中小企業が日本を救うbusiness-doctor-28

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休日の本棚 史上最強の哲学入門

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おはようございます。

昨日の新規感染者は全国で25,492人、そのうち東京5074人、神奈川2705人、埼玉1875人、千葉1761人、愛知1445人、大阪2556人、兵庫1025人、京都547人、福岡1070人、沖縄678人、北海道579人などとなっています。3日連続で2.5万人を超え、重傷者も1888人と過去最多となっています。愛知をはじめ、山形、群馬、岐阜、三重、広島、高知、大分、宮崎の9県で過去最多、各地で爆発的感染が止まりません。菅首相や今の政府ではリーダーシップを発揮することはできず、国民や企業へのお願いベースしか打つ手はありません。菅首相は、先日の会見で「新型コロナウイルスの感染拡大防止を最優先に取り組む」(実際には「新型コロナウイルスの感染拡大を最優先に取り組む」と言い間違いましたが)と言っていますが、五輪強行開催、パラ学校観戦など、まさに言い間違えた言葉の通り、「感染拡大させるべく取り組んでいる」としか思えません。こうした首相をトップに据えていなければならない国民は不幸です。

さて、今日は、ビジネス関連の本からは離れますが、飲茶著「史上最強の哲学入門」(河出文庫を紹介します。著者は、東北大学大学院を卒業後、哲学や科学の知識を、楽しく分かりやすく解説したブログを立ち上げ、人気を博しました。

哲学の世界では、強者の論を踏み台に、更なる強者が出現し、哲学者VS哲学者といった頭脳の格闘技が始まります。哲学の歴史は、こうした頭脳と頭脳の闘いの歴史です。

定番の哲学入門書では、「ソクラテスはいつどこで生まれ、『無知の知』と言った。その意味は…」という風に面白みのない内容で、すぐに読むのを止め本を閉じてしまいます。著者は、漫画「グラップラー刃牙」の熱烈なファンで、哲学に格闘を持ち込もうと考えるのです。格闘家が「強さ」に一生をかけるのなら、哲学者は「強い論」の追求に一生をかけたもの、両者に共通項があるということです。ある哲学者が強い論を展開すると、別の哲学者がやってきて、それと対立する更なる強い論を提示して叩き潰しに来る、哲学史は、強さと強さをぶつけ合い、研鑽してきた闘いの歴史です。

この本は、この闘いの歴史を、かみ砕いた分かりやすい言葉で解説してくれています。

この哲学というリングに登場するのは、31名の哲学者たちです。彼らは自身の「強い論」を武器に闘いを挑みます。相手は、別の「強い論」を引っ提げて登場する哲学者だけではありません。読者も闘いの相手です。打ち負かされないように自分の頭で考え論破しなければなりません。

ビジネスも同じです。ビジネスというリングで、企業が持続的成長を遂げ生き残るための闘いです。他社に打ち勝つために競争優位な戦略を練り、それを武器に戦い、勝ち続けなければなりません。哲学も真剣勝負ならビジネスも真剣勝負です。哲学の闘いに目を向け、哲学者たちの闘い方を知ることは、ビジネスの世界で闘うためにも役に立つように思います。

この哲学バトルは、第1ラウンドから第4ラウンドまで続きます。

第1ラウンド 真理の「真理」―絶対的な真理なんて、ホントウにあるの?

 真理を目指して何が悪い!人間として生まれたからには、誰だって一度は「絶対的真理」を求める。「真理」など一度も夢見たことがない、そんな人間は一人として、この世に存在しない!それが「真理」だ!ある者は生まれてすぐに!ある者は厳しい現実に!ある者は難解な学問に屈して!それぞれが真理をつかむことを諦め、それぞれの道を歩んだ!しかし、最後まで諦めなかった者がいる!この地上で誰よりも、誰よりも真理を望んだバカ野郎たちが!

【古代】 相対VS絶対

  • プロタゴラス 相対主義=絶対的真理なんてそんなものはない。価値観なんて、人それぞれさ
  • ソクラテス 無知の知=無知を自覚することが真理への第一歩 鞭を自覚してこそ、真理を知りたいという願う熱い気持ちが生まれる 

【近代】 真理を目指した男たちの挑戦

  • デカルト 方法的懐疑=絶対に疑えない確実なものとは?「われ思う ゆえにわれあり」ありとあらゆるものを疑うことはできる。だが、「疑っている私」の存在は否定できない
  • ヒューム 懐疑論=神も科学も思い込みに過ぎない。すべての認識や概念は経験に由来しており、その経験と現実世界が一致している保証はどこにもない。
  • カント 批判哲学=経験の内容は人それぞれだが、経験の受け取り方には、人類共通の一定の形式がある。その共通の形式に基づく範囲内では、人間として普遍的な真理、学問を打ち立てることは可能である。真理とは人間によって規定されたものである。
  • ヘーゲル 弁証法=闘争こそが真理に到達する方法である。対立の中から新しい考えを生み出していくやり方が弁証法弁証法を延々と続けていけば、最後には「最も優れた真理」「究極の真理」が見つかるはずだ。

【現代】真理の正体が明らかに!?

