中小企業が日本を救うbusiness-doctor-28

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休日の本棚 三島由紀夫没後50年(2)

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おはようございます。

昨日の新規感染者は全国で2168人、そのうち東京391人、神奈川163人、埼玉115人、千葉80人、愛知144人、大阪490人、兵庫139人、北海道245人などとなっています。本来ならば少ないはずの日曜日に2000人を超える新規感染者が出ました。一人一人の意識が大切ですが、3連休は我慢の3連休ではなく羽を伸ばし3連休となってしまったようで各地の観光地や繁華街は人であふれています。

政府はGoToキャンペーンの見直しを決定しましたが、駆け込み予約が増えているとのことで、政府に踊らされているとはいえ人間の愚かさが垣間見れます。感染者数の急増でコロナ死者も2000人を超えました。欧米に比べれば少ない数ですが、感染が爆発的に拡大すると高齢者や基礎疾患保有者の感染が増加し死者も増加します。自分の愚かな行動で家族や高齢者を命の危険に晒すようなことはしたくありません。しっかりと感染防止対策を行い自覚ある行動をとりたいと思います。

さて、今日も昨日に続けて三島由紀夫を取り上げます。

何故三島は昨日書いたような壮絶な死に様を見せなければならなかったのでしょうか。

これについては多くの三島研究者が書いており、一冊どころか何冊もの本になることでしょう。三島由紀夫をそれ程愛読したことがなく、逆に嫌悪感すら抱いていた私がとやかく書くべきことではないかもしれませんが、私なりに考えるところを書いてみたいと思います。

三島由紀夫(本名:平岡公威)は1925年に東京の四谷で東京帝国大学を卒業し農商務省に勤務する父と東京開成中学校長の次女であった母の長男として生まれますが、三島を育てたのは母方の祖母夏子です。夏子は徳川家とも姻戚関係にあった江戸幕府最後の若年寄永井玄蕃頭を祖父に、大審院判事永井岩之丞を父に持つプライドの高い女性でした。夏子は、農家の出であり苦労して東京帝国大学に入り官僚となった夫を始終軽蔑し、激しいヒステリー気質であったと言います。母親の手から奪い取った夏子が、手塩にかけて自分の分身のようにかわいがり育てたのが三島でした。その育て方は異常とも思えるもので、「病気と老いの匂いにむせかえる祖母の病室」で男の子と外で遊ぶことは禁じられ、遊び相手は夏子が選んだ女の子3人だけ、折り紙や積み木、ままごとに戯れ、買い与えられた蓄音機で童謡を聞くという毎日だったと言います。夏子は小学生だった三島に泉鏡花の本を与え、歌舞伎の話を聞かせ、歌舞伎公演に連れて行くなど、こうしたことが後の三島の人生に大きな影響を与えたものと考えられます。

三島由紀夫は、「仮面の告白」や「禁色」(ともに新潮文庫)で同性愛を描きます。

自伝的小説である「仮面の告白」では、誕生から成人した現在までの「仮面」を被った「私」の「告白」が描かれています。「私」は女性に魅力を感じず、たくましい男ー汚穢屋、兵隊、地下鉄のキップ切り、落第してきた同級生ら―に魅力を感じ、そうした性的嗜好に苦しみます。戦争が激化する中、級友の妹と出会い、愛され、幸せらしいものに酔うのですが、唇を重ねた瞬間何かが違うと悟って結婚の申し出を断り逃げ出します。戦後、他家に嫁いだ級友の妹と再会し性的関係がないまま逢引きするようになりますが、その時でも「私」の目はたくましい若者に引き付けられます。

女を愛せない同性愛者の苦悩を描いたこの作品が三島の性的嗜好を表していると考えるのは早計です。三島は見合い結婚して二子をもうけています。以前、三島と美輪明宏(当時、丸山明宏)との親密な関係が取りざたされたことがありましたが、美輪は「男女の関係(?)にはなかった。互いに尊敬しあっていた」と発言しています。

三島は、多様な性のあり方を肯定していたのではないかと思います。仮面の告白」と「禁色」では男性同性愛を、「春子」でレズビアンを、「鏡子の家」ではサディズムマゾヒズムを、「幸福号出帆」「音楽」では兄妹相愛を、「愛の渇き」では舅との肉体関係を、「金閣寺」では性的不能を、「沈める滝」では不感症を描くなど、多彩なエロスに目を向けて描き切っています。

また、三島は、イタリアの天才詩人ガブリエーレ・ダヌンツィオの「セバスチャンの死」を邦訳し「殉教」というタイトルで出版しています。「仮面の告白」の中にもグイド・レー二作「聖セバスチャンの殉教」が「私」をたくましき男へのあこがれを目覚めさせた一枚の絵画として出てきます。三島由紀夫の写真集「薔薇刑」の中で、三島は聖セバスチャンに扮しています。これは、単なる写真集のポーズではなく、三島の市ヶ谷自決事件を暗示し象徴するかのようです。

ダヌンツィオは、第一次世界大戦頃からパリの社交界の寵児で、自己顕示力が強く、超愛国的で、派手な政治的言動でも有名でした。私的な軍隊を作ったことも、盾の会を作った三島と酷似しています。ダヌンツィオはその軍隊でクーデターを起こしイタリア北部を占拠し、正規軍が包囲、1月にわたり籠城しています。

三島の中に、ナルシシズムや強い男への異常なあこがれがあったことは事実です。祖母夏子に女の子のように育てられ病弱でひ弱であった三島は、30歳を超えた頃からボディビルに目覚め肉体改造に取り掛かります。そうした中で、右翼的な思想に傾いていったのではないかと考えられます。文芸評論家の田中美代子は、三島文学を「女の部屋から生まれ、育まれた」と言っていますが、眺める女の目を通じて、行動する男の肉体を眺め、それに憧れ、それを追慕しながら、なお三島自身も強い男であろうとする欲望を抱き続けたのでしょう。

三島は性や愛を描きながら、その対象が次第に政治的なものへとなっていきます。「憂国」では、二・ニ六事件に絡んだ自刃を決意した武山中尉と夫に従う夫人、死を決意した二人の濃厚極まる情交と壮絶な最期を描き、「宴のあと」では実際のモデルがあり問題となった東京都知事選での料亭の女将と元外相野口との関係を描き、「サド侯爵夫人」「わが友ヒットラーを書きます。

先ほどの「憂国」の中で、三島は、「美しい妻との心中」の背後に戦友を討とうとする敵への抵抗を用意し、「主観的な心中」に「客観的な名誉」の観念を付与し、頽廃的な死から栄光ある死に昇華させていきます。

三島作品の背後には「悲劇的なものへの渇望」が強く現れているように思います。

例えば「仮面の告白」の中で汚穢屋に対するあこがれについて

「汚れた若者の姿を見上げながら『私が彼になりたい』という欲求、『私が彼でありたい』という欲求が私を締め付けた」

「私の官能がそれを求めしかも私に拒まれている或る場所で、私に関係なしに行われる生活や事件、その人々、これらが私の『悲劇的なもの』の定義であり、そこから私が永遠に拒まれているという悲哀が、いつも彼ら及び彼らの生活の上に転嫁され夢見られて、かろうじて私は私自身の悲哀を通じて、そこに与ろうとしているものらしかった」

と書いています。

盾の会の行動原理となる「文化防衛論」の背後にも悲劇的なものが見え隠れしていると言われています。

三島の市ヶ谷自決事件も、クーデターを成功させようという意図は微塵もなく、むしろ自らを悲劇的なヒーローにすることが目的ではなかったかと思われて仕方ありません。

三島が強く訴え続けたことは、憲法改正であり、自衛隊を正式の軍隊にすることでした。三島は自らのクーデターでそれが実現できるとは考えていなかったと思います。三島事件から50年が経ち、安倍政権が憲法改正を強引に推し進めようとし、自民党にとっても憲法改正は悲願ですが、菅政権は憲法改正論を封印しているように思います。憲法改正は簡単に実現できることではありませんし、簡単に行うべきことではありません。憲法戦争放棄に関する前文・条文は世界に誇れる名文だと思いますし、占領軍に押し付けられたものではなく日本が自ら認め作ったものです。

憲法改正の話はこれくらいにして、三島が憂いていたのは、GHQによって日本や日本人に植え付けられた自虐意識ではなかったかと思います。昨日も書いたように三島らが蒔いた「檄」の中にあるように、日本、日本の文化や伝統を守るということ、日本人は日本人としての自信を取り戻せということだったのではないかと思います。

先日書いたように、今、多くの日本人は生きる目標を失い、生きる意味を見失っています。三島が本当に言いたかったのは、人間として、日本人として、生きる意味を見つけ自信と誇りを持って生きろということではなかったか、三島の自決は我々にそれを教えるためのパフォーマンスだったのではないか、そんな気がします。

 今一度三島文学に触れ、生きる意味、生きる目的を考えてみたいと思います。

休日の本棚 三島由紀夫没後50年(1)

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おはようございます。

昨日の新規感染者は全国で2596人で4日連続で過去最多を更新しました。その内訳は、東京539人、神奈川193人、埼玉173人、千葉109人、愛知211人、大阪415人、兵庫153人、北海道234人などとなっています。東京、埼玉、千葉、大阪、兵庫、岩手(15人)、茨城(66人)、愛媛(20人)の8都府県で過去最多を更新しています。

政府分科会からの提言を受け、菅首相も漸く重い腰を上げ、GoToの見直しを表明しました。GoToトラベルについては、感染拡大地域への旅行の新規予約への適用を一時停止し、GoToイートについては「原則4人以下」とするとともにプレミアム付き商品券の新規発行やポイント利用の一時停止などです。しかし、それらは知事の判断に委ねる形になっています。菅首相周辺は「GoToを見直すかどうかは知事の判断。国としては事業を止めるわけではない」などと発言し、「GoToの失敗」と追及されないように予防線を張るなど姑息な手段を取っています。菅首相は「国民の命と暮らしを守るために自治体と緊密に連携しながら、これらの対策に全力で立っていく」と言いながら、責任逃れの道を模索していると言ったところです。小池百合子東京都知事は、「しっかりと国の方で判断いただきたい。それが責任だ」と述べ、「国が責任を持って判断すべきことだ」との考えを示しましたが、まさしくその通りです。

