休日の本棚 心がラクになる生き方
おはようございます。
以前「自粛警察」や「ウイルスより恐ろしいもの」で書きましたが、新型コロナウイルスは我々を分断させ、「病気」とともに「差別」や「不安」を広めています。そのようなことが起きるのは、未知のウイルスとと戦い方が判らず、人を非難したり差別したりすることで、自らの不安や恐怖から逃れようとしているからです。
今日は、南直哉著「禅僧が教える心がラクになる生き方」(アスコム)を紹介します。南師は、福井県の永平寺で20年修行され、その後青森県の霊場恐山の院代となられた禅僧です。恐山は、下北半島の中央部に位置する霊場で、東北では「死者はお山(恐山)に行く」と言い伝えられています。地蔵信仰を背景にした死者への供養の場であり、日本三大霊場の一つです。イタコの口寄せでも有名です。
私も数年前に訪れお参りしました。恐山に向かう途中に「三途の川」と言われる正津川にかかる太鼓橋があります。橋の向こうには荒涼とした岩肌が続き、硫黄の匂いが立ち込めています。親に会うために石を積み上げる子供に代わって、賽の河原の積み石に、更に一つ石を積みます。岩や石の隙間に差し入れられた風車が風に吹かれてカラコロと音を立てて回り出します。あちらこちらに地蔵菩薩が祀られ、ごつごつした岩肌を歩きながら血の池地獄や金堀地獄など地獄めぐりをします。地獄めぐりの後、宇曽利湖、極楽浜に出ます。ここは青緑に輝く湖畔です。地獄をめぐる間、張りつめていた気持ちが、美しい景色を見て緩みます。恐山菩提寺には薬師の湯という温泉があり、お参りした人は誰でも入湯できます。良い湯でした。恐山は身も心も引き締まる霊場です。
さて、この本は、帯に「不安・怒り・執着・嫉妬は手放せる。永平寺で20年修行した霊場・恐山の禅僧が説く”善く生きる”ヒント」とあります。師は「『この状況を何とかしなければ』と思うのは、自分を追い込んでしまうだけ。今の自分とは違う視点があると気づくと、見える景色がガラッと変わります」と仰っています。また、「『苦しい』とおっしゃる方の話を伺っていると…じつは、解決の糸口は意外に身近なところにある場合が多いこと。また、つらいと感じている『自分』が本当はどんな存在かを知れば、そのつらさを飼いならして、もう少しラクに生きていける」とも仰られています。
また、次のようにもおっしゃられています。
「人はこの世に『たまたま』生まれ、他人から『自分』にさせられたのです。その「自分」を受け入れるために、人から認められ、褒められなければなりません。自分ではなく、人が選んだ服を着ているのですから、誰かから『似合うね』『いいね』と言われて初めて安心でき、その服を着る気になります。それで、人間の最大の欲求は、自分を『自分』にしてくれた存在、つまり『他人から承認されたい』ということなのです」
マズローの欲求5段階説によれば、人間の欲求は①生理的欲求(本能的な欲求)➁安全の欲求(危険回避、安心・安全を求める)③所属と愛の欲求(集団や社会に所属し愛情を充足したい)④尊厳の欲求・自我の欲求(他者から尊敬されたい)⑤自己実現の欲求(自己の向上を図りたい)の5段階に分かれ、低次から高次の欲求へと段階的に上がっていくのです。師が言われている欲求は④段階のものでしょう。更にその上に⑤自己実現の欲求があります。本来人間は、最終的には高次の欲求である自己実現の欲求(自分を向上させたいという欲求)にまで高められなければなりませんが、より低次の欲求でとどまっています。
この本では、無理やり「自分」にさせられた自分との折り合いをつけ、苦しさに「立ち向かう」のではなく、その状況を調整し、やり過ごして生きてゆく。そういう生き方について語られています。この本で語られている師の言葉を挙げておきます。
- 「自分を大切にする」ことを止める…人はこの世に「たまたま」生まれてきた存在にすぎません。そんな自分と折り合いをつけ、「苦しさ」に立ち向かうのではなく、苦しい状況を調整しながら、やり過ごすという生き方があります。
- 「生きる意味」は見つけなくてもいい…「意味のある人生」「有意義な人生」を送らなければと、肩ひじを張らなくても大丈夫。生きる意味など探さなくても、人は十分幸せに生きていけます。
- 悩みは人間関係の中でしか生まれない…自分一人の思い込みで動いても、人間関係はうまく調整できません。「感情」と「今起きている出来事」を切り分けて考えれば、問題は解決へと一歩近づきます。
- 「なりたい自分」になれなくたっていい…もともと人は「受け身」の存在です。駆り立てられるように積極的に生きるのは、無理なのです。「人生を棒に振ってもいい」くらいの気持ちでいれば、ラクに生きられます。
- 自分のためではなく、誰かのために何かをする…「何を大切にしていきたいか」を考え、自分のやるべきことを見極められれば、日々の生活の中で、具体的な喜びや楽しみが生まれます。
- 生きるか死ぬか以外は大したことではない…深刻な問題ほど冷静になって、自分で対処できるのか、誰かの助けが必要なのか、やり過ごせばいいかを見極めましょう。