  • キルケゴール 実存主義=個人がそのために死ねるもの、それこそが真理だ。私にとって真理だと思えるような真理。私がそのために生き、そのために死ねるような真理。そういう真理を見つけることこそが重要だ。
  • サルトル アンガージュマン=僕たちの手で人類を真理に導こうじゃないか。人間は自由の刑に処せられている。自由とは、何が正しいのか分からないのに「好きにしろ」と放り出されてしまった不安定な状態のことである。人間とは、何を選んでいいかわからない世界に、突然放り込まれ、「好きに選択しろ」と自由を強制され、その選択を失敗すれば責任を負わされる、という宿命を持ったものである。人間は「自由の刑」という呪いを背負いながらも、そこから目を背けずに自ら「決断」して強く生きていくべきだ。人類を理想の社会、真理に向かって進展させる歴史という大舞台に立ってみたらどうか。
  • レヴィ=ストロース 構造主義=真理は一つの方向で進むわけじゃない。歴史はそんなふうに一つの方向にだけ進展したりはしない。世界には様々な文化、価値観を持った社会が多数存在する。それらの文化や社会の間に優劣はないし、目指すべき唯一の文化、究極の社会なんてものもない。西洋が優れているというのは思い上がりにすぎない。
  • デューイ プラグマティズム=便利な考えを真理と呼べばいい。「愛とは何か、人間とは何か、物質とは何か、国家とは何か、その本質とは何なのか?」そんな結論の出ないことを延々と議論したって埒が明かないから、「その効果は何か」という実用的なことだけ問いかけよう。「Aを信じることが人間にとって有用性があるなら、Aの真偽によらず、Aは真理である」
  • デリダ 脱構築=到達できない真理を求めるのは不毛。分からないものはしょうがない。もう作者(話し手、書き手)の意図なんて、それほど気にしなくてもいいんじゃないか。読み手それぞれが文章を読んで(聞いて)、好きに解釈したらいいんじゃないか。それぞれの解釈が真理ってことでいいんじゃないか。話し手(書き手)中心の世界観から、聞き手(読み手)中心の世界観へ。
  • レヴィナス 他者論=私と「他者」との関係を成り立たせるもの。他者とは、私という存在を自己完結の独りぼっちから救い出してくれる唯一の希望であり、無限の可能性である。「他者」とは、「私」にとって「意図」の確実な疎通ができない不愉快で理解不可能な対象であると同時に、「問いかけ」が可能な唯一の存在でもある。「他者」に真理を問いかけることにより、新しい可能性、新しい価値観、新しい理論を無限に創造し続けることができる。

第2ラウンド 国家の「真理」—僕たちはどうして働かなきゃいけないの?

 絶対的な権力をふるう最凶の怪物「国家」。愚かな国民が選んだ政治家は、正しく国家を導くことができるのか?このような根本的懐疑は、はるか紀元前の昔からあった。その懐疑から真の国家を求める哲学者たちの探求の歴史があった。

【古代】 国家論を唱えた哲人たち

  • プラトン イデア論=哲学者こそ国家の支配者だ。イデアとは究極の理想の存在のことである。哲学者とは、そうした「究極の何か」を知ることを目標に定め、全人生を賭けて追及し続ける人間である。イデアを知ることができる優秀な哲学者が王になるべきである。もしくは王は哲学を学ぶべきである。
  • アリストテレス 論理学=国家は腐敗と革命を振り返す。イデア論では独裁者の暴走を招く。君主制独裁制になりやすく、貴族制は寡頭制になりやすく、民主主義は衆愚制になりやすい。政治体制には最良というものはなく、どれも堕落する可能性を秘めている。どんな政治体制であろうと、最良に保つ努力をせず腐敗させれば、必ず革命が起こり別の政治体制に移行する。

【近代】王VS人民 国家の主権はどっちだ

  • ホップス 社会契約論=国家とは恐怖を利用した安全保障システムである。国家とは、自己中心的な人間たちが互いに殺し合わないように、自己保存のために作った組織である。他者を殺す自由を放棄した見返りとして安全を得る。すなわち、国家とは、個人の自由を放棄して手に入れる安全保障システムなのだ。
  • ルソー 人民主権=国家の主権者は人民である。国家がなければ殺し合うというホップスの前提は間違っている。真の権力者は王ではなく、民衆である。国家は真の権力者である民衆から、権力を委任された、取り換え可能な一つの機関にすぎない。
  • アダム・スムス 見えざる手=個人が自分勝手に利益を追求しても、「見えざる手」に導かれて、社会全体の利益につながるような結果が生じるようになっている。

【現代】 幸せに生きるために必要なものは?

  • マルクス 共産主義=資本主義は必ず崩壊する経済システムである。資本主義は資本家が労働者を搾取する構図である。

第3ラウンド 神様の「真理」—神は死んだってどういうこと?