政府がGoToの見直しを含め何らかの対策をとるというのは一歩前進ですが、1週間前に、少なくとも3連休前に具体的な対策が示されていればよかったと思います。昨日の観光地や繁華街に多くの人であふれており、3連休後の感染者数が心配です。

国と各自治体の知事が協議して決めるというならこの先どれくらいの時間がかかるか分かりません。安倍政権時の後手後手に回った対策はもうこりごりです。小池知事が言うように政府の責任と判断で早急に行ってもらいたいものです。

さて、今日は本の紹介ですが、三島由紀夫が壮絶な自決を行って11月25日で50年が経ちます。今年は三島由紀夫没後50年です。そこで、今日は三島由紀夫を取り上げます。

三島が、なぜ1970年(昭和45年)11月25日に市ヶ谷の自衛隊東部方面総監部で一種のクーデターを起こし、割腹自殺を図ったのか、三島の本を紹介しながら、三島の思想を見ていきたいと思います。

三島由紀夫という作家は、何度もノーベル文学賞の候補になり、世界的に最も有名な日本人であり、稀代の天才です。三島の作品も優れた名作ばかりですが、中学・高校時代に手に取りながら、彼の思想的な背景から私自身は馴染めませんでした。没後50年というこの時期に改めて読み返してみたいと思います。

まずは、1970年11月25日に何が起こったのか、について触れておきます。私もテレビや新聞で読み衝撃を受けたのを記憶しています。

なお、事件当日の三島の行動については、三島と親交があり、事件の一報で現場に駆け付けた唯一の外国人記者ヘンリー・S・ストークス著「三島由紀夫 生と死」(清流出版)を参考にまとめました。

事件当日、三島は朝早く起きるとシャワーを浴び入念に髭を剃り、真新しい褌を締めました。前日に書き上げた豊饒の海」4部作の最終稿を封筒に入れてテーブルの上に置きます。午前10時に知り合いのジャーナリストに市ヶ谷に来るように電話をかけました。ほどなくして、盾の会の隊員小賀正義が運転する車が三島を迎えに来ます。三島は鞄を持ち、日本刀を腰に下げ家を出ます。三島は助手席に乗り、後部座席には古賀浩靖、小川正洋、森田必勝が座っています。

三島は、「お前たちは死んではならない。総監が自決しないように動きに注意していろ。それだけだ」と言い、前もって決めていた通り、切腹するのは三島と森田の二人だけ、あとの3人は法廷で証言することを確認します。

午前11時前に車は市ヶ谷の自衛隊東部方面総監部の前に着きます。かねてからの計画通り、三島は「今日は縦の会の例会が開かれることになっています」と総監室に入り、しばらく益田兼利総監と雑談をしたのち、「小賀、ハンカチ」という行動開始の合図で、小賀が総監の背後に回り首を絞め、総監の手足を椅子に縛り猿轡を噛ませます。三島は部屋の中央に立ち、刀身を大上段に振りかぶります。そして、手筈通りに総監室にバリケードを拵え入室できないようにします。お茶を出すために部屋の前に来た沢本三佐は異変に気付き、上司の原一等陸佐に報告、数名がドアに体当たりしてバリケードが崩れ、数人が総監室になだれ込みます。三島は「出ろ」と大声で叫び、刀身を振り下ろします。それでも誰も動かず、三島は「出ろ、出ろ」と叫びながら斬りかけます。退こうとした陸佐は背中を斬られさらに腕も切られ、三島に跳びかかろうとした陸曹は右手首が切り落とされるほどの重傷を負います。そのとき三島の目には狂気が宿っていたと言います。陸佐らは負傷者を携えて、一旦は総監室から退出し、医務官を呼んで治療に当たらせます。その後、山崎陸将補は武器を持たず部下6人を率いて、総監室に入ります。

「出ろ。出ないと総監を殺す」「馬鹿な真似はやめろ」などの応酬があり、三島は一歩前に出て山﨑の顎を狙い斬りつけます。その時、自衛官らによって窓ガラスが割られます。三島は一歩退き、山崎が「要求は何だ。要求を言え」と叫びます。山崎の背後の1人が踏み込んで三島の横にいた森田めがけて跳びかかります。三島は山﨑目がけ刀を振り下ろし、姿勢を低くして避けようとしたものの山﨑は背中を斬られました。将校の1人が森田と格闘になり、3人が三島に襲い掛かりますが、三島は続けざまに左右を斬りつけ3人は腕や肩、背を斬られ負傷します。やむなく山﨑以下7人は退出します。

ドアが閉められ再びバリケードが積まれます。自衛隊側は負傷した山﨑に代わり幕僚副長の吉松一佐が指揮を執ることになりました。

三島は、「自衛官全員を東部方面総監部前に集めろ」と言い、「そんなことはできない」という自衛隊側と怒鳴り合いが続きますが、三島は窓に近づいて要求書を手渡します。

その後、三島は益田総監に歩み寄り、猿轡を緩め「我々の要求を受け入れれば、あなたの安全は保障する。受け入れない場合は、あなたを殺して私は切腹する」と言います。「なぜこんな馬鹿なことをするのか」という総監の問いに三島は答えず、隊員に要求書を読んで総監に聞かせるように指示します。要望書の内容を聞いた総監が「馬鹿馬鹿しい。こんなことをして何になる」と言ったことを無視し、三島は「責任者は誰だ。出てこい」と言って、吉松一佐に「要求書はすでに渡した。そちらが従わなければ総監を殺して自決する」と伝えます。

吉松一佐は幕僚長室で協議に入り、警察に連絡することとし、六本木の防衛庁に決定を伝え、全自衛官の招集も警察の到着を待って行うことに決めました。

三島は総監室で悠然としながら「襟元を緩め、鉢巻きを締めろ」と指示を出し、隊員たちは、日の丸を挟んで「七生報国」と書かれた鉢巻きを締めます。スピーカーが総員招集を告げ、パトカーのサイレンも聞こえました。

「お客さんが大勢パーティーにおいでだ」三島はそう言って微笑みます。

駐屯地の各所から続々と自衛隊員が本館前に集まり、警察のヘリは駐屯地のヘリポートに到着し、新聞社やテレビ局の報道ヘリは総監部の上空に集まり飛行しています。

正午少し前に森田と小川がバルコニーに姿を見せ、垂れ幕を固定して垂らしました。そして、バルコニーから「檄」を撒きます。「檄」の最後には次のように書かれていました。

日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。・・・今こそわれわれは生命尊重以上の価値の存在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ

正午ちょうどに三島がバルコニーに姿を現し、胸壁に飛び乗り、仁王立ちになり手を腰に当てがいます。そして、三島の演説が始まります。しかし、ヘリコプターの爆音や罵声にかき消され三島の訴えははっきりと聞き取れなかったのです。

三島は「天皇陛下万歳!」と三唱して演説を終えました。部屋に戻った三島は「あれでは聞こえなかったなあ」と失望のため息を漏らしました。そして上着を脱ぎ上半身裸になりました。

「やめなさい。そんなことをして何になる」と制止する総監に三島は答えます。「仕方ないのです。あなたは生きてください。このことに責任はないのだから」

三島は靴を脱いで一方に寄せ、森田が長刀を手に取ります。

「やめよ!やめないか」総監が叫びます。三島は無言のまま腕時計を外し、縦の会の会員の一人に手渡します。絨毯の上に正座し、ズボンを緩め押し下げます。何度か深呼吸をし、胸が大きく膨らみます。森田は後ろに回って介錯の位置につきました。三島は刃渡り30センチほどの鎧通しを握ります。小川が歩み寄り毛筆と色紙を手渡そうとしました。自分の血で「武」と書く手筈になっていましたが、三島は「もういい」と断ります。

三島は下腹を少し揉み、そこに切っ先をあてがいます。森田は三島のうなじを睨みながら太刀を振り上げました。手が震え、振り上げた太刀の剣先が震えていました。

三島は、再び「天皇陛下万歳」と3度叫んで、前かがみになって肺の空気を吐き出し、再び大きく息を吸い込むと「ヤァー」とあらん限りの力を振り絞って叫び、胸の空気を吐き出すと同時に刀を腹に突き刺しました。左手を添え、押さえつけながら真一文字に右へ引きます。血がほとばしり流れ雪白の褌を真っ赤に染めます。森田は刀の柄を握り締め振り下ろしましたが、三島の身体が前に倒れるのが早く、森田の刀は床を打ち三島の肩に食い込んだだけでした。三島は絨毯の上にうつぶせに倒れ唸っています。血に染まり腹から腸がはみ出した姿です。

「もう一太刀!」縦の会の3人が叫び、森田は刀を振り下ろしますが、今度は胴を深く斬っただけです。

「いま一太刀!」森田には力が残っておらず、3度目も失敗します。

剣道の心得のあった古賀が森田から太刀を受け取ると、一太刀で三島の頸部を切断しました。三島の首は胴体から1メートルほど離れた所に転がったと言います。

盾の会の4人はその場にぬかずき、益田総監は「拝みなさい」と言って、4人は念仏を唱え、総監も縛られたまま頭を垂れ上半身を前に傾けました。

森田は上着を脱ぎ、正座し、三島に倣って天皇陛下万歳を三唱した後、刀を腹につきたてましたが、腕に力がなく浅く切っただけ、古賀が長刀を一閃させ、森田の首が床に転がりました。

午後零時23分、総監室に入った検視官が三島、森田の死亡を確認し、総監部の一階で記者発表が行われ、三島由紀夫自決事件は幕を閉じました。

ときの佐藤栄作総理は「天才と狂人は紙一重だ。気が狂ったとしか思えない」と吐き捨てるように言っただけですが、三島の盾の会創設や自衛隊での活動に助力していたのはまぎれもなく佐藤栄作だったのです。「何が三島を自決させたのか」、狂人のふるまいと簡単に片づけることはできません。

明日は、三島の思想を見ながら、三島事件の真相について考えたいと思います。

休日の本棚 生きる意味

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おはようございます。

昨日の新規感染者は全国で2428人で、過去最多を更新しています。その内訳は、東京522人、神奈川208人、埼玉96人、千葉90人、愛知202人、大阪370人、兵庫131人、沖縄40人、北海道304人などとなっています。大阪、北海道、山口(23人)、岩手(15人)、大分(12人)と5道府県が過去最多を更新し、感染拡大が留まるところを知りません。兵庫県によれば病床使用率は50%を超え医療のひっ迫が懸念されています。

