中小企業が日本を救うbusiness-doctor-28

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休日の本棚 日本型リーダーはなぜ失敗するのか

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おはようございます。

昨日の新規感染者は全国で2798人で、そのうち東京595人、神奈川285人、埼玉185人、千葉117人、愛知196人、大阪357人、兵庫98人、広島112人、北海道177人などとなっています。重症者数は554人となり41人が亡くなりました。岩手、宮城、福島、神奈川、広島、大分で新規感染者数が過去最多となっています。確実に感染が地方に広がっていることが見て取れます。

昨日、政府分科会は、昨日書いたような内容で提言を決定し、政府に対し、再び「GoToトラベルの一時停止」を提言しました。ところが、インターネット番組に出演した菅首相は、「経済を壊したら大変なことになる」とGoToを一時停止する気ががないことを強調しました。国民の命と経済とどちらが大事なのでしょうか。国民のための内閣と言いながら、専門家の意見を無視し、観光業界から献金を受ける二階のための内閣となり下がっています。確かに経済も重要ですから、感染防止と経済のバランスを図ることが大切です。そのためには「経済活動のアクセル」と「感染防止のブレーキ」を効果的に繰り返していくことです。そして今は「ブレーキ」をかけなければならない時期です。菅首相は、インターネット番組で、「アクセル・ブレーキ論」に反論し、経済優先を強調しました。

経済学者の中でも感染の長期化が却って景気の回復を遅らせるという懸念が多く出てきています。一時的に経済を犠牲にしても感染防止に注力する方が経済の回復も早いと言えます。あまり中国のことは言いたくありませんが、強権的に経済を止めて新型コロナを押さえ込んだ結果、欧米や日本に先駆けて経済は回復に向かっています。

菅首相は「GoToが悪者になっている」と言っていますが、本来新型コロナが収束してから実施する政策だったはず、それを強引に前倒ししてまで実施し、悪者にしてしまったのは誰ですか? 菅さん、あなたと二階でしょう。

また、菅首相は「感染拡大の原因がGoToだというエビデンスはない」と言います。しかし、多くの専門家がGoToが感染拡大の一因であると主張しています。英スコットランド自治政府スタージョン首相は、研究チームの遺伝子解析の結果を受けて「夏以降の感染再拡大は旅行が原因だった」と発表しました。

専門家の意見や研究データを無視する菅首相は、まさに「反知性主義」の最たるものです。

国家運営でも企業経営でも同じですが、危機的状況においては「小さなうちに早急に」対応して芽を摘むのが鉄則です。そしてそのためには歴史の教訓や科学的データが役に立ちます。今の政治を見ていると、歴史の教訓も科学的データを無視し、昨日書いたように「場当たり的」に対処しているにすぎません。知性の低さのみならず危機管理能力が欠如していることが原因です。

さて、今日は半藤一利著「日本型リーダーはなぜ失敗するのか」(文春新書)を紹介します。著者の半藤氏は、元文春編集長で「『真珠湾』の日」、「日本のいちばん長い日」(いずれも文春文庫)など多くの著書を書かれ、歴史探偵と呼ばれています。

本書では、日本型リーダーの典型ともいえる「決断できない、現場を知らない、責任を取らない」というリーダ-がなぜ生まれてしまったのか、太平洋戦争でエリート参謀の暴走を許し、たものは何か、を検証しています。日本型リーダーの失敗を歴史に学ぶ姿勢が新たなリーダーを生み出してくれるはずです。

この本は東日本大震災直後の平成24年に書かれています。そこで東日本大震災当時の政治が引き合いに出されますが、現在の状況にも当てはまります。

マスコミは、東日本大震災後の政治状況を歴史に例えて表現するのが好きで「維新」という言葉を多用します。また政治家も明治維新が好きで自分を明治維新の人物に例えたりします。しかし、半藤氏は「それはピント外れ、今は幕末・維新の状況とは根本的に違う」と言い切ります。日本の歴史では戦国時代と明治維新という大きな転換期がありました。戦国時代は足利政権の権力統治の体制が壊れたことで、治安・秩序が完全に崩れてしまったという時代です。こういう状況を背景にリーダーシップを発揮したのが、戦国武将たちです。一方、幕末期は徳川幕府の権力機構がしっかりと根付いていて、諸藩も秩序が保たれていました。こうした体制を打ち壊すには「御門」天皇の力を借りるしかなかったのです。つまり、戦国時代は何もないところを戦国武将が突っ走っていたのに対し、明治維新は分厚いコンクリートの壁(旧体制)をぶち壊す必要があったということです。

半藤氏は、現在はずばり戦国時代だと言っています。現在は下克上の時代、天下を取ろうと思えばだれもが取れる状況になっているというのです。しかもネットで繋がりそれが社会を変えるきっかけにもなる、そんな軽い時代なのです。

今リーダーシップが盛んに論じられ、リーダ-が求められていますが、そう簡単に織田信長徳川家康が出てくるはずはりません。国民のレベルにふさわしいリーダーしか生まれないのが歴史の原則だと言います。今の日本にリーダーがいないのは日本人そのものが劣化しているからだと言うのです。

さて、「リーダーシップ」という言葉は、もとは軍事用語です。ビジネスで用いられる「戦略」「戦術」も軍事用語です。

千五になるまで一般に無縁だったリーダーシップ論ですが、戦前の日本軍においても参謀本部軍事学の研究は行っていました。

古く言えば、戦国時代にも織田信長武田信玄上杉謙信らは「孫子」「六韜三略」と言った武経七書を呼んで学んでいます。

孫子」には、将たる人間は「」「」「」「」「」をしっかり持て書かれていますし、「六韜」には「将には五材十過あり」と書かれ、将には五材「5つの資格」(勇・智・仁・信・忠)が必要で10のやってはいけないこと(十過)が書かれれています。10のやってはいけないことというのは、①勇敢すぎて死を軽んじてはいけない

