中小企業が日本を救うbusiness-doctor-28

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デジタル化は目的ではなく手段!

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おはようございます。

昨日の新規感染者は全国で437人、そのうち東京146人、千葉43人、神奈川37人、埼玉31人、大阪45人、北海道31人などとなっています。休日で検査数が少ないことから減っているだけで、首都圏での感染者増加が心配です。千葉では特別養護老人ホームと民間企業にクラスターが発生し、埼玉では昨日クラスターが発生した劇団が話題になっています。この劇団の関係者91人のうち64人の感染が確認され約7割が感染しているということになります。劇団の話では感染予防対策もしっかりとられていたようで、なぜこのようなクラスターになったのか疑問です。マウスシールドをつけて稽古していた人もいたようで、今日のワイドショーでもマウスシールドの有効性が問題とされていました。マウスシールドはマスクに比べて飛沫を飛ばすリスクは高く、またウイルスを吸い込む可能性も高いと思われます。米CDCが言及するように新型コロナウイルスが空気感染し、京都府医大の研究で明らかになったように新型コロナウイルスの生存期間がインフルエンザウイルスの5倍以上とすれば、どれだけ念入りに感染防止対策を行ったとしても、感染リスクがあることになり恐ろしいことです。

それなのに、トランプ大統領は、大統領選に劣勢であるのをはねかえすために「新型コロナに打ち勝った強いリーダー」を印象付けようと入院から4日で退院し(いまだに陰性になったという報道はありません)、昨日は支持者の前で演説し、「私には免疫がある」などと発言しました(トランプだけでなく多くの支持者もマスクをせず、ソーシャルディスタンスも守られていません)。マスコミはこぞって、「国民を再び命の危険にさらす愚かな行為」と批判的です。

さて、菅政権が行政改革、デジタル化の一環として行政手続きの脱ハンコ・オンライン化を進める中、上川法務大臣が婚姻届や離婚届の押印を廃止する方向で検討に入ることを発表しました。これについては、「一生に一度の儀式だから自ら押印して役所に自分らで届けたい」という街の声も多く議論が分かれるところだと思います。こうした書類に押印が要求されるのは本人の意思確認のためですが、認印三文判)でもよく、押印に意味は無くなっているので押印廃止でもよいようにも思います。

婚姻については「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立する」(憲法24条)ものであり、「戸籍法の定めるところによりこれを届けることによって、その効力を生ずる」(民法739条)とされています。本人の合意によって成立するのですが、その正確性を担保するために、証人2名の署名押印が必要とされています。しかし、証人となりうる資格については誰でもよく、親や友人でなくても極端な話、通りすがりの赤の他人でもよいのです。こうした証人2名の署名押印という手続きが本当に必要なのか、ということから検討すべきことではないかと思います。

単にうわべだけで「脱ハンコ」「オンライン」と言っていたのでは何も根本的な解決になりません。

コロナ禍での定額給付金支給の際、給付先が「世帯主」とされたことから、世帯主が独占し他の家族が受け取れない、別居状態にあるため受け取れないなどで話題・問題となりました。この根底にある戸籍の「筆頭者」など家族を順位づけるような戸籍制度をそのまま残すのか、夫婦別姓をどうするのか、など、家族・社会制度に関わる根本的な課題は山積みです。こうした根本的な制度や手続きを見直す中に「脱ハンコ」「オンライン化」があるのではないでしょうか。「行革」というのは単に手続きを簡略化することではありません。この根底にはどのような国にしていくのか、社会をどのように変えていくのかと言ったビジョンがなければなりません。菅政権の政策は薄っぺらでこうしたビジョンが全く見えてきません。

さて、今日は、東洋経済オンラインの「『デジタル一辺倒』では雇用が生み出せない理由」を取り上げます。

菅首相が政策の旗頭としている「デジタル化」について、「そもそもデジタル化は手段であって目的ではない。デジタル化によってどのような社会を目指すのかを本来問うべきではないか」と言い切ります。まさにその通りです。

この記事は、新型コロナ後の社会について、「危機をチャンスに」という言葉があるようにポジティブな視点から中長期的なビジョンが求められる時期に来ていると言い、ポジティブな視点からの展望を「生命を軸とする経済ビジョン」という観点から考える内容になっています。