こうした状況の中、政府の分科会は遅まきながら「GoToキャンペーンの見直し」の提言を政府に提出しました。菅首相としては自身が官房長官時代に肝入りで手掛けたキャンペーンだけに苦渋の選択を迫られることになりますが、何らの対策も取らず先延ばしにすれば感染拡大は急速に進行します。GoToイートについて東京、大阪をはじめとする9都道府県知事は「原則4人以内」とすることとし、神奈川県の黒岩知事はGoToイートの食事券の販売を一時中止することにしました。北海道の鈴木知事は3連休の不要不急の外出自粛を要請しました。

昨日も書きましたが、GoToキャンペーンの一時中止ないし地域限定を決断し今の段階で抑え込まない限りは、欧米並みに感染者は増加し、再度の緊急事態宣言、ロックダウンを行わざるを得なくなります。菅首相も口先だけで「感染対策と経済の両立」というのではなく、具体的な政策で示してもらいたいものです。あるアンケートによれば国民の80%以上がGoToの中止を求めています。自らのメンツにこだわるのではなく、真摯に国民の声に耳を傾け決断することが国民のための内閣です。

さて、今日は、休日の本棚、本の紹介です。先日、「ライフスパン 老いなき世界」という本を紹介しました。最先端科学とテクノロジーが老化のメカニズムを解明し、誰もが人生120年時代を若く健康に生きられるというわけです。そこで今日は「死」についての本を紹介しようと思っていました。ここ数年、シェリー・ケーガン著「DEATH 『死』とは何か」(文響社)、五木寛之著「死の教科書」(宝島新書)、橋爪大三郎著「死の講義」(ダイヤモンド社など死に関する書物が立て続けに出版されています。

シェリー・ケーガン氏の書も橋爪氏の書も哲学的あるいは社会学的な見地から「死とは何か」を問い求めていますが、橋爪氏は「死んだらどうなるか、死んでみるまでわからない。だから死んだらどうなるかは、自分が自由に決めていい。宗教の数だけ、人々の考え方の数だけ、死んだらどうなるか、の答えがある。そのどれにも大事な生き方が詰まっており、人生の知恵が込められている」と言っています。

先週、ビートたけしさんの「間抜けの構造」を紹介した際に、「人間というのは『生と死』の一瞬の間にしかすぎないのだから、限られた期間を精一杯生きればいい」というような趣旨のことを書きました。

むしろ、「死とは何か」を考えるよりは「生きる意味」を考えた方がよさそうです

そこで、今日は上田紀行著「生きる意味」(岩波新書を紹介します。

一部屋に一台テレビがるような暮らし。一家に一台も二台も車があるような暮らし。物にあふれているが、それを使って夢を描けない社会。一所懸命働き、社会に貢献してきた人たちがもはや価値はないと思わされ、老後の不安に駆られるような社会。生きることの空しさを感じ、自分などいなくてもいいのではないかと思ってしまうような社会。コロナ禍において自殺者が増え、こうした思いに駆られている人は多いと思います。それは経済的不況が原因ではありません。景気が回復すれば解決されるという容易いもので張りません。問題の本質はもっと深いところにあります。著者は、私たちが直面しているのは「生きる意味の不況」であると言っています。この本は、私たちの「生きる意味」の豊かさを取り戻すことを目的として書かれ、私たちから「生きる意味」を奪っている原因を探り出し、そこを突破して、いかに自分自身の人生を創造的に歩むことが出来るかを考えています。

「生きる意味」は人ぞれぞれ違います。一人一人が自分の「生きる意味」を見つけ、その「生きる意味」に支えられた人生を実り豊かに歩むことが出来れば社会は大きく変わるはずです。

第1章 「生きる意味」の病

 私たちの社会を襲っている問題の本質は、「生きる意味」が見えないということです。日本のいたるところで起きている「生きる意味」の雪崩のような崩壊、それは「なぜ自分が生きているのかが分からない」「生きることの豊かさ、何が幸せかが分からない」ということです。

高度経済成長期において、私たちは「他人が欲しがるものを自分も欲しがっていれば安心」であり「生きる意味」を探求する力が失われ、バブル崩壊とともに私たちの人生を支えてきた「生きる意味」のシステムが崩壊したというのです。「みんなと同じ欲求」を持ち「みんなが目指す」人生を歩んでいれば幸せにやっていける時代が崩壊し、自分で「生きる意味」を探し求めなければならなくなったのにどうしてよいかが分からないというわけです。これからは、決まったものが与えられる時代ではなく、一人一人が「生きる意味」を構築していく時代が到来しているのです。

第2章 「かけがえのなさ」の喪失

 日本には、ベネディクトが「菊と刀」で指摘したように、「人の目」を気にする「恥の文化」があります。これまでの日本社会はある意味で「子供社会」であり、親(上司・先輩・先人)の言うこと聴いていれば何事もうまくいくように見えました。しかし、親も本当は自分の頭で物事を考えているのではなく「世間様」の目から縛られるままに行動してきたのです。自分が生きたいように生きる」のではなく「他人と同じものを欲しがり他人と同じ人生を生きる」ことが求められ、その結果著者が言うように、他者に受け入れられるように個性のない「透明の存在」の呪縛が生まれたのです。

一人一人は個性を持ったかけがえのない存在です。「透明の存在」の呪縛から解放され、自分の人生を自分が生きたいように生きることが重要になってきます。「生きる意味」を再構築し、私たちが自分の生を取り戻すことが必要なのです。

第3章 グローバリズムと私たちの「喪失」

 「グローバル・スタンダード」の名のもとに押し進められている日本の構造改革は、世界的に見ても決して「スタンダード」を目指すものではなく、グローバルという名の下で新自由主義的な弱肉強食的なイデオロギーを導入することになり、格差を拡大させて社会の信頼を失わせることになります。これは、負ければすべてを失ってしまうのではないか、誰も助けてくれないのではないかという不安が人々の心を蝕んでいます。

グローバル経済システムにおける人間、構造改革が目指す人間はとてつもなく「強い」人間でなければやっていけないということになります。こうした状況が続けば、格差がさらに拡大し、「生きる意味」のさらなる崩壊を招きます。私たちが求める本当の「強さ」とは、もっと包容力のある強さ、大人の成熟した強さ、自分の強さも弱さも知り、人の心の痛みが分かる強さでなければなりません。不安と恐れから行動を発するのではなく、自分自身と社会への信頼に満ちたおおらかな生き方が求められます。

第4章 「数字信仰」から「人生の質」へ

 高度経済成長期以降、すべてが数字で評価され、経済成長さえすれば幸せになるという風潮があります。しかし、「生きる意味」は数字では測れませんし数字で評価できるものではありません。数字にこだわることで生命力が奪われ、生活の質や人生の質が低下することにもなりかねません。収入が上がれば豊かになるかと言えばかえって過労死の危険が増し、家庭の崩壊・親子関係もバラバラになるという弊害も生まれます。収入だけが豊かさの指標でありません。収入や数字では心の豊かさは測れません。

数字への執着を手放し、真の豊かさ、「生きる意味」の豊かさにシフトすること、そのプロセスこそが私たちの文明的な課題です。

第5章 「苦悩」が切り開く「内的成長」

 今私たちの社会に求められていることは、「ひとりひとりが自分の『生きる意味』の創造者になる』こと」と言います。私たち一人ひとりが自分の生きる意味を創造していける社会への変革です。

今までは、「誰かが意味を与えてくれる」ことに慣れていましたが、これからは、自分自身で生きる意味を見つけ、自分の力で生きる意味を実践し、自分の人生を歩まなければなりません。人の人生ではありません。自分の人生なのです。

経済的な成長ではなく自分の内面の成長「内的成長」が求められます。生まれてから死ぬまで、「生きる意味」は成長し続けるのです。「生きる意味」の歴史は積み重なり、人生経験となって私たちの生きる意味をさらに深めていきます。私たちの人生は「生きる意味」の成長なのです。

人がワクワクすることを喜び、人が苦悩することを供に受けとめ、私たちの「内的成長」は他者に支えられることから大きなエネルギーを得ます。「内的成長」を支えるのは、他者との「豊かな」コミュニケーションです。豊かなコミュニケーションを可能にする社会づくりが重要になってきます。

第6章 「内的成長」社会へ

 いま必要なことは、「生きる意味」を巡るコミュニケーションの豊かさを取り戻し、「内的成長」を促す社会の再構築です。個人のレベルで言えば、私たち一人一人が自分自身の「内的成長」への感受性を高めるとともに、他者の「生きる意味」への配慮ができる人間になることです。社会的には、個人レベルの意識に支えられながら、「生きる意味」を育むような中間世界、コミュニティーを再創造することです。

「私たちの生きる意味を育むコミュニティー」というのは、「ワクワクすることを発見し、他者のワクワクすることと刺激し合って、相乗的に実現していくようなコミュニティー」「苦悩が受け止められ、深い実存的なコミュニケーションの中から自分の生きる意味を発見していけるようなコミュニティー」のことです。

第7章 かけがえのない「私」たち

 押し付けられた「生きる意味」ではなく、自分自身の人生を取り戻すこと、それは抑圧された自分自身から<我がまま>に生きることへの転換です。自己中心的で回りを意に介さない<ワガママ>とは違います。<ワガママ>が横行する社会は一人一人の自己信頼、自尊心が低い社会です。失われた自尊心を取り戻し、「人の目」がなくても「自分の目」から見て判断できる社会を構築しなければなりません。

長々と本書の各章の要約を書いてきましたが、簡単に言えば、「一人一人が自分の生きる意味を見つけ、自分の人生を自分の意思で生きていかなければならない」ということにつきます。

内容的にはごもっともなのですが、よく考えてみると「自分自身の人生の生きる意味を探し出せ」ということにある種のしんどさや苦しさを感じ、それが逆に生き辛くするようにも思えます。「生きていても仕方がないんじゃないか」「自分なんていなくてもいいんじゃないか」と思っているような人に「生きる意味を考えろ」と言っても逆効果です。むしろ、生きる意味を真剣に考えるというよりは、今この瞬間を真剣に生き抜けば自然と「生きる意味」がついてくるように思います。

