります。戦略というと、どうしても未来予想になりますが、過去、現在を抜きにした未来予想はあり得ません。過去に遡って歴史を知り、歴史的な視点で考えることが重要なのです。

この「最終戦争論」は荒唐無稽な発想ですが、戦略構想をする思考様式は間違っていませんし、石原の歴史認識や歴史に対する姿勢や視点は企業家も身につけなければならないもののように思います。