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休日の本棚 カミュ「ペスト」を読む

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おはようございます。

昨日の新規感染者は全国で596人、そのうち東京が293人、埼玉51人、神奈川43人、千葉21人となっています。また、大阪53人、兵庫24人、京都12人と近畿圏でも感染者数は増加傾向にあります。第2波への懸念が高まる中、神奈川県は独自の警戒アラートを発動し、県民に感染対策がなされていなお場所へ行かないように要請し、事業者にはテレワークや時差出勤などで人との接触を減らすように求めました。

ところが、菅官房長官(政府)は、「市中感染が拡大しているとは考えていない」「再び緊急事態宣言を出す状況ではない」と全く危機感がなく、国民や各都道府県の知事とかなりの温度差があります。一旦経済優先にかじ取りした以上其れを止めるわけにはいかないということでしょうが、これまで誰もが経験したことのない新型コロナウイルスの脅威には臨機応変に対処するしかありません。時には立ち止まり方針を再検討し、方向転換することも必要です。今はあまりにも経済を優先しすぎており、感染防止対策がおざなりにされているように思えてなりません。経済優先も重要ですが、それと同様に感染防止対策も重要です。いつも言っていますが、両者のバランスです。

さて、今日は、アルベール・カミュ著「ペスト」(新潮文庫)を紹介します。

新型コロナウイルス感染拡大による社会・経済活動への影響から、イタリア、フランス、イギリスなどでカミュの「ペスト」が再びベストセラーとなり、日本でも小説の設定がコロナ禍に酷似していると話題になりました。

カミュと言えば、「不条理」の哲学で有名ですが、本書「ペスト」で描かれている「不条理」が伝染病のペストです。カミュの言う「不条理」とは、明晰な理性を保ったまま世界に対峙することで現れる不合理性のことで、そのような不条理に目を背けず見つめ続ける態度が「反抗」と呼ばれます。そして人間性を脅かすものに対する反抗の態度が人々の連帯を生むとされています。

本書「ペスト」は、中世ヨーロッパで人口の3割以上が死亡したと言われるペスト題材に自ら生まれ育った北アフリカアルジェリア(フランス領)のオラン市を舞台とした架空の物語です。オラン市をペストが襲い、苦境の中、団結する民衆を描き、無慈悲な運命と人間との関係性が問題提起されています。医師、神父、判事、犯罪者、外から来た記者、市民などの登場人物が民衆を襲うペストの脅威に助け合いながら立ち向かっていく物語です。カミュの哲学的な思索が込められていてなかなか難しい小説です。

作品の構造自体も、物語の記述者・語り部である医師リウーの記述と並行してタルーの手帳と言う2つの流れで構成されています。そしてこの2つの流れは異なる立場・考えに則っています。この2つの流れの他に3つの物語があります。リウーが聞かされたグランの生涯とタルーの生涯、タルーが書き留めた喘息を患った爺さんの生活、の3つです。一人は妻の家出によって、一人は死刑執行を見たことによって、一人は老年に達したことによって、いずれも「不条理」に目覚めます。

この作品の登場人物は大きく二つに分かれます。ペストとの遭遇によって、著しい変貌を遂げる人々と、ほとんどあるいはあまり変わることのない人々です。前者に属する人として、司祭パヌルー、判事オトン、新聞記者ランベール、犯罪者コタールなどです。彼らは紙の正義、社会の正義、人間の正義を体現するものとして、あるいはそれらの正義に反抗する者として挙げられ、彼らがペストという不条理に出会うことによって自らの考えを変えて変貌していくのです。この未曽有の体験による深刻な変化は、正義の問題がいかに深く人生の理解や愛につながっているかを示しています。変わらない人として、医師リウー、タルー、グラン、喘息患いの爺さん、老医カステルがいます。カステル老人を覗けば、いずれも「不条理人」であり、喘息患いの爺さんを除けば、全員共同生活の連帯性に目覚めた「不条理人」です。「不条理」の絶望に立脚した人間が、共同の理想と希望のためにいかに力強く戦いうるかを語っています。

大まかなあらすじを言えば、

医師のリウーが階段でつまずき一匹の鼠の死骸を発見するところから始まります。やがて鼠の死骸があちらこちらで発見され、死者が出始めます。リウーは死因がペストであると気づきます。新聞やラジオが其れを報じ、町はパニックになります。死者は増える一方で最初は楽観的だった市当局も重い腰を上げ対応に追われます。やがて町は完全に外部と遮断され、脱出不可能の状況で市民の精神状態も疲弊していきます。

新聞記者ランベールは脱出計画を立てリウー、タルーに打ち明けますが、リウーは必死に患者の治療を続け、タルーは志願の保険隊を組織し町を離れる気はありません。ランベールは考えを改め、リウーたちの手伝いを申し出ます。

また、犯罪者のコタールも町を出る気はありません。パヌルー神父は、ペストの発生は人々の罪のせいで悔い改めよと説教を続けます。

罪なき少年が苦しみながら死にます。それも罪のせいだと言うパヌルー神父にリウーは抗議します。罪なき者はこの世にはいないのではないか。いずれはパヌルー神父もペストで死んでいくのだから。

ペストによって人々が変貌します。

オトン判事は、厳格謹直な秩序の信奉者が、愛児の死によって慎ましい愛の信奉者に変革します。パヌルー神父は、最初ペストに神の懲罰をみていましたが、罪なき幼児の死を目撃するにあたり、「すべてを信ずるか、さもなくばすべてを否定するかだ」と悩みぬき、「不条理」ゆえに「かえって神を信ぜざるを得なくなる」のです。よそ者である新聞記者ランベールは、最初「町を脱出して妻のいるパリに帰ろう」と個人の幸福の立場に立つのですが、「現に見た通りのものを見てしまった今では・・・もし自分が経って行ったら、きっと恥ずかしい気がするだろう。そんな気持ちがあっては向こうに残してきた彼女を愛するのにも邪魔になるに違いない」と考え、「自分一人が幸福になるということは、恥ずべきことかもしれない」と考えを改めるようになるのです。

災厄は突然潮が引いたように終息し人々は元の生活に戻っていきます。市中はあちこちから喜悦の叫びが上がっています。

しかし、最後に「市中から立ち上がる喜悦の叫びに耳を傾けながら、リウーはこの喜悦が常に脅かされていることを思い出していた。・・・ペスト菌は決して死ぬことも消滅することもないものであり、数十年の間、家具や下着類の中に眠りつつ生存することができ、部屋や穴倉やトランクやハンカチや反古のなかに、しんぼう強く待ち続けていて、そしておそらくはいつか、人間い不幸と教訓をもたらすために、ペストが日田旅その鼠どもを呼びさまし、どこかの幸福都市に彼らを死なせに差し向ける日が来るであろうということを」と締めくくっています。

新型コロナウイルスとの闘いはまだまだ続きます。「(ペストとの戦いは)際限なく続く敗北です」と言うリウーの言葉が重くのしかかってきます。架空の物語を描いたにはあまりにもリアルな作品です。登場人物の誰に感情移入するかで見方も変わってくるかと思いますが、非日常的な不条理の世界で、人としてどのように考え行動するかを考えさせてくれる本です。確かに哲学的で、興味のない人には退屈で面白みもない本ですが、コロナ禍という現代だから読んでよる本と思います。