人間なんて宇宙から見ればちっぽけな存在、宇宙の歴史から見れば人生なんて瞬きするくらいの短い時間にしかすぎません。生きる意味を見つけるのに労力を使うならば、今という一瞬一瞬に自分の好きなこと・やりたいことをやっていけばいいのではないかと思います。

人間なんていつかは死ぬものです。「死」を考えたってあまり意味はありません。死後どうなるのか、死ねば分かります。

「死ぬまで一瞬一瞬を真剣に生きる」と言っても、それでは息が詰まります。時には「いい加減さ」も大事です。時には息抜きも必要です。

アクセルを踏み、上手くブレーキをかけ、人生という短いロードを安全運転で進んでいけばいいのではないでしょうか。 

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中小企業の構造改革を促す3つの柱

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おはようございます。

昨日の新規感染者は2386人と連日最多を更新しています。内訳は東京534人、神奈川205人、埼玉108人、千葉106人、愛知219人、大阪338人、兵庫132人、沖縄54人、北海道266人などとなっています。東京、千葉、愛知、大阪、兵庫、和歌(15人)、山口(18人)、北海道の8都道府県で過去最多を更新しました。菅首相は「静かなマスク会食をお願いしたい」と言うだけ、西村担当相に至っては「今後感染がどうなるかは、神のみぞ知る」と言い出す始末。昨日も言いましたが、日本医師会会長が「コロナを甘く見ないでいただきたい」「秋の我慢の3連休」と警戒感をあらわにされたのに対し、加藤官房長官は「移動の自粛の必要はない」と反論するなど、政府の緊張感・危機感のなさ、無責任さが際立っています。

東京では、経済優先で営業時間の短縮要請はせず、今日から東京版GoToイートの食事券の利用をスタートさせます。更に感染を拡大させる意向のようです。大阪府の吉村知事は「重症者病床の使用率が50%を超えたら休業要請を出すことになる」と一応の基準を示したので、少しはマシですが、既に約37%が埋まっており50%を超えるのは時間の問題です。

はっきり言えば、早急に営業時短など休業要請、GoToキャンペーンの一時中止など強力かつ思い切った対策をとらない限り、ずるずると感染者数を増加させ、欧米並みの大爆発が起こりかねません。今強力な対策をとることが将来の感染拡大を防止する唯一の方法のように思います。「神のみが知る」などと無責任なことを言うのではなく、やるべきことをきっちりとやったうえで神(天)に任せるべきでしょう。

いみじくも、橋下徹が言っていましたが、政府が何もできないのは「緊急事態宣言の検証ができていない(やっていない)」からです。なぜ緊急事態宣言の検証をやらないかと言えば、「検証の結果効果がなかった」となると大変な批判を浴びるからです。コロナ禍のような未曽有の危機においてはやってみなければわからないもので、仮に失敗であったとしてもそれを将来に活かせればよいのです。なんら検証することなく放置すれば、その成功や失敗を後世に残し活かすことが出来なくなります。検証の重要性は否定できないにもかかわらず、新型コロナ禍での対策について何一つ検証がなされていません。それどころか、専門家会議の議事録などのまともに作成されていないようなので、検証のしようもありません。

菅首相の唯一の著書「政治家の覚悟」(文藝春秋が復刊され、復刊に当たり元の単行本中の記述一部が削除されていると話題になりました。その削除された部分には

 「政府がどう考え、如何に対応したかを検証し、教訓を得るために、政府があらゆる記録を克明に残すのは当然で、議事録は最も基本的な資料です。その作成を怠ったことは国民への背信行為であり・・・

とあります。菅首相の「政治家の覚悟」とはどんなものなんでしょうか?

さて、今日は、「中小企業の構造改革を促す3つの柱」というヤフー・ニュースの記事を取り上げます。

コロナ禍で、飲食、小売り、宿泊など全業種にわたって、中小企業は大きな痛手を受けました。政府の給付金や助成金で何とか持ちこたえてきた企業もあれば、コロナ倒産や廃業をやむなく選択した企業もあります。

この記事では、「今後は中小企業の生産性を向上させるなどの構造改革を進める施策へと比重を移していくことが求められる」と言っています。

政府は成長戦略会議で、中小企業の再編(淘汰)を推し進めようとしていますが、中小企業の淘汰が問題であることは先日書きました。しかし、政府がそうした方向にかじ取りしようとしている以上、そうした動きに巻き込まれないためにも、中小企業自体も生き残りをかけた構造改革が必要です。

この記事では、中小企業の構造改革は、3つの側面から進めることが重要だと言っています。その3つとは、

  1. 業態転換
  2. M&A
  3. ITなどを通じた個々の企業の生産性向上

という3つの柱です。

1.業態転換

 経産省は、将来を見据えて中小企業の業態転換を促す考えを示し、新たな補助金や融資、資本性資金の提供と言った支援策を検討しています。

コロナ禍が落ち着いても人々の生活様式が元に戻らず、個人の消費行動が構造的に変化することが考えられ、企業には業態転換を通じた事業の立て直しが求められます。

すでに、飲食業界では、宅配やデリバリー・お持ち帰りサービスを提供する店舗も増えてきていますし、ホテル業界もテレワーク用に客室を貸し出すサービスを行っています。ワタミでは需要の減る居酒屋の一部を焼肉店に切り替えたりしています。

倒産・廃業という道を選ばず、業態転換という道を選ぶことが出来れば、失業増加などといった社会的損失を最小限に抑えることができ、期待が持たれます。

政府が、こうした業態転換に補助金助成金を出して支援するというのはいいことです。

2.M&A

 企業経営者が高齢化し後継者がいないといった事由によって優良企業が廃業することを回避できるという意味でM&Aは重要な手段です。廃業を決定した企業の中にも優良企業が少なくありません。こうした優良企業が後継者不足・不在という理由で廃業に追い込まれるのは社会的損失です。M&Aを通じて廃業を避けることができれば中小企業の生産性向上にもつながります。

政府は、「経営資源集約化税制」で投資額に応じた減税を検討していて、①自社の技術と買収先の技術を組合わせて新製品を製造する際の設備投資 ②原材料の仕入れや販売管理に使う共通システム導入などを減税対象とすることが検討されています。また、M&Aには回収見込みのない売掛金をはじめとした簿外債務が生じるケースがあってそれがM&Aを躊躇させる要因になっていることもあります。そこで、中小企業が将来の支出や損失に備えて準備金を積み立てた場合に、損金算入を認める制度も検討されています。

3.IT活用による生産性向上

 中小企業の経営環境の改善策を官民で話し合う「未来を拓くパートナーシップ構築推進会議」の会合(11月18日)では、中小企業への支援策を取りまとめる方針で一致し、収益向上が見込める業態への転換やデジタル化の促進などを柱とした施策が検討されるようです。また、独立行政法人中小企業基盤整備機構は、中小企業へのIT導入の支援を強化しています。

この記事では、「中小企業の構造改革は菅政権の大きな手腕の見せ所」と言っています。確かにこの記事が言うように、「消費行動が構造的に変わる中、業態転換やM&Aを通じて、産業構造の変化を先取りする中小企業構造改革を政府が支援するという政策が次第に重要になってくる」でしょうが、菅政権・菅首相が推し進めようとしているのは、このような構造改革を念頭に置いたものではなく、先日も書いた「中小企業悪玉論」にアトキンソンと一緒に乗っかり、生産性が低いと彼らが考える中小企業を強引に淘汰しようとしているだけです。

何度も言いますが、日本企業の生産性の低さは大企業の問題で、大企業が下請け・孫請けといった中小・零細企業からの搾取を止めない限り、日本の生産性は向上しません。先ずは、こうした大企業による搾取に構造的なメスを入れることが先決で、そのあとで、中小企業の業態転換やM&Aなどの構造改革を行っていくべきでしょう。 

「パワポ禁止、箇条書き資料禁止」というすごい会議

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おはようございます。

昨日の新規感染者は全国で2202人で過去最多となりました。その内訳は、東京493人、神奈川226人、埼玉126人、静岡87人、愛知141人、大阪273人、兵庫103人、京都39人、沖縄41人、北海道233人などとなっています。首都圏、中部東海圏、関西圏、北海道での感染者増が目立ちますが、昨日感染者が出なかったのは青森、秋田、石川、島根、高知の5県のみで全国的に感染が拡大していることは明らかです。東京、神奈川、埼玉、静岡、長野で過去最多となっています。こうした状況を受け、東京都は、警戒レベルを4段階のうち最も深刻な「感染が拡大している」に引き上げる方針ですが、営業時間短縮要請には慎重な構えで、経済を止めることへの影響などから見送るべきとの意見が出ています。また、加藤官房長官も、「県をまたいだ移動について自粛を要請する必要があるとは考えていない」「(GoTo トラベルについて)感染防止策によって旅行による感染リスクを低減できる」と言い、菅首相は「静かなマスク会食を」とあまりにも危機感のなさを呈しています。一方、日本医師会の中川会長は、「コロナ慣れしないでください。コロナを甘く見ないでください」と強い危機感を持って訴え、現状についてはGoToキャンペーンが感染拡大の一因であるとの認識を示し、「今週末は秋の我慢の3連休としてください」と自粛を訴えました。

専門家の意見を無視し、経済優先で突き進んでいく政府や自治体の姿勢に強い違和感を覚えます。政府の日本学術会議の任命拒否でも見られるように、政府の意向に沿わない専門家や学者の意見を抑え込み(コロナ分科会はもう骨抜きにされ御用機関化しています)、強引に突き進む姿は、極端な例を挙げれば、反対する学者たちを弾圧して日米開戦に突き進んだ1940年代を彷彿させ、今後の日本の将来に暗雲が立ち込めるようにも感じます。

大阪府の試算によれば、今の状況で感染拡大すると重症者病床が来月には不足するとのことで、医療のひっ迫は目前に迫っています。大阪でこのような状況なので、東京もほぼ同じような状況でしょうし、地方では医療体制のひっ迫はより深刻です。