その中で挙げられているのが「デジタル一辺倒」への疑問です。デジタル化は重要ですが、それはあくまでも手段であって、その内容となる産業分野や、あるいはもっと広く言えば人間の営みが今後どうなっていくのかという点についての、より積極的なビジョンが必要ではないかという疑問です。全くその通りです。先ほども述べたように、この国をどうしたいのか、社会をどう変えていくのかというビジョンがあってこそのデジタル化です。デジタル化を土台として展開される経済生活ないし生産・消費に関するビジョンがなければ、空疎なものになることは明らかです。

この記事では、デジタルの先にあるビジョンとして、「生命関連産業」「生命経済」というビジョンが挙げられています。新型コロナ感染拡大ということから「生命」というコンセプトとを挙げているのは明らかです。ただ、ここで言う「生命」は英語のライフで「命」にとどまらず「生活」や「人生」を含む概念だというのです。「生命関連産業」には、①健康・医療 ②環境(再生エネルギーを含む) ③生活・福祉 ④農業 ⑤文化 が含まれると言っています。しかし記事でも述べている通り、経済の各分野は相互に密接な関連性があり、「生命関連産業」だけを切り離すことはできません。あらゆる産業、経済分野がデジタル化と係わり、それら全体についてどのようなビジョンを構築するのかと言った広い視野での視点が必要なように思います。

この記事は、「生命関連産業」は「地味で小さな領域で」地域に密着したローカルな性格が強く、「地域再生」地方創生と言った昨今の流れにも合致すると言います。

他にもいろいろと議論されていますが、ここでは、雇用を生み出すのは「デジタル」よりも生命関連産業だという点を取り上げます。

デジタルないし情報化はポスト工業化の軸になる領域ですが、「効率的」であるためにかえって「少ない労働力で済む」ことが特徴で、雇用を減らす方向に働くことがあることが知られています。しかし、「生命関連産業」はある意味「労働集約的」で「人」が重要な意味を持つ分野で「雇用創出的」な性格ないし効果が大きいと言うのです。

生命関連産業を発展させることとデジタル化は対立するものではなく両立するものだと言い、①健康・医療→オンライン診療など ②環境→スマートグリッドなど ③生活・福祉→介護ロボットなど ④農業→スマート農業など ⑤文化→メディアアートなど、デジタル化で大いなる発展を果たす分野があるといっています。しかし、デジタル化ばかりに目が行くのなら、こうした生命関連産業でも雇用を減らす方向に動いてしまいます。

グローバルな社会において、デジタル化が必要なことは言うまでもありませんが、デジタル化は手段ではなく目的であることを十分に認識したうえで、明確な国家ビジョン・社会ビジョンを遂行する手段としてデジタル化を進めていくべきです。その中で、薄っぺらなデジタル化という理念だけが独り歩きして、雇用削減に向かうのならそれは間違いです。

AIの発達によって多くの仕事がAIに奪われるということが言われています。デジタル化の進行に伴って、アメリカでは、企業のオフィスワーカーなどの中スキルの職業の労働者が減少を続け、その一方で清掃業や建設作業員などの低スキルの労働者数が急激に増加、企業コンサルタントやデータエンジニアリングなどの高スキルの労働者は増加しているもののスピードは減速しています。デジタル化で最も影響を受けるのは中スキルの労働者で二極化が始まり貧富の差が拡大しています。こうした現象はアメリカだけでなく、日本でも徐々に広がりつつあります。ルーティン業務はどのように難しい仕事でもロジックに基づいているのでプログラミング化が簡単でデジタル化に最も向いているのです。職を失った中スキル労働者は、スキルがないため高スキル業務に就くことが出来ず低スキル業務の労働者に移行するしかありません。そうすると低スキル労働者の数が増加し、買いたたかれて賃金は減少します。一方高スキル労働者は増えないものの技術進歩で需要が増えるために賃金が上昇します。こうして格差はますます広がるというわけです。

中スキル労働者として職を失うのは、男性より女性、正規労働者よりも非正規・派遣、総合職よりも一般職ということになりそうです。

菅首相はデジタル化を推し進めんとしていますが、明確な国家ビジョンや社会ビジョンがなければ、多くの失業者を生み出し多くの労働者が路頭に迷うことになりそうです。

この東洋経済オンラインの記事が言う「生命関連産業」がそのためのビジョン足りうるかはまだまだ検討の余地はありそうですが、デジタル化が目的ではなく、ビジョン実現のための手段に過ぎないということは間違いのないところです。