 神聖不可侵にして究極のタブー「神」。古来より人類は「神」を畏れ、敬い、さまざまな宗教を作り出してきた。だが、実際に神を見たものがいるだろうか?聖書を開けば、いくらでも奇跡を起こす「神」の姿を見ることができる。だが、そこにタブーを恐れず、「神」の正体を見極めようとする哲学者が現れた。

【古代】人が神に救いを求めた時代

  • エピクロス 快楽主義=神様のことなんか気にしなくていい。神様はいるかもしれないけど人間はそんなことをいちいち気にしなくていい。禁欲の果てに辿り着く境地なんてタカが知れている。幸せになりたくば快楽をむさぼれ。
  • イエス・キリスト 復活 汝の隣人を愛せよ。隣人を愛そう。敵でも愛そう。ただただ他者に優しくし、人間は、自分たちを創造してくれた神の愛を信じよう。

【中世】神学VS哲学 いきのこるのはどっち?

  • アウグスティヌス 懺悔=人間は神の恩寵なくしては救われない。唯一絶対の神は、やはり完璧な善の存在である。人間には悪が存在するように見えるが、実は、その悪とは、ただ善の不在にすぎない。人間は欲望を自制できないか弱い存在である。そんな罪深い人間は、ただ神の前にひれ伏すしかない。自ら罪深い存在であることを認め、神にすべてを告白し、許しを請い、神の慈悲によって救われるように祈るしかない。
  • トマス・アクィナス スコラ哲学=一番最初の最初の原因って、いったい何だろう?「原因と結果という関係を超越した何か」を想定しない限り解くことができない問題がある。それこそが信仰の世界の問題なのだ。

【現代】神が死んでも生きていく方法

  • ニーチェ 超人思想=宗教や道徳なんて弱者のルサンチマン 神は死んだ。神は、弱者のルサンチマン(恨み・嫉妬)が作り出したものである。神への信仰が人間本来の生を押し殺している。神が死んだ世界、神や道徳が絶対的な価値観とならない世界でわれわれはどう生きていけばいいのか?強くなりたいという「力への意志」こそが人間本来の素直な欲望であり、それを求めることこそが人生の本質である。「強くなりたいという意思をしっかりと自覚し、そこから目を背けない」どんなに障害があろうとも、ただひたすら、心に湧き上がる「力への意志」に従って、生命を燃やし続けることである。

第4ラウンド 存在の「真理」—存在するってどういうこと?

 「そこにモノがある」という当たり前のことを考えることで、哲学、科学、あらゆる学問が始まった。ある人は、原子や分子が集まってできたものがモノの正体だという。ある人は、人間の知覚から出来上がった像がモノの正体だという。だが、そもそも「モノがある」の「ある」とはどういうことなのだろう?

【古代】 存在の根源を求めた男たち

  • ヘラクレイトス 万物流転説=「存在」は変化する。この世界には、永遠不変の存在などありはしない。すべての形あるものは、いつかは壊れ、その形を変えて流れ去っていく。
  • パルメニデス 万物不変説=「存在」は不変である。「存在」とは決して変化しない「何か」である。存在するものは存在する。存在しないものは存在しない。存在しているものが、存在しなくなることはない。「有」は「無」にならない
  • デモクリトス 原子論=「存在」は原子でできている。モノを延々と分割していけば最後にそれ以上絶対に分割的ない粒「究極の存在」に辿り着く。その究極の存在が「原子」である。原子は決して変化しないが、その原子が一定の法則に従って結合したり分離したりすることで、万物が変化するように見えるだけだ。

【近代】存在とはモノ?それとも知覚?

  • ニュートン ニュートン力学=地上でも天空でも「存在」は同じ法則で動く 万有引力 「地上の運動」と「天空の運動」を統一的に扱い、予測できる科学の体系を一人で作った。
  • バークリー 主観的観念論=「存在」とは知覚することである。確固たる物質としてそこにあるから存在するのではなく、精神が知覚しているから存在しているのだ。

【現代】「存在する」という最大の謎への挑戦

  • フッサール 現象学的探究=あらゆる現象はどこから来るのか? 主観的な意識の上に起こるあらゆる体験を現象と呼び、この現象からどのような思い込みが作られているか学問的にとらえなおそうとした。「意識の上に起きていることは何か?」という根源的なところから始め、「こういう主観的な意識体験が生じるから、人間はこんな世界観や科学理論を持つに至った」というふうに、意識体験の観点から記述しなおすという壮大な試みを行った。
  • ハイデガー 存在論=「存在」とは人間の中で生じるもの 哲学は、今まで人や物事のありようを問いかけてきたが、最も大事な問いがある。それは「そもそも存在するとはどういうことか?」である。「存在」とは言葉であり、それを使っているのは人間である。「存在とは何か」という言葉の意味は「人間にとって存在とは何か」という問題に還元される。
  • ソシュール 記号論=世界を区別する 言語とは区別のシステムである。例えば、リンゴの「存在」というものは、リンゴという物質があるから存在しているのではなく、リンゴをリンゴと区別する価値観があってはじめて、そこに存在すると言える。その価値観を持っていない者にとっては、リンゴなどどこにも存在していないのだ。

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