早急に対策をとらない限り、来週には3000人、4週間後には5~6000人に急増し、医療崩壊につながることは第2波の感染状況からも明らかです。更に冬に向けて乾燥し飛沫が飛びやすい状況なので夏の第2波よりもより深刻な状況でしょう。

政府や自治体の緊張感・危機感のなさに呆れるばかりですが、一人一人が政府を信頼せず専門家の意見に耳を傾け、気を緩めることなく密を避け新しい生活様式を実践していきましょう。先ずは「我慢の3連休」を乗り切りましょう。

一昨日は、「やりっぱなしの会議」への対策について書きましたが、今日も会議についてです。Forbes JAPAN の「アマゾンのすごい会議。ルールは『パワポ禁止、箇条書き資料禁止』」という記事を取り上げます。

世界のトップ企業、アマゾンの成長を支える原動力である「会議の技法」、会議の効率化を図るために創業者ジェフ・べゾスが設けた「アマゾン流の資料作成ルール」が紹介されています。世界の最先端を進むアマゾンがなぜ?と思いますが、その理由を聞くとなるほどと納得できます。

最近、各社の会議には、パワーポイントに箇条書きで要点だけが記載された資料が使われているのをよく目にします。一見すると、パワーポイントを使った資料をプロジェクターで映し出し説明するというプレゼンは、聴く側にとっても整理されていて理解しやすいように思えます。

しかし、アマゾンでは、パワーポイントを使った箇条書き資料はNGとなっていて、「文章形式で書かないといけない」というルールがあるというのです。ワード文書で作成され、印刷されて会議時に配布されるのです。会議時やその直前に配布されるので、あらかじめ読んでいることは期待されていません。「その場で読んですぐに理解できる分かりやすい文章を書く」ことが資料作成の必須条件になっているからです。

パワーポイントでの箇条書き資料は簡単に作成することが出来ますが、その場で読んですぐに理解できる文章というのは、作成者が資料の内容を明確に理解できていないと書くことはできません。

アマゾンで、パワポや箇条書き資料が禁止されるのは。箇条書きの場合、行間を読むことで人によって解釈に違いが出るのを防ぐためです。作成者も、行間に色々な思いや考察を含めて書いているのでしょうが、後日作成者に確認しても思い出すことが出来ないケースが出てきます。そうしたことを避けるために箇条書きではなく、文章形式にするのです。そして誰が読んでもすぐに理解できる文章であれば、行間に解釈の違いが入り込む余地はありません。

明確な文章形式になっていなければ会議で生まれた小さなブレが、時とともに大きな解釈のブレとなって本来の目的からかけ離れたものになってしまうこともあり得ます。

また、文章として資料が残っていれば、会議に参加していなかった者もそれを読めば内容を理解することが出来ます。

会議の資料で重要なのは見栄えではなく中身です。誰もが読んで分かりやすい文章を書くには、必然的に何度も何度も書き直し、推敲を重ねなければなりません。こうした検討の中で資料作成者の頭も整理されてきます。

会議での資料作成が目的ではありません。最終目的は資料によって提案されたアイデアや施策を実行に移すことです。作成者が何度も検討し推敲を重ねたアイデアや施策は実行段階においてもスムーズに事が運ぶようになります。一昨日に書いたように「やりっぱなしの会議」では意味がありません。それを実行・実践に移してこそ意味があるのです。実行・実践という先を見越したうえで資料作成を行うには、アマゾン流の資料作成ルール、「パワーポイント禁止・箇条書き資料禁止」は役に立つように思います。会議の資料作成は、やっつけ仕事では駄目で、十分な時間をかけて作成すべきものです。

最低賃金引き上げは中小企業の生産性を高めるか?

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おはようございます。

昨日の新規感染者は全国で1669人で、その内訳は東京298人、神奈川133人、埼玉88人、千葉79人、茨城55人、愛知138人、 大阪269人、兵庫107人、京都49人、北海道197人などとなっています。兵庫、茨城、京都、長野(24人)、大分(11人)の6府県で1日当たりの新規感染者が最多を更新しました。

加藤勝信官房長官は、定例の記者会見で、新型コロナ対策の一環としてGoToイートの見直しや営業時間短縮要請に応じた店舗への協力金給付について、「検討中」と繰り返しました。新型コロナ対策として具体的な施策はなく、「検討中」というだけで、明確に記者の質問に答えているとは思われません。

今日のニュースで、政府は、GoToイートの利用について「原則4人以下」とするよう都道府県に検討を要請しましたが、具体的な対応は各都道府県知事に任せました。またしても、自分らが責任を取らない形を作り上げています。この「4人以下」という案は、数日前に吉村知事が西村担当相に提案したものですが、大阪で第2波の時に行われた「5人以上の飲食自粛要請」(10月8日解除)を基にしていると思われます。この「5人以上の飲食自粛要請」の効果についてまだ検証がなされているわけではありません。このところの急激な感染者増が、会食の人数制限だけで押さえられるとも思えません。本当に新型コロナを押さえ込もうとすれば、必要なのは感染拡大が懸念される地域でのGoToキャンペーンの適用除外などもっと踏み込んだ対策です。相変わらず、経済優先、それも飲食店だけ不公平に優遇するような偏った施策で、新型コロナ感染予防がおろそかになっています。今後の爆発的な感染拡大が懸念されます。

こうした中、喜ばしいニュースとして、「米製薬会社モデルナで開発中の新型コロナウイルスワクチンが94%以上の有効性を示した」というのが飛び込んできました。先日のファイザー社のワクチンは-80度という超低温での保管が必要でしたが、モデルナ社のワクチンは通常の冷蔵庫保管で大丈夫なので、保管・輸送にも問題はありません。あとは、安全性と効果の持続期間です。政府はファイザー社のワクチンを来年6月までに6500万人分、モデルナ社のワクチンを来年9月までに2000万人分輸入する予定ですので、ワクチンが利用できて新型コロナが収束に向かうのは少なくとも1年ほどかかりそうです。その間、密を避け気を緩めることなく新しい生活様式を実践していくしかありません。

さて、今日は、現代ビジネスの「最低賃金『引き上げ』で、実は日本が”米国並み”の『超・格差社会』になる」という記事を取り上げます。

先日も書きましたが、菅首相は、成長戦略会議などで、中小企業の再編・淘汰を推し進めようとしています。この記事では、そうした菅首相の考えを「中小企業悪玉論」と呼び「『生産性の向上』という賭け声は立派だが、副作用に対する配慮や戦略が見えない」と批判的です。私もかねてから書いている通り、そのように思います。

安易に政策を実施すれば、淘汰される中小企業や失業して行く労働者がいたずらに増え、社会不安を引き起こすことにもなりかねません。

菅首相のブレーンの一人アトキンソンは「中小企業の生産性の低さ」を問題視しますが、前回も書いたように日本の生産性の低さは大企業にあります。大企業が下請け・孫請けといった中小・零細企業に低価格を要請し搾取すると言った構造を改革しない限り日本の生産性は改善されません。中小企業を淘汰してケリがつく問題ではありません。

中小企業を淘汰するために菅首相が以前から主張しているのが「最低賃金の引き上げ」です。最低賃金を引き上げて、賃金が支払えなくなった中小・零細企業を潰していこうというわけです。

この考えの根底には、「最低賃金を大幅に引き上げれば、人件費コストが上がった分、業務の効率化に取り組み、生産性を高めるに違いない。最低賃金が低いから成り立っている中小零細企業は潰れていい」という思惑があるのでしょうが、物事はそう簡単に進みません。

最低賃金が低いから大企業の搾取に持ちこたえている下請け・孫請け企業が多く存在します。最低賃金の引き上げはこうした下請け・孫請け企業まで淘汰してしまいます。そうなれば大企業にも影響を及ぼし、逆に日本全体の生産性をさらに押し下げることにもなります。また、低賃金の労働に支えられている企業の中には、デジタル化や自動化が難しいうえに、私たちの生活に必要不可欠な商品やサービスを提供してくれているものも多いのです。そうした企業が淘汰されれば私たちの生活にも重大な影響を及ぼします。企業が淘汰されるかどうかは、政府が強制力を持って行うものではありません。自然に淘汰されるべきもの、もっと言えば消費者のニーズや動向によって淘汰されるべきもので、それは中小企業だけでなく大企業も同じです。政府が行うべきことはそうした自然淘汰が出来るような仕組みや構造を作り上げることです。

最低賃金の引き上げについては反対する識者はほとんどいませんし、私自身も反対はしません。しかし、経済成長を大幅に上回るペースで最低賃金を引く上げるとそれに伴う弊害が多く出ます菅首相や政府が考えている最低賃金の引き上げは経済成長率を無視した大幅な引き上げなので問題なのです。

最低賃金の引き上げはすべての労働者、特に低所得者層は喜ぶはずです。しかし、経済成長率を上回るペースで引き上げがなされると、企業は人件費コストの上昇を抑えるために、解雇などの手段をとらざるを得なくなります。そうなれば、最低賃金の引き上げで救済されると思っていた低所得者層、非正規労働者派遣労働者が解雇されることになります。低所得者を救済するはずの政策が最も救済されなければならない低所得者を苦しめ、格差をし進める原動力にもなってしまいます。

この記事では、「最低賃金の大幅な引き上げが賛同されるのは、日本の現状をしっかりと博することなく、生産性が低いという数字だけを見てしまっているからだ」といっています。この数字の背景にはそれぞれの国によって生活様式や価値観、文化、税制、社会保障などの違いがり、一概に数字だけで比較するのは問題だというわけです。

アメリカでは、3人に1人が貧困層及び貧困層予備軍に分類され、格差角地は史上最悪の状態にあります。アメリカの生産性が高いと言っても、非正規労働者の割合が6割を占め、生産性を重視して医療費が高騰した結果、4人に1人が病院に行きたくてもいけない社会が作り出されました。生産性改革は、場合によってはアメリカのように中間層を没落させ、国民の分断を招きます。日本においても、アベノミクスで富める者と富ざる者とに分断され、格差が広がりつつあります。菅首相が行おうとする中小企業の再編・淘汰、そのための最低賃金の引き上げは、さらに格差と分断を助長するように思います。