➁請求に前後を弁えず即断してはいけない ③強欲で自分の利益のみを考え、部下のものまで取り上げてはいけない ④思いやりの心が強く、決断できなくてはいけない ⑤知力戦略を心得ているが、いざと言う時に臆して実行できなくてはいけない ⑥軽々しく誰でも信用してしまうのはいけない ⑦包容力がなく人を許すことが出来ず、侮辱されると怒りだす者はいけない ⑧智慧はあるが頼りがいも責任感も感じられない者はいけない ⑨自信過剰で何でも自分でやらないと気がすまない人はいけない ⑩なんでも人に任せてしまうのもいけない という10です。

明治以後になると、クラウゼヴィッツの「戦争論で、森鴎外がこの翻訳を行っています。この戦争論に挙げられているリーダーシップの7つの要素は、「勇気」「理性」「沈着」「意志」「忍耐力」「感情」「強い性格」です。

戦争論には、「攻撃は闘争よりはむしろ敵国の領土を絶対的目的とするからである。それだから戦争の概念は、防御とともに発生するの出る、防御は闘争を直接の目的とするからである」と「戦争は防御から始まる」と言っています。攻撃側が暴れ回っても相手の抵抗がなければ戦争にはなりません。戦争になるかならないかは攻撃する側にあるのではなく、攻撃を受ける側の問題なのです。ところが、帝国陸軍はこれを読み誤り、ABCD包囲陣や石油全面禁輸に対抗するために防御ではなく他国領土侵略という攻撃に打って出てしまったのです。「攻撃は最大の防御なり」は間違いです。

半藤氏は、日本のリーダーシップの源泉は西南戦争での勝利にあったと言います。西郷軍は歴戦のつわものぞろい、軍人対素人の闘いですから、新政府軍は総督には有栖川宮熾仁親王というミカドの名代、山形有朋を参謀として最新鋭の装備を整えて戦うしかなかったのです。その結果政府軍が勝利して、「参謀が大事」という考えが生まれます。

こうして、「参謀重視」の日本型リーダーシップが誕生するのです。

明治の帝国陸海軍は日露戦争の体験をもとに、東郷平八郎大山巌に代表される「威厳と人徳」がリーダーの基本になります。昭和期になると、この「威厳と人徳」は「作戦にうるさく口出ししない指揮官」「重箱の隅をつつかない指揮官」そういう人物像に移っていきます。

昭和の陸海軍にはリーダ-と責任の関係において、①権限発揮せず責任も取らない ➁権限発揮せず責任だけ取る ③権限発揮して責任取らず という3つのタイプが生まれます。どちらかと言うと、トップの指揮官が細かく口出しすることが嫌われたというのが日本型のリーダーシップの特徴となっていきました。リーダーシップの観点から太平洋戦争を見ると、本当の意思決定者は誰かが見えてこない、というか、内部者にさえ分からなかったのではないかという状況です。

日本型リーダーの特徴である参謀重視ですが、参謀は責任は取らないのです。参謀というのは、斬新な作戦行動を練ることが任務ですが、責任を取らせると狼狽えたりいじけたりして自由な発想が出来なくなるからです。それでは誰が責任を取るのか、その責任の所在すらあいまいになっていたのです。参謀が好き勝手に作戦を練って命令し、その結果に対してだれも責任を負わないという日本型リーダーシップが生み出されたのです。

そうした中にも優れた参謀はいました。本書でも、優れた参謀の条件として、①指揮官の頭脳を補うことが出来ること ➁部隊の末端まで方針を徹底させること ③将来の推移を察知する能力を有することが挙げられています。

本書では、太平洋戦争におけるリーダーシップについて、事細かく分析がなされていますが、それは紙面の関係上省略します。

半藤氏は、太平洋戦争の教訓の中から、リーダ-シップの条件として次の6つを挙げています。

  1. 最大の仕事は決断にあり
  2. 明確な目標を示せ
  3. 焦点に位置せよ
  4. 情報は確実にとらえよ
  5. 規格化された理論にすがるな
  6. 部下には最大限の任務遂行を求めよ

繰り返しになりますが、日本型リーダーシップは「参謀重視」から「上が下に依存する」と言う悪い習慣が慣例となり、参謀が責任を取らないのみならず、上も責任を取らないという状況が生み出されてしまったのです。軍司令部は参謀の代読者、「細部は参謀をして指示せしむ」ということです。誰が本当の意思決定者、決裁者かは分かりません。今も全く同じです。官僚が作成した文面を読むだけ(時として読み間違え)、自分の言葉で話すことが出来ず、「担当大臣が」「各都道府県の知事が」といって責任逃れをする、困ったものです。

半藤氏は、本書の最後に、「大本営陸海軍部は危機に際して『いま起きては困ることは起きるはずがない。いや、ゼッタイに起きない』と独断的に判断する通弊がありました。今日の日本にも同じことが繰り返されている」と東日本大震災と言う国民の生命と健康と日々の生活に関わる一大事において、そうした通弊がそっくりそのまま出ています」と述べています。これはそのまま現在の新型コロナ禍に当てはまります。

いつも書いていますように菅首相にはリーダーシップのかけらすら見受けられません。

歴史に学んで本当のリーダーシップは何かを考えることは重要です。また「孫子」、クラウゼヴィッツ戦争論」と言いった古典でリーダーの在り方を学ぶことは必要だと思います。これは、国民一人一人が真のリーダーを選ぶためにも必要のことではないでしょうか。

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