- 自分自身で判断できるのは、人生の「些事」だけ…大きな決断は必ず周りの人を巻き込みます。自分の決断や判断はあまり役に立ちません。自分自身の感覚に頼りすぎたり、自信を持ちすぎたりしない方が賢明です。
- 「人生に意味などない」というところからスタートする…「この状況を何とかしなければ」と思うのは自分を追い込んでしまうだけ。今の自分とは違う視点があると気づくと、見える景色がガラッと変わります。
- 情報の99%はなくていい…「悩みや苦しみを何とかしたい」と切実に思ったとき、人は情報の選別を始めます。そこから知恵が生まれ、生きるための世界観が育まれて行きます。
- 人生はネガティブで当たり前…生きることへの違和感を、出来合いのノウハウで解決しようとしてもうまくいきません。手間と根気をかけ、置かれた状況を見て具体的に考えましょう。
- 「夢」や「希望」がなくても人は生きていける…夢が破れたとき日、人は損得勘定から離れ、自分が本当に大切にしたいものは何かを見極めます。夢が破れたときに、初めて見えてくるものがあります。絶望の果てにしか見えない光景があるのです。
- 夢も「夢を追う自分」も、徹底的に冷たく見る…本当に、夢をかなえることが出来るのか。そのためのリスクと犠牲を払う覚悟が、自分にあるのか。「ひょっとしたらだめかもしれない」というところから、具体的に踏み込んで考えなければ、夢は「夢」で終わります。
- 「欲しい、欲しい」と思うときは、強い不安があるのだと考える…どんなに欲しいものを追いかけても、その背景にある理由が分かっていなければ、心は満たされません。何が自分に、そう思わせているのか、きちんと見極めなければいけないのです。
- 「生きがい」や「やりがい」をつくる必要は全くない…生きがい探しをしたくなるのは、現状に不満や不安があるときです。問題を直視して、不具合を調整すれば、生きがいなど無用でしょう。
- テーマを決め、それに賭けて生きてみる…「自分が大切にしたいもの」をはっきりと決めれば、それ以外のものは、ただやり過ごせばいいだけです。そうすると人生がシンプルになり生きやすくなります。
- 「生きているのも悪くないなあ」と思える人生を生きる…自分のためではなく「人のため」と考える。やりたいことではなく「やるべきこと」をする。そこを目指せば「生きていてよかったな」と思える日々が重なっていくはずです。
- 感情が揺れてもかまわない…人間に喜怒哀楽があるのは当然です。動揺したり、怒りがこみ上げたりしても、しなやかに揺れて、スッと元に戻る「不動心」を目指しましょう。
- 感情の波からいったん降りる技術を身につける…頭で渦巻く感情や思考は、意志の力で止められるものではありません。自分をクールダウンさせるためには、体の方から感情をコントロールするテクニックが必要です。
- 直ぐに「答」を出そうとしない…自分の問題を「他人にわかる言葉」にしてみると、解決の糸口が見えてきます。主語と述語を明確にして、自分が置かれた状況や問題点を整理してみましょう。
- 怒りは、何も解決しない…怒りが湧くのは「自分が正しい」と信じているからです。怒りに翻弄されたくなかったら、自分が正しいと信じていることが、本当にそうなのかどうか、冷静に考えてみてください。
- 苦しい嫉妬は錯覚が生んだ感情に過ぎない…嫉妬が生まれるのは、自分が本来持つはずだったものを人が不当に持っていると感じるとき。本人は不当と思っていても、冷静に見れば不当でもない。自分の認識自体に錯覚があっただけ。それに気づけば嫉妬の呪縛から解放される。
- 怒りで頭の中がいっぱいになったら、ルーチンな仕事をする…怒りで心がどんなに波立っても、頭と体を切り離し、いつも通りの振る舞いを続ければ、荒れ狂った感情は、いつしか枯れていきます。
- 「本当の気持ち」を話せるだけで、人は救われる…自分の状況を誰かに聞いてもらうと、視野がスッと広がることがあります。そんな話をできる相手が「心の生命線」になることもあるのです。
- 自分が抱えている問題を話せる「淡い関係」の人をつくる…心の内側を素直に話せる人を見つけましょう。自分の姿を照らし出せる「鏡」のような相手と話すことで、問題が浮き彫りになり解決の第一歩を踏み出せます。
- 家族にも日々のいたわりや心遣いを示す…家庭にストレスがあると決定的な問題になっていきます。家族にも日々の挨拶や声掛けが必要です。
- 「自分が、自分が」と考えない…「やりたいこと」に執着せず、誰かに喜んでもらえるかもしれないと思うことをやっていくと、「やるべきことをやり終えた」と納得して人生の最後を迎えることが出来ます。
- 死を乗り越えようとしなくていい…ふと生まれてきただけの人生に、「意味」や「価値」を求める必要はありません。人生とは「自分」という船で川を渡るようなもの、渡るだけの道具です。
- 「この世」より「あの世」を心配するのは筋違い…いくら死後を思い煩っても「死」については誰も分かりません。だから気楽に考えて、あっさり消えていけばよいのです。
生きるのが難しい今というこの時代、人生を楽に生きる心構えや叡智が示されている本です。役に立つ言葉もあると思います。