この記事は、「日本の最低賃金をどのような位置づけにしたいのか、最低賃金の過度な引き上げでどの層が恩恵を受け、どの層が負担を強いられるのか、冷静に見極め、何が良い点で、何が悪い点か、差し引きでプラスかマイナスかという考えが欠かせない」と言っています。

そして、この記事の筆者は「中小企業への行き過ぎた保護策を改めて競争原理が機能する政策に転換することが欠かせない」と言います。しかし、コロナ禍で、中小企業に対する支援は必要です。中小企業に対する支援や保護策を辞めれば、多くの中小・零細企業がつぶれてしまします。今は時期ではありませんし、まずやるべきことは大企業が搾取するという構造的な問題を解消するための仕組みや構造改革です。

政府には安易な最低賃金に拘泥することなく、全体を俯瞰しながら、かつ、長期の視点を持ちながら、日本の実情に沿った政策を実施してほしい」という点には賛成です。

 

業務改善 「やりっぱなしの会議」への対策

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おはようございます。

昨日の新規感染者は全国で950人、そのいち東京180人、神奈川61人、埼玉87人、千葉77人、愛知63人、大阪73人、兵庫40人、北海道189人などとなっています。元々月曜に発表される数字は低いのですが、このところの増加傾向から月曜日の数字も週を追うごとに増えてきています。明日以降の数字がどうなるのか心配です。

現在の状況について、昭和大学医学部二木芳人客員教授は、「もう第3波に入っていると考えた方がいい」と言い、「GoToキャンペーンやイベントの規制緩和、その流れでの気持ちの緩みが原因だ」との認識を示し、「いったん緩んだ気持ちをコントロールするのは難しい」と述べています。また、第2波と比べると、第2波では20代、30代が感染者の6割を占め、夜の街関連の比重が大きかったのですが、第3波では、40代、50代の感染者が増え全世代に広がり、感染経路も家庭内、職場内と市中感染が広がっています。中高齢者の感染者増は、重症化リスクを高め死者の数も増えることが懸念されます。GoToトラベル、GoToイートなどのGoToキャンペーンが感染者増の一因であることは否定できません。今後の感染者増に応じて適用除外など臨機応変に対処すべきです。何度も言うように経済と感染防止のバランスが重要です。

政府は、営業時間短縮要請に応じた店舗に対して1月当り20~30万円の協力金を給付する方向で検討に入りました。こうした中小・零細企業、店舗の支援は必要なことですが、コロナ禍で苦労しているのは飲食業界だけではありません。GoToイートにしろ協力金の給付にしろ飲食業界に偏りすぎているように思います。飲食だけでなく、アパレル、小売り、書店、家電など密を避ける対策をとり、自主的に営業時間を短縮して営業している店もあります。飲食店に食品や商品を納入している業者もあります。飲食店が時短営業になるとそうした業種も収入が減ります。あまりにも偏った支援は不公平感を招き社会を分断することにもなりかねません。人気取りややっている感を出すために目に見える飲食業だけを支援するような姑息なことはやめ、疲弊し苦悩するすべての業界・業種、中小・零細企業の支援を行うべきです。

さて、今日は、PHPオンライン衆知の「さんざん議論だけして放置・・『やりっぱなしの会議』を生み出す犯人」という記事を取り上げます。なお、この記事は、沢渡あまね・元山文菜著「業務改善の問題地図」が基になっているようです。

コロナ禍の影響を受けて、大なり小なり、すべての企業は生き残りをかけた戦いに挑んでいます。そして、コロナ禍で社会の変化に合わせて自社の生き残り戦略も変容させていかなければならない岐路に立たされています。コロナ前から働き方改革が叫ばれていましたが、コロナ禍で急速に働き方のスタイルが変化し、業務の在り方を見直し業務改善を模索しなければならなくなりました。そうした中で、Web会議が頻繁に開かれ、さまざまなアイデアが出されてきます。先日書いたアイデア社長が突拍子もないアイデアを出して強引に進めていくというのは論外ですが、多くの社員から色々なアイデアや意見が出ることは良いことです。しかし、問題は、アイデアや意見は出るもののそれを実行に移すことなく放置し会議だけで終わってしまうということです。どこから手を付けるか、誰を巻き込むかと考えているうちに時間が経ち億劫になって、気が付けば「何もしないで元の通常営業」に戻っているということになっています。

この記事では、議論で出たアイデアを素早く実行に移すためのコツ、「やりっぱなし」への対策を示してくれていて、参考になります。

1.即実行・即実践でアイデアを整理する。

 アイデアを出し合い議論だけで終わってしまうような会議は問題です。出てきたァイデアを整理して、具体的にどのようなことに取り組んでいくのか膨らんだアイデアを収束させていく必要があると言っています。つまり、会議で出てきた不満や問題点、アイデアを実際の行動に結びつけていくために整理することです。

この場合重要になるのがイデアの粒度だと言っています。出てきたアイデアや問題点、改善点を粒の大きさに見立て分けていくのです。この記事に出てくるアイデアや問題点・改善点で言えば次のように「大」「中」「小」に分けることが出来ます。

  • 【大】「基幹システムを導入する」「パートを雇う」
  • 【中】「マニュアルが色々な場所にあるので読む気がしない」
  • 【小】「同部署内のメールに『お疲れさま』などと丁寧語を入れるのは無駄」

これらに対して「これは、即実行・即実践できることかな?」と問いかけてみるというのです。【小】の改善点ならばすぐに実行できそうです。これを1週間続けてみる、そして次回の会議でどうするかを再び考えて業務改善を進めていくというわけです。

業務改善と言っても何も大袈裟なことを考えて実行する必要はありません。身近なところから、社員のだれもが改善した方がよいと思っている些細なことから順次取り組んでいけばよいのです。その意味で、アイデアの粒度というか、順位付けは必要です。

2.実行することの「決め方」を決める。

 先ほどの【大】や【中】などで「即実行・即実践」できないアイデアは放置しておいていいのかと言うと、そういうわけにはいきません。問題点・改善点、アイデアとして出てくる以上社員が困っていたり改善の必要を感じている内容なのです。それを放置していたのでは真の業務改善にはなりません。

これらは「即実行・即実践」というわけにはいきませんが、「何から実行すればいいか」という決め方(スケジュール)を決めることが重要になります。予め決め方を決めておくことで、声の大きい人や上司の独断で実行する施策が決まってしまうということが避けられますし、なぜこのプロジェクトを行っているか説明が出来ます。

決め方については各社各様ですが、この記事ではコスト、巻き込む範囲、ベネフィット、期間に絞って点数付けを行って評価するのがよいと言っています。点数によって評価するというアイデアは良いと思いますが、誰が点数を付けるのか、点数に主観が入らないかが重要になってくるように思います。

  • コスト・・・その施策を実現するためにかかるコストや工数。【3点】費用が不要の施策 【2点】来期予算内の計上が必要な施策 【1点】新たに予算を取り承認が必要な施策
  • 巻き込む範囲・・・ステークホルダ-が多くなればなるほど複雑化し難易度が増す。【3点】自部門の周知や教育だけで完結 【2点】他部署や全社的に衆知や教育、協力の依頼が必要 【1点】顧客や取引先など社外への周知や協力の依頼が必要
  • ベネフィット・・・プロジェクトのゴールにその施策があっているかを測定するための項目・効率化 【3点】廃止(なくす) 【2点】削減(減らす) 【1点】変更(変える)
  • 期間・・・長期間要するものか短期間で実行できるものか 【3点】今月中 【2点】上期中 【1点】来期

こうした方法で点数付けして、点数の高いものから実行・実践を検討することになるのですが、「点数が高いものが優先順位が高い」逆に「点数が低いものが優先順位が低い」と言い切れない場合があることに注意が必要です。自社が業務改善することによって真に実現したい目的は何かを常に念頭において、その目的達成のためのアイデアとして何が適切かを検討することが重要です。

3.アイデアに期日を入れ、一覧にする。

それぞれのアイデアに期日を決め、誰がいつまでに進めるのかを一覧で可視化します。これは誰でもが見ることが出来るように共有化することで、どのようなアイデアが現場から出て、何が実行されているのか、いつまでに実行されるのかを理解できるようになります。

このようにして、出てきたアイデアを整理して順位付けし、しっかりとスケジュールに落とし込むことが出来れば、確実に実行でき、効果の実感できる業務改善活動になっているはずです。

業務改革を難しく考える必要はなく、身近なところから自社に合った取り組みを進めていけばいいだけです。会議を開き議論だけして放置するよりは断然マシです。

 

コロナ後を生き抜くための条件

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おはようございます。昨日の新規感染者は全国で1440人で、そのうち東京255人、神奈川114人、埼玉80人、千葉60人、愛知102人、大阪266人、兵庫79人、北海道209人などとなっています。本来ならば、日曜・月曜に出てくる数字は休日の検査件数が少ない時のデータなので、もう少し減少しても良いはずですが、かなりの数字になっています。火曜日以降に出てくる数字が極めて心配です。東京では、第2波の時には若年層が中心でしたが、この第3波では家庭内感染が最多で60歳代以降の人も2割以上いるようで全世代に拡大しています。これは東京だけでなくすべての地域に当てはまることと思われます。昨日は、大阪が東京を抜き全国で最多となりました。陽性率は14.6%で4月20以来の高い水準になっています。昨日、吉村知事は西村担当相にGoToイーツの人数制限を打ち出しましたが、都構想住民投票否決以来、吉村知事の存在感が薄く、新型コロナ対策にもやる気が感じられません。このままでは、。ますます大阪での感染者数は増えそうです。密を避け、マスクや手洗いなど新しい生活様式を実践し、今年の年末年始は動き回らない方がよさそうです。

さて、今日は、東洋経済オンラインの「日本の会社『コロナ後を生き抜く』為の絶対条件」という記事を取り上げます。

コロナ禍によって人々の働き方が変わり、企業経営の在り方にも変化が見え始めています。これまでは人が集まってチームとなり一つのプロジェクトを成し遂げていくというスタイルが主流でしたが、コロナ禍でリモートワーク・在宅勤務が増え、働き方・仕事の在り方が変わりました。コロナ後を見据えて生き残りをかけた戦いを行わない企業は時代の流れから取り残されることは言うまでもありません。そうは言っても、欧米で感染拡大が拡がり日本でも第3波と言われている状況で、収束の目途も経たず、世界が、日本がどのようになっていくのか不確実な状況が続きます。それでも大きな動き・根本的な変化は明らかです。

まず、この記事が言っている通り、日本の不得手な部分が新型コロナ禍によって表面化したというのは事実です。特にデジタル化・DXの遅れです。コロナ禍で誕生した菅首相は、デジタル庁の創設を掲げ、河野行政相も脱ハンコ・脱ファックスを進めようとして行政が積極的に率先してデジタル化をすすめようという方向性は良いと思います。しかし、前から言っているようにあくまでもそれらは手段であって目的ではありません。このことを忘れると、結局は目的が達成されていないのに手段だけ行って自己満足してしまうという事態になります。

このことは企業においても当てはまります。企業が、コロナ後を生き抜くために組織改革を行うとしても組織改革は手段であって目的ではありません。組織改革を行ってそれで自己満足していたのでは意味がありません。コロナ後に生き残る為という目的で組織改革を行い、それを動かして、また不備があればそれを修正して、コロナ後に備えるということが重要になります。

この記事では、コロナ後の世界では様々なシフトが起こると言っています。それは次のようなものです。

この記事では、「新自由主義」「グローバリズム」といったこれまでの資本主義社会を支えていた価値観が変わることになり、産業構造も大きく変わっていく可能性があると指摘しています。しかし、人というのは、簡単に変化に対応できないものです。

基本的な流れとして、①アナログ→デジタル ②化石燃料→再生可能燃料 というのは必要なことです。しかし、日本のみならずすべての国は、他国との関係、世界経済の中で動いています。グローバル・他国との関係を抜きにして個々の国経済を語ることはできません。自給自足経済に戻ることは不可能です。また、A I の発展には目覚ましいものがありますが、マンパワーを抜きにしてA Iを語ることはできません。人のためのA I です。人間の生活を豊かにするためのA I であって、人の職業を奪い人を不幸にするものだってはいけません。地方分散も必要なことかもしれませんが、リモートワークで地方にいて都市部の仕事をするという流れがどこまで定着するかは未知数です。大きな流れにはならないような気がします。リスク管理の重要性は今回の新型コロナで再確認されました。しかし、人間というのは「喉元過ぎれば熱さを忘れる」困った生き物で、すぐに忘れてしまいます。今回の新型コロナか禍と同じような未曽有の危機が再び訪れないとは言い切れません。リスク管理は国家の企業もしっかりと行う体制を作って未然に防止する必要があります。

この記事が言うように、業界によってコロナの影響で明暗が分かれました。宿泊・旅行、航空業界などの運輸、飲食サービス業、エンターテインメントなど娯楽業などが大きな影響を受けました。今後も新型のウイルスが登場する可能性が否定できないとすれば、今までと同じノウハウではなく、新しい形での取り組みも必要になってきます。例えば、飲食業界では、出前・宅配、テイクアウトといった多種多様な形態や郊外の住宅街での店舗営業なども考えられます。

この記事では、同じ業種の中でも、企業によって対応が異なり、生き残れる企業と存亡の危機に直面している企業とが分かれると言っています。常日頃からリスクマネジメントをきちんとしていた企業はコロナ禍でも十分に対応でき、リスクマネジメントが出来ていなかった企業と大きな差が出てきました。中小企業を含めて、どのように危機に対応していくのかを日常的に想定している企業の方が生き残りには有利になります。危機的状況に陥った場合の危機管理には、今回のコロナ禍のように企業活動中止に伴う収入の急激な落ち込みに対して資金繰りをどうするかといった財務管理面での問題も出てきます。こうした面も含めて日ごろからきちんとしたリスク管理をしていくことが要請されます。

コロナ後を生き抜くということはどの企業にとっても大変なことですが、流れを読み取り、それに後れを取ることなく対処していくことが必要です。特にこの記事でも強調されているように、リスクを先送りしている企業はダメです。率先してリスク管理に取り組んでいることが、今後同じような危機的状況が訪れた際に大きな差となってら現れます。 

 

 

休日の本棚 「読まなくてもいい本」の読書案内

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おはようございます。

昨日の新規感染者は全国で1737人となり、3日連続で過去最多を更新しました。内訳は、東京352人、神奈川147人、埼玉104人、千葉88人、愛知152人、大阪285人、兵庫79人、北海道230人などとなっています。大阪は2日連続で過去最多を更新し、神奈川、茨城、静岡も過去最多となっています。早急にしっかりとした感染防止対策をとらない限り、感染拡大を止めることは出来そうにありません。しかし、菅政権はまともに動こうとしていません。国民のための内閣を作ると言いながら、国民に対して明確なメッセージを発することもなく、握った権力を振りかざし強権政治を行っているだけです。安倍政権以下です。もはや期待はできません。国民一人一人が自分の責任で身を守るしかありません。赤羽国交相も西村担当相も、GoTo利用について「国民が自分の判断でやっている」と発言し、国民に責任転嫁しようとしているわけですから、政府を当てにせず一人一人がしっかりと自分が出来る範囲の対策をとるしかありません。

さて、休日は、「休日の本棚」と称し、本の紹介をしてきました。私自身が興味のある分野やビジネスに役立つと思える本を紹介しているつもりです。できる限り、本のエッセンスを書いて、(本当は読んでほしいのですが)読まなくても内容は分かるようにしているつもりです。

総務省の統計によれば、日本では年間約7万点の本が出版されています。そのれらの本をすべて読むなどと言うことは到底できることではありません。それではどのような本を読めばよいのか、それも悩むところです。

そこで、今日は橘玲著「『読まなくてもいい本』の読書案内」(筑摩書房という本を紹介します。と言っても、この本が「読まなくていい本」を紹介してくれているわけではありません。橘氏と言えば、「マネーロンダリング」や「タックスヘイヴン」などの国際金融情報小説だけでなく、投資や経済、社会時評などのノンフィクションも手掛ける作家です。

橘氏は、「何を読めばよいのか」と悩む人は真面目で、「読むべき本」のリストはすでに持っていてそれに追加する本を探しているというのです。その結果、「読むべき本」がどんどん増え、「読むべき本がこんなにある」→「まだ全然読んでいない」→「自分はダメだ」というネガティブ・スパイラルに嵌っていくというのです。むしろ、「読むべき本」を探すのではなく、「読まなくていい本」を見つけて、「読むべき本」のリストからどんどん削っていけばいいのです。

私も、書店で本を見ていると、つい「これも読まなきゃ」という気になってしまいますが、「読むべき本」を探すという姿勢よりも「読まなくていい本」を探すという姿勢の方が楽な気がします。昨日も書いたように、人間の人生なんて、一瞬の「間」で短いものです。その間に読める本の数も知れています。思い切り「読まなくてもいい本」を削り取り、本当に「読むべき本」に限定すればいいのです。

何が読むべき本なのか、何が読まなくてもいい本なのか、の指標というか基準については人それぞれではないかと思います。本を読むということについても、娯楽(趣味)として読むこともあれば、情報収集もあれば、スキル向上もあれば、知識を広げる目的もあれば、さまざまです。それぞれが自分に合った基準で読まなくてよい本を見つけ、自分の読むべき本リストから削ればいいのです。

橘氏の基準は」と言えば、次のようなものです。

20世紀半ばからの半世紀で「知のビッグバン」というとてつもなく大きな変化が起きたというのです。これが従来の学問の秩序を組み替えてしまうような巨大な潮流で、「人文科学」「社会科学」と呼ばれる分野に甚大な影響を及ぼすというのです。その原動力になっているのが、複雑系、進化論、ゲーム理論脳科学などです。この「知のビッグバン」の以前と以後を分け、ビッグバン以前の本は読書リストから外してしまおうというのです。古い理論や古い思考で書かれた本は費用対効果で読む意味がないということです。

本書では、複雑系 ②進化論 ③ゲーム理論 ④脳科学 ⑤功利主義 という5つの分野で現在と到達点を示し、それ以前に書かれた本は読まなくてもいい本として除外するという方法が採られています。 そして各章のブックガイドで、その分野の到達点を示すにふさわしい本が紹介されていますが、はっきり言って難解な書物ばかりで、読むのに一苦労も二苦労もする本です。私自身はあまりお勧めいたしませんが、過去に私が紹介した本も含まれています。取り敢えず、ブックガイドの中から読みやすい本をいくつか挙げておきます。

  1. 複雑系・・・複雑系とカオス論自体が哲学的かつ数学的で難しすぎます。グリックの「カオス論」(新潮文庫)、ワールドロップの「複雑系」(新潮文庫)、以前紹介したダンカン・ワッツの「偶然の科学」(ハヤカワNF文庫)など
  2. 進化論・・・長谷川眞理子「進化とはなんだろうか」(岩波ジュニア新書)、ドーキンス「進化とは何か」(早川書房)など
  3. ゲーム理論・・・松井彰彦「高校生からのゲーム理論」(ちくまプリマ―新書)、友野典男行動経済学」(光文社新書)、以前紹介したカーネマン「ファースト&スロー」(ハヤカワNF文庫)など
  4. 脳科学・・・池谷裕二「進化しすぎた脳 中高生と語る『大脳生理学』の最前線」(講談社ブルーバックス)、以前紹介したミチオ・カク「フュ―チャー・オブ・マインド 心の未来を科学する」、オリヴァ―・サックス「火星の人類学者」「妻を防止と間違えた男」(いずれもハヤカワNF文庫)など
  5. 功利主義・・・マイケル・サンデル「これからの「正義」の話をしよう」(ハヤカワNF文庫)、森村進「自由はどこまで可能か リバタリアニズム入門」(講談社現代新書)など

自分の基準で「読むべき本」を見つけ、自分の基準に合わない本は「読まなくていい本」とすればいいように思います。

重要なのは、自分の基準をどのように築くかです。先ずは、どのような目的で読書をするかです。その目的に合った基準があるはずです。趣味や娯楽ならば、自分の好きな分野の本を選んで読めばいいわけですし、専門的な知識を得たいというなら特定の分野の本を入門書から順次専門書へと切り替えていけばよいわけdす。幅広い知識を身に付けたいというならあらゆる分野の入門書から始めればいいわけです。

私が「休日の本棚」で挙げている本も私の基準で選んだ本にしかすぎません。いろんな分野の本を挙げているつもりですが所詮は私の基準にあった本です。

参考にするなり無視するなりしていただいて結構です。 

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休日の本棚 間抜けの構造

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おはようございます。

昨日の新規感染者は全国で1705人で、2日連続で過去最多を更新しました。内訳は、東京374人、神奈川146人、埼玉83人、千葉60人、愛知148人、大阪263人、兵庫69人、沖縄49人、北海道235人などです。大阪、長野(23人)で過去最多となっています。明らかに第3波の兆候が見られるにもかかわらず、政府は第3波とは認めないようです。第3波の襲来とすれば、経済優先で新型コロナを押さえこむことが出来なかった政府の責任問題になるからでしょう。昨日も書いたように、北海道医師会や日本医師会が、今後の爆発的な感染拡大による医療体制のひっ迫を訴えGoToキャンペーンの見直し・臨機応変な対応を求めましたが、菅首相は、全く見直す考えはないようです。政府は、来年1月で終了予定だったGoToトラベルについて「来年のゴールデンウィークまで延長する」方針を決定しました。感染拡大が懸念されることについて、赤羽国交相は「国民はそうしたことを懸命に判断しながら利用していると思う」と述べました。このところの第3波の感染拡大がGoToキャンペーンが影響していることは否定できません。いつも言うように感染予防と経済とのバランスです。敢えて言うならば、健康と経済を天秤にかければ国民の命・健康の方が優るはずです。それにもかかわらず感染予防とともに経済も進めるのは経済的死者(自殺者)を防ぐためです。国民・労働者の雇用を守り収入を確保させることが自殺防止につながるからです。そうしたことを考慮して経済優先を推し進めるなら、それと同等、それ以上に、感染防止は国の責任で行うべきことです。赤羽国交相の発言は、「国民が自分の判断してやっているから、GoToで新型コロナに感染しても国民の責任です」と言っているように聞こえて極めて不愉快です。

話題が変わりますが、日曜から大相撲が始まりました。白鵬鶴竜の両横綱、朝乃山・正代の2大関が欠場で面白味には欠けます。それでも、下位力士が力をつけて頑張っていて、炎鵬や照強と言った小兵力士が上手く間を取ったり間を外したりして大型力士に勝つのを見るのは楽しいものです。

今日は、ビートたけし著「間抜けの構造」(新潮新書を紹介します。

たけしさんは、本書の「はじめに」で「間抜けなやつ、というのはどこの時代にもどこの世界にでもいる。こういう仕事をしているからか、昔からおいらのところには間抜けばかりが集まってきたけど、芸人になるような奴ばかりが間抜けかって言うと、そうとは限らない。『間抜けに貴賎なし』と言いたくなるくらい、生まれも育ちも学歴も地位も性別も関係ない。政治家だろうと学者先生だろうと、間抜けは間抜け。でも、間抜けには愛嬌というか、どこか憎めないところもある」と言っています。芸人やお笑いは間抜けでは務まりません。笑いというのは間を外すことで生まれるのですが、正しい間を弁えているから間を外した時に笑いになるのです。その点、最近の政治家は間抜けばかり、たけしさんが言うような愛嬌のかけらもありません。

間抜け」というのは、「間の悪い奴」、大辞林によると「考えや行動に抜かりがあること、気が利かないこと」とあります。それでは「間」とは何かというとなかなか定義しにくいように思います。大辞林にも色々と説明が載っていますが、「間抜け」の「間」は「日本の伝統(音楽・舞踊・演劇など)で、拍と拍(動作と動作)のあいだの時間的間隔。転じてリズムやテンポの意」のことでしょう。

たけしさんは、「何かモノと͡コトがあって、そのモノとモノ、コトとコトのが、”間”なわけだけれど、それは目に見えるものではない。身につけられるものかどうか、教わることができるものかどうか・・・考えれば考えるほどわからなくなる」と言っています。

日本人は、「床の間」「茶の間」という空間を大事にし、「間にある」「間尺に合わない」という慣用句もあるほど「間」という言葉に親しんできました。今、改めて「間」とは何かを考えれことは意味があることです。こういう観点から、たけしは、本書で「間とは何か」を考えていきます。

色々な間抜けな奴らが紹介され、漫才の「間」、落語の「間」、テレビの「間」、スポール・芸術の「間」、映画の「間」が、さらに、日本人の「間」と人生の「間」では日本人論や人生論が語られます。

ここに挙げられる間抜けな政治家たち、間抜けな芸能レポーター、ソープの待合室で経済誌を読む間抜けな客、ことが終わったとでソープ嬢に説教する間抜けな客、ラブホテルの壁に車ごと激突したビートきよしさん、GWで閑散とした繁華街で「今日はl混んでるね」という間抜けな田舎者、手相を見て「何かありましたね」という占い師、などなど面白おかしいエピソードが満載です。

たけしさんは、TVタックルの司会を長年務め、政治家や評論家たちと議論を展開してきました。政治家でも評論家でも、「間」のいい人と悪い人というのはすぐにわかると言っています。間が悪い人は、話の途中で息を吸うのです。息継ぎが下手だということ。漫才の場合、原稿があって練習するので、どこで息継ぎをすればいいかをちゃんと考えるのだそうです。確かに一文の途中で息継ぎされると話の内容がすんなりとはいってきません。

また、討論の「間」を制する技術というのも参考になります。討論の途中で話に入るのが上手い人と下手な人がいます。上手い人は、相手が息を吸った瞬間に入ってきます。このあたりの間合いを熟知し息継ぎのタイミングを研究しているのです。間と呼吸というのは密接に関係しています。

話に割り込む際には「いや違う、あんたの言うのは間違っている」と否定するのではなく「それはあんたの言う通り」と肯定から入っていく。人は自分の意見に同調されると、気持ちよくなり「間」ができます。その間に、自分の話をして、最終的には否定的な意見を述べて相手の言うことを潰していくというのです。相手に気づかれないように自分の持っていきたい方向に持っていくには、否定から入ったのではお互いヤジ合戦になって収拾がつかなくなります。一旦は肯定して相手の意見を認めたうえでその問題点を指摘して自分の考えに誘導していくのです。国会の答弁を見ていてもこのような論戦の仕方をしている人は見かけなくなりました。菅首相のみならず、すべての政治家の答弁能力、説明力、説得力などが低下しているように思います。

討論が上手くなる方法というのも役に立ちます。ちょっと長めに話したいなら、「私の言いたいことは2つあるんですよ」と言って。その1つ目は短くして、2つ目に自分の言いたいことを眺めに主張するというわけです。私自身の考えをいうと、まず自分の結論を述べて、その結論に至る筋道を説明するという方法も良いように思います。最初に結論を言っておけば、途中で遮られたとしても自分の考えの結論はすでに言っていますので、自分の意見は言えています。

たけしさんは、「”間”というのを大事にするのは日本の長所でもあるけど、その一方で、短所もそこにある」と言っています。「間」を大事にするというのは、つまり過剰に空気を読むということで、そうすると、そこから新しい何かを生み出そうという能力が弱くなるというのです。「間」を読むということと空気を読むということは若干違うような気がしますが、確かに日本人には周りの雰囲気を読んで同調しようという傾向はあります。一昨日も書きましたが、半沢直樹的な尖ったタイプでなく丸いタイプが好まれます。そうなると「右に倣え」ということで、新しいものを生み出そうという気概が欠けて、これまでの慣習を壊さないように維持するだけになってしまいます。

宮本武蔵五輪書には「ちがふ拍子をわきまへ、大小遅速の拍子の中にも、あたる拍子をしり、間の拍子をしり、背く拍子を知ること、兵法の専也。・・・敵のおもひよらざる拍子をもって、空の拍子より発して勝つ所也」とあります。間を知ることの大切さといかにして間を外すかが必勝の極意だと言っています。「間」を読むということは空気を読んで同調することではありません。

間を理解し間を外す術を知れば、人々のニーズを弁えて、更にその先にあるニーズを掴まえることができ、新商品の開発やイノベーションを起こす機会になるように思うのです。

たけしさんは、「振り返れば、おいらの人生、山あり谷ありだったけど、その両方がったからこそ今があるんだよ・・・やっぱり適度に”間”があったからよかったんじゃないかな。結果論だけど、その”間”によって思わぬ転機が生まれて、次々と新しいことにチャレンジできたわけだから。人生というのは本当に何が起こるか分からない」と言っています。

また、「その人の”間”がいいか悪いかというのは、どの時代に生まれたかに尽きるんじゃないか・・・野球で言えば長嶋さんと王さん、相撲だったら大鵬柏戸、芸能界だったら裕次郎さんとひばりさん、お笑いだと一番ピークはおいらたち。・・・企業だってそうだろう。ソニーがすごかった時代もあったけど、今は見る影もない。IT企業は今は全盛かもしれないけど、10年後は分からない。あらゆる業種というか職種に波みたいなのがあって、その時代にその分野にいるかどうかというのは運でもあるし、“間”がいいかどうかが試される」とも言います。

更に「基本的に生きている意味なんて分からない・・・『人間ってなんだ』『宇宙ってなんだ』と考えても分からないことばかり。だからこそ、人生というのは”間”だと思った方がいいんじゃないか。われわれの人生というのは生きて死ぬまでの『間』でしかない。・・・見つかることのない『生きている理由』を探すよりも、そう思った方が楽になる」と言っています。人の一生というのは、この宇宙が誕生して138億年という歳月のなかで、「生と死」というたった80年程の短い人生にしかすぎず、一瞬の「間」にしかすぎません。人間という言葉にも「間」という字が使われます。人間とはまさに「生と死の一瞬の間」なんです。と言っても、これが自分の人生ですから、この「間」を大切にして精一杯生きるということが大切だと思います。

最後に、たけしさんは「もう一回、”間”というものを見直して、生き方を考えてもいいんじゃないかと思うけどね」と言って締めくくっています。

人生においても、ビジネスにおいても「間」というのは極めて重要です。本当の「間抜け」にならないためにも「間」を弁えることが重要です。

面白おかしく読めてちょっぴりと言うかかなり役に立つ本です。

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