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休日の本棚 日本近現代史講義 成功と失敗の歴史に学ぶ

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おはようございます。

昨日の新規感染者は全国で3609人で、その内訳は東京856人、神奈川395人、埼玉300人、千葉216人、愛知235人、大阪302人、兵庫193人、福岡151人、北海道87人などとなっています。重傷者は675人となり4日連続で過去最多を更新しています。また、埼玉、栃木(83人)、岐阜(74人)、鳥取(10人)、山口(24人)で1日の感染者数として過去最多となっています。年末年始で医療体制が脆弱になるので、地方での感染者数増が心配です。コロナ死亡率について、大きな地域差があるようです。新型コロナ感染後に死亡する人の割合は、東京で1.1%にとどまるのに対し、岩手・富山・石川などでは5%を超えています。これは、高齢者施設などでのクラスター発生のほか、医療設備や治療経験の差が影響していると言われています。こうした格差をなくすためにも、感染防止策や医療提供体制を全国で共有する取り組みが必要です。

このところ、「日本型リーダーはなぜ失敗するのか」「失敗の本質」という本を取り上げ、太平洋戦争での敗戦から、リーダーの在り方や失敗の本質についてみました。

歴史を学ぶことで、そこから得られる教訓を将来に活かし、自分の先入観や固定観念や常識を覆され視野が広がり新しい目で物事を眺めることができるようになるとともに、より良い社会を築くことができるようになります。

サピエンス全史やホモデウスなどの著者であるユヴァル・ノア・ハラリは「歴史を研究するのは、未知を知るためではなく、視野を広げ、現在の私たちの状況は自然なものでも必然的なものでもなく、したがって私たちの前には、想像しているよりもずっと多くの可能性があることを理解するためなのだ」と言っています。また、ハラリは「歴史の選択は人間の利益のためになされるのではない・・・歴史が歩を進めるにつれ、人類の境遇が必然的に改善されるという証拠は全くない」とも言います。

歴史の中には成功事例もあれば失敗事例もあります。何故上手くいったのか、なぜうまくいかなかったのかを探り、そこから得られる教訓をもとにこれからどのように進めていけばよいかを考えることが重要です。どうも学生時代、歴史と言えば無味乾燥な暗記科目と言う意識で興味がわかなかった人も多いと思います。しかし、歴史の教訓を、正面教師としたり反面教師としたりして自分を磨くことができるので、歴史(日本史・世界史)は社会人としての教養の一つでもあります。

今日は山内昌之細谷雄一編「日本近現代史講義 成功と失敗の歴史に学ぶ」(中公新書を紹介します。本書は、日本国内の閉じた歴史に留まることなく、世界史と融合した新しい歴史を模索する流れの中で、明治維新に始まり、日清・日露戦争、第二次世界戦争、東京裁判歴史認識問題、戦後日中関係、未来に向けた歴史観の問題まで、特定のイデオロギー歴史観に偏らず実証を旨として14講で解説されていて、日本近現代史の入門書としては最適です。

まず、序章は「令和から見た日本近現代史」が取り上げられています。日本と中韓との関係を見ればわかるように、歴史認識と言うのは単純に過去にのみ関するものではありません。過去以上にそれぞれの時代を生きる人々の切実な問題こそが歴史認識であり、そこには時代の状況は複雑の反映しています。歴史があって歴史認識が存在するのではなく、むしろある立場やイデオロギーによる歴史認識がなければ歴史も存在しようがないともいえるのです。歴史認識によって歴史自身が歪曲されることにもなります。韓国の文在寅大統領の認識は、歴史の堅実な究明・史実ではなく、政治の論理に基づいて相手を外交的に屈服させることと化しています。それは中国の習近平国家主席歴史認識も似たり寄ったりです。彼らは歴史を史実からではなく政治性から見ているのです。

日本近現代史の歴史解釈の中で、「日本にはこれまで国家戦略というものがなかった」と言われることがあります。しかし、エドワード・ルトワックによれば日本人は戦略下手どころか歴史的にすこぶる高度な「戦略文化」を駆使してきたのです。ルトワックは、「日本1.0」と呼びべき平和と繁栄の起点を近代の明治維新ではなく、近世の江戸システムと徳川家康のリーダーシップに求めています。日本近現代史を理解するためには明治維新によって日本の近世と近代が断絶され変革されたと捉えるのではなく、その連続性に目を向けるべきなのです。

家康の「日本1.0」も黒船の来航と外圧によって明治維新による近代化と産業化の「日本2.0」にとって代わります。更に1945年の敗戦以降の「日本3.0」による経済成長国家に変貌するなど、その時の最適のシステムと同盟を日本が選びながら国を維持発展させていきます。

第一次世界戦争で露呈した日本の弱点は石油の需要と供給の両面での脆弱さですが、これを克服することなく第二次世界大戦に突入します。強大なアメリカを相手に戦争をした以上「日本2.0」の戦略的破綻とまで言えるものではありませんでしたが、戦後2回のオイルショックは、「日本3.0」の土台を揺るがし、戦後日本の戦略的脆弱性を国内外に印象付けることになりました。

本書は、序章に続き次の13講で構成されています。

  1. 立憲革命としての明治維新
  2. 日清戦争と東アジア
  3. 日露戦争と近代国際社会
  4. 第一次世界大戦と日中対立の原点
  5. 近代日中関係の変容期ー1910年代から1930年
  6. 政党内閣と満州事変
  7. 戦間期軍縮会議と危機の外交
  8. 「南進」と対米開戦
  9. 米国の日本占領政策とその転換
  10. 東京裁判における法と政治
  11. 日本植民地支配と歴史認識問題
  12. 戦後日中問題
  13. ポスト平成に向けた歴史観の問題

第13講「ポスト平成に向けた歴史観の問題」の中で、「歴史とは何か」と問えば「過去と現在との間の会話」であると言っています。詳細な事実はある程度切り捨てて「現在」の由来を時間軸の中で示し、将来向かうべき方向を教えてくれる「俯瞰図」が求められると言います。こうした俯瞰図に学術的な研究家は手を出しませんが、小説家や一般の歴史家によって書かれています。司馬遼太郎歴史小説が「司馬史観」として国民特にビジネスパーソンにもてはやされるのです。むしろ、司馬遼太郎自身はミクロな事実の集積の上に築かれるのが歴史であると主張していました。

ここでは、戦後秩序が大きく変容しつつある今、司馬史観を否定しないまでもそこに留まっていることはできないと言っています。そして、具体的には次の3つの相互に重なり合う問題を組み込んだ新たな歴史観が必要だと言います。

  1. 明示を起点と見るのではなく、それ以前の江戸期の経験をどのように組み込むか・・・「鎖国」の経験と明治以降の近代西洋秩序への参入の過程を包括的に理解する視点が求められる。
  2. 大陸国家との関係・・・日本は大陸において果たすべき役割を定義してこなかった。この理由と帰結を改めて問うべきであろう。
  3. 明治以降の近代化の急速さと裏腹の底の浅さに対する認識・・・西洋の知と東洋の知の双方を理解する知の体系が必要である。

本書の「おわりに―「無限の宝庫」としての歴史」の中で細谷雄一氏(慶応大学教授)は「政治家は孤独である。困難な決断を行わなければならないときに、いったい何を頼ったらよいのか。はたしてこれから行う決断は最善なのであろうか。それ以外の選択肢はないのだろうか。そのような迷いや苦しみは、政治家が人間である以上は、自然に湧いてくる者であろう。未来を見通すことができないのだから、われわれは迷い、悩み、そして公開するのである。それでは、政治的な決断に迫られたときに、責任ある立場にある者は、何に頼るべきか」と問い、ハーバード大学アーネスト・メイ教授の言葉を借りて「統治者にとって歴史は、無限の宝庫として眠っている。ところが政治家は、この宝庫を空けて十分に使い切ることができない。他方で、職業としての歴史を教えているわれわれは概して彼らを助けるのに力を貸してこなかった」と言っています。

明治以降の日本近現代史は、直線的でも単純でもなく、複合的な力学が働き、多くの可能性がある中で、日本の政治家が選択してきた道です。先ずは虚心坦懐にそのような過去の軌跡を学び、政治家がどのような選択を行ってきたかを知り、そこにある奥の迷いや悩み、苦しみ、困難を感じ取り、理解し、それを活かすことが重要です。

今の政治家にも、保身や自身の利益を優先するのではなく、歴史を学びそこから得られた教訓を生かし国民のため、国家のために勇気ある決断を行ってもらいたいものです